別名国道14号線です。
その道端にこんな説明板があります。
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龍之介がよく遊んだ回向院から300mの位置です。
すぐ脇は飲食街です。
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読みます。
「芥川龍之介は、明治25年(1892)3月1日、東京都京橋区入船町8丁目1番(中央区明石町)牛乳搾取販売業耕牧舎を営む(筆者余談:当時東京の郊外にはそういった乳牛を飼う家が多くあったようで、『野菊の墓』の作者、伊藤左千夫もこの京葉道路をちょっと行った両国高校近くの錦糸町駅前に牛舎を建てて搾乳販売業を営んでいました)新原敏三・ふくの長男として生まれました。
辰年辰の日辰の刻に生まれたので龍之介と命名されたといわれます。
生後7か月で、当時本所区小泉町15番地(両国3丁目)に住んでいたふくの長兄、芥川道章に引き取られ、13歳のとき、芥川家の養子となりました。
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芥川家は江戸時代からの旧家で、道章は、教養趣味が深く、俳句や南画をたしなみ、一家をあげて一中節を習い、歌舞伎を見物するなど、江戸趣味の濃い家庭でした。
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明治43年(1910)19歳で新宿に移転するまで過ごした両国界隈は、龍之介の精神的風土を形成しました。
「大道寺信輔の半生」「本所両国」などの作品にその一端を見ることができます。
龍之介は回向院に隣接する江東尋常小学校付属幼稚園に入園、翌年同小学校(両国小学校)に入学しました。
明治38年(1905)府立第三中学校(両国高等学校)に入学、同43年成績優秀により無試験で第一高等学校第一部乙類に入学しました。
その後、大正2年東京帝国大学英文科に入学、同5年卒業しました。
云々。」
龍之介の母校両国小学校です。
養家の前の京葉道路を渡って100mの場所です。
龍之介が遊んだ、現在の回向院からは400m位です。
既報の、当時は回向院の土地だったのでしょう、時津風部屋からは50mです。
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児童文学「杜子春」の一節を引用した文学碑です。
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何故か並んで、日露戦争で活躍した巡洋艦「不知火」の錨もあります。
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京葉道路をそのまま東へ行くと、両国高等学校が在ります。
養家から3km弱です。
龍之介はこの界隈の狭い範囲で少年時代を過ごしたようです。
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龍之介だけでなく数多の俊優を輩出した学校で、現在でも秀才が集まる「都立御三家」の一つで、周辺地域第一等の公立の進学校です。
この学校は平成18年度から中高一貫校になりました。
周辺地域の経済性も相まって元より人気校なので、入学には競争率が高いです。
校舎の窓にも校門にも「付属中学校」の文字が追加されています。
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この学校は、白地にえんじ色で「三中」と染め抜いた応援旗を掲げて、高校野球地方大会等に登場します。
畏敬すべき応援旗ではありますが、如何せん野球部は弱く大概1回戦で負けるので、私は1度見ただけの幻の旗なのです。
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以上で両国周辺の"さわり"を終わります。
お付き合い頂きましてありがとうございました。