深川の蕎麦屋に行く道をちょっと逸れた所に、宇迦八幡宮がある。
前から気になっていたので、何度目か前を通った時に訪問してみた。
境内の隅に大きな石碑がある。
何んだろうと見ると、軍馬の記念碑である。
馬の石碑は初めて見るかも。
この八幡宮とどんな関係があるのか分からない。何か書いてあるだろうと石碑の裏側を覗いて見た。
難しい字を一所懸命呼んだ。
見え難い字には、手袋を脱いだ指に唾を付けてこすりながら。
「軍馬盛敬号は元騎兵伍長榊原平三氏の乗馬たり。
同氏は明治二十七八年日露戦役中選ばれて永沼騎兵挺進隊に参加す。
挺進隊は特別任務を帯び敵線内を潜行、遠く敵の背後に侵出。
明治二十八年二月十一日夜、長春南方新開河の鉄橋を爆破し第一の目的を達成し得たるも、大砲二門を有する敵の急追を受け、二月十四日夜張家窪子付近に於いて之を逆襲し月下に格闘戦を開始した。
盛敬号はこの戦闘中鼻頭に大傷を蒙りしも屈せず奮戦中腹部に敵弾を受け遂に斃したり。
軍馬と雖も長期の劇しき行動に堪え困苦欫乏を忍び、能くその任務を全うし君国に盡せる霊を慰むる為、明治四十一年十月有志相謀り碑を御影堂境内に建立せり。
大正十二年九月大震災の際破壊したるに依り、戦役当時の挺進隊長永沼秀文閣下に題字を請い茲に復旧せるものなり」
これは司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれた、主人公の一人である秋山好古が率いる騎兵隊が、当時世界最強のコサック兵団と戦った話ではないか!
私は少々競馬をやる。従って、競走馬の「モリケイ」号の事は良く覚えている。
現役の競走馬でありながら、子供を生んだ牝馬である。
子供がお腹に居ながら、レースに出続けて何勝かした。
凄いとしか言いようがない。
ある朝厩舎に仔馬が居るのを見た厩務員の驚きは想像しても楽しい(不謹慎か)。
調教師と厩務員はレースに向けて体重を絞る為に飼葉を減らすが、どうしても体重が減らないと悩んでいたそうである。
競馬界は大騒ぎになった。
競走馬は人間が血統を考えて種付けして生産するものである。
デビュー前の牧場で自由恋愛してできたその仔馬は、血統不明の為競走馬として認められない。
日吉丸と名付けられたその仔は乗馬として貰われて行った後、暫くして死亡した。
その後モリケイ号は更に何勝かして競走馬の任務を全うし、無事繁殖馬となって、今度は堂々と血統の分る子供を産んだ。
その馬の馬券を買った事がある。
確か「アスリート」みたいな名前だったような・・・。
モリケイの馬主は軍馬盛敬号の事を知っていたのだろうか?
結局、ここに軍馬盛敬号の碑がある理由は分らない。
榊原伍長がここ宇迦八幡宮の氏子だったのだろうか?
ところで、石碑に刻まれている軍馬の名前は「モリケイ」と読んでいいの?
前から気になっていたので、何度目か前を通った時に訪問してみた。
境内の隅に大きな石碑がある。
何んだろうと見ると、軍馬の記念碑である。
馬の石碑は初めて見るかも。
この八幡宮とどんな関係があるのか分からない。何か書いてあるだろうと石碑の裏側を覗いて見た。
難しい字を一所懸命呼んだ。
見え難い字には、手袋を脱いだ指に唾を付けてこすりながら。
「軍馬盛敬号は元騎兵伍長榊原平三氏の乗馬たり。
同氏は明治二十七八年日露戦役中選ばれて永沼騎兵挺進隊に参加す。
挺進隊は特別任務を帯び敵線内を潜行、遠く敵の背後に侵出。
明治二十八年二月十一日夜、長春南方新開河の鉄橋を爆破し第一の目的を達成し得たるも、大砲二門を有する敵の急追を受け、二月十四日夜張家窪子付近に於いて之を逆襲し月下に格闘戦を開始した。
盛敬号はこの戦闘中鼻頭に大傷を蒙りしも屈せず奮戦中腹部に敵弾を受け遂に斃したり。
軍馬と雖も長期の劇しき行動に堪え困苦欫乏を忍び、能くその任務を全うし君国に盡せる霊を慰むる為、明治四十一年十月有志相謀り碑を御影堂境内に建立せり。
大正十二年九月大震災の際破壊したるに依り、戦役当時の挺進隊長永沼秀文閣下に題字を請い茲に復旧せるものなり」
これは司馬遼太郎の「坂の上の雲」に描かれた、主人公の一人である秋山好古が率いる騎兵隊が、当時世界最強のコサック兵団と戦った話ではないか!
私は少々競馬をやる。従って、競走馬の「モリケイ」号の事は良く覚えている。
現役の競走馬でありながら、子供を生んだ牝馬である。
子供がお腹に居ながら、レースに出続けて何勝かした。
凄いとしか言いようがない。
ある朝厩舎に仔馬が居るのを見た厩務員の驚きは想像しても楽しい(不謹慎か)。
調教師と厩務員はレースに向けて体重を絞る為に飼葉を減らすが、どうしても体重が減らないと悩んでいたそうである。
競馬界は大騒ぎになった。
競走馬は人間が血統を考えて種付けして生産するものである。
デビュー前の牧場で自由恋愛してできたその仔馬は、血統不明の為競走馬として認められない。
日吉丸と名付けられたその仔は乗馬として貰われて行った後、暫くして死亡した。
その後モリケイ号は更に何勝かして競走馬の任務を全うし、無事繁殖馬となって、今度は堂々と血統の分る子供を産んだ。
その馬の馬券を買った事がある。
確か「アスリート」みたいな名前だったような・・・。
モリケイの馬主は軍馬盛敬号の事を知っていたのだろうか?
結局、ここに軍馬盛敬号の碑がある理由は分らない。
榊原伍長がここ宇迦八幡宮の氏子だったのだろうか?
ところで、石碑に刻まれている軍馬の名前は「モリケイ」と読んでいいの?