おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

名代官岡田寒泉生祠の近くに沈下橋

2018年07月26日 03時37分10秒 | 農村の水






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 欄干のない木製の橋(上の写真)
 いわゆる沈下橋(注1)、幅1.5m
 1956年、小貝川に架設の小目沼橋
 つくばみらい市の下小目(しもおめ)と平沼を結ぶ
 筆者は「飯沼三千町歩」巡検の途次
 名代官・岡田寒泉の生祠に参詣し渡る
 ちなみに小目沼橋は22日のNHK「西郷どん」に登場

 注1 群馬県谷田川の沈下橋:弊ブログ2015年02月28日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎
 撮影日:2018年07月12日 撮影地:茨城県つくばみらい市

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農家も非農家も農業水路浚い

2017年03月09日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 Sさんが2017年03月04日夕方に枯れヨシを焼いていた農業排水路(注1)
     翌05日、自治会員の農家や非農家が共同清掃。08:54


写真2 きれいになった写真1の農業排水路。写真1とは逆の位置から撮る。16:49


写真3 農業用水路の堆積泥やゴミなどを浚う自治会員の農家や非農家。08:55


写真4 きれいになった写真3の農業用水路
     この水路から田に水が入り、余水は写真1・写真2・写真5の農業排水路へ。17:24


写真5 農業排水路(写真左)と農業用水路(写真右)の共同清掃を自治会員の農家や非農家が実施中
     当該排水路は写真1・写真2の下流
     写真3・写真4の用水路から水が田に入り、余水が当該排水路に流入。09:02

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 田や畑に水を送る農業用水路
 田や畑で使った余水を下流へ送る農業排水路(注2)

 Sさんは、2017年03月04日夕方、農業排水路の枯れヨシを焼いていた(注1)
 それは、上の写真に見る翌05日の農業用水路や農業排水路の共同清掃の準備だった

 この共同作業を当地では年1回の「用水浚い」と呼ぶ
 農業の水だから農家だけの共同作業ではない
 非農家も住み良い環境づくりのために参加する
 非農家も農家も家庭雑廃水を農業排水路に流している
 とにもかくにも、地域の住民として“より良い生活環境づくり”の共同作業
 非農家、農家は不問

 上記のような共同作業の持続を願います、廃れる地域が多いので

 注1 弊ブログ2017年03月06日
 注2 余水を悪水、排水路を悪水路や落(おとし)と呼ぶ地域がある
    余水は下流の田や畑へ送られる
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:上記 撮影地:埼玉県久喜市

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黒部川扇状地湧水群 いくじ・生地地区を歩く

2016年02月27日 00時00分00秒 | 農村の水



写真1・写真2 尽きることなく地下60mから湧き出るショウズ・清水。ちょっと一杯の女性。「あいの風とやま鉄道」生地(いくじ)駅前、徒歩10秒。常時約11℃。飲料用具2個






写真3・写真4・写真5 県道2号線に沿う民家の庭に湧き出る水、湧水量豊富

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 北アルプス・鷲羽岳を源流とする急流黒部川
 昔むかし、峡谷を抜ける宇奈月温泉辺りから扇状に広がった
 その名は黒部川扇状地、扇端部は富山湾
 黒部川流水の一部は扇状地の伏流水となり、扇端部で湧き出る
 扇状地を掘ると清澄水が自噴
 黒部市域には約750ヵ所の自噴井戸が掘られている(注1)
 当地では、湧水や自噴水をショウズ・清水と呼ぶ
 清水は飲料水、炊事、洗濯など生活用水や農業用水に使われてきた

 筆者は、2007年08月02日、黒部市の農家を訪ねた
 その際、田んぼの向こうに「名水の里 黒部」の看板(弊ブログ2011年08月02日写真1
 いつの日か「名水の里」再訪を期す

 ついに、今月02月11日誕生の初孫がチャンスをプレゼント
 13日に孫と対面
 翌14日、春一番吹く風雨のなか、妻と二人、「名水の里 黒部」を歩く
 具体的には、扇端部のいくじ・生地地区
 JR北陸線から移行した「あいの風とやま鉄道」生地駅で下車
 「魚の駅 生地」をめざし、強風ゆえ傘を閉じ、県道2号の歩道を歩く
 観光マップに掲載された「魚の駅」近くの清水が目的地
 途中行き会った人は一人
 県道を走る車中人は、物好きなおじさん、おばさんがいると我々を見る
 (帰宅後、妻は風邪1週間)
 
 さすがに、「名水の里」「清水の里」の生地
 駅から10秒足らずに清水(写真1・写真2)
 県道2号脇の住宅地に清水(写真3~写真5)

 さて、駅前清水の向こうに村椿公民館(海抜4m・海岸から820m・写真1の3階建て)
 筆者は「村椿」の文字を見て高校野球甲子園大会の魚津高校と徳島商業の延長18回、再試合を想起
 魚津高校投手の姓は「村椿」、元中日ドラゴンズの板東と投げ合った
 生地駅で確認すると、「村椿」投手は当地の中学校卒業

 さてさて、「村椿」地区の隣りは吉田地区
 YKKの創業地、工場や記念館等が立地

 注1 典拠:「越中黒部清水の里 黒部観光ガイド(生地まち歩き)」
    http://www.ikuji-machiaruki-guide.com/ikuji-kanko/syouzu-meguri/
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2016年02月14日 撮影地:富山県黒部市生地

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ついに農業排水路浚いはヤクバ

2016年02月18日 01時34分48秒 | 農村の水

写真1 きれいになった農業排水路。堆積した泥(写真2の状態)はヤクバから請け負った業者が浚い除去。2016年02月16日


写真2 土地改良して42年、この間1回浚っただけで、泥は農業排水路の上端近くまで堆積。2014年07月05日


写真3 田圃に挟まれた農業排水路、写真2と同じく泥が上端近くまで堆積。2014年03月16日


写真4 田圃の中の建売り住宅から排出される家庭雑排水、農業排水路に流れ込み滞留して変色。2015年06月11日


写真5 泥や石が堆積した農業用水路。周りに建売住宅、賃貸アパート、駐車場などがならび、見る影もない。2014年09月21日

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 おにぎり2個の里みち・農道歩き
 定路の一つに変化あり
 02月16日、農業排水路の泥が浚われ、周りがきれいになっている(写真1←写真2)
 伺うと次のよう
   15日、16日の午前、ヤクバに頼んで泥を取ってもらった
   ここは昭和48年(1973)に土地改良してミチ・農道ができ、排水路もできた
   出来上がって数年後、みんなで泥を取った
   その後、40年近く泥を取らず、いっぱいになった(写真2)
   我々ではできないのでヤクバに頼んだ
   “としとっちゃできないよ”
 なるほど、いよいよと云うか、ついに農業排水路泥上げは役場や市役所が行なう時代の感あり

 そもそも、農業排水路や農業用水路の泥揚げ・清掃は田植え前に「村」の住民や農業者が共同・協働で実施(例:弊ブログ2011年03月21日2014年05月09日
 重要かつ不可欠の「村」仕事だった
 しかし、都市化、兼業化、脱農化、農業意欲減退、離農、高齢化などで泥揚げ・清掃は放棄される
 その結果、生産や生活の環境悪化(例:写真2~写真5)を招き、行政の出番となる
 この過程を辿る地域や「村」が今後増えるであろう

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:上記 撮影地:埼玉県



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カスリーン台風水害後に造成のミツカ

2015年10月15日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 カスリーン台風洪水被災後に造成されたAさん宅のミツカ(土盛りと建屋)
     2015年10月11日。埼玉県久喜市栗橋地区。写真2・写真3・写真4も同じ
 


写真2 カスリーン台風洪水被災後に造成されたAさん宅のミツカ(土盛りと建屋)



写真3 ミツカ(写真1・写真2)を含むAさん宅の屋敷構え(一部)


写真4 ミツカ(写真1・写真2・写真3)を含むAさん宅の屋敷構え(一部)
     前菜畑は人生ベテラン女性Aさんがトラクターで耕耘し、自家用野菜をつくる



写真5 カスリーン台風豪雨による決壊状況
     「国土交通省 利根川上流工事事務所」が設置したカスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑の案内板(写真7)
     加須市柏戸地先・三国橋上流に立つ。2013年10月21日


写真6 カスリーン台風豪雨による被害。カスリーン台風による「決壊口跡」碑の案内板(写真5・写真7)



写真7 カスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑(左)と案内板(右:写真5・写真6を記載)
     渡良瀬遊水地第1調整池の堤防に立つ。堤防下は加須市柏戸等



写真8 カスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑。群馬県板倉町海老瀬地先の渡良瀬遊水地第1調整池の堤防に立つ

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 68年前の9月15日、カスリーン台風豪雨で大洪水発生
 15日23時頃、北埼玉郡東村(現加須市)の利根川右岸堤防から越水
 1時間後、16日0時頃、340mにわたり破堤(注1・写真5)
 他にも各所で破堤、たとえば対岸の渡良瀬川遊水地、柏戸地先(写真5)
 洪水は21日午前1時頃に東京都葛西地域に到達し、東京湾に流れ込んだ(注1

 大洪水時に小学6年生の人生ベテラン女性(Aさん)が次の1~4のようにご教示
  Aさんの暮らす集落は利根川破堤箇所から数km、栗橋町(現久喜市)内
  JR宇都宮線の東方、稲荷木落(旧利根川の一つ)の左岸に立地
  栗橋町は破堤箇所に近い利根川右岸域に広がり、町内すべて泥海と化した
  被災状況は次のとおり(注1
   死者18名、牛馬斃死12頭、流失家屋242戸、全半壊家屋1,011戸
   床上浸水1,737戸、農作物収穫は皆無
 1.ミツカは大洪水後に造成
  9月の関東・東北豪雨による鬼怒川破堤洪水と同じような被害に遭った
  小学6年だったのでしっかり憶えている、昨日のことは忘れるけれど
  屋根に避難していると、土蔵をもつ家からキブネ・木舟で助けに来た
  避難中のキブネ・木舟から手が離れて死にはぐった
  死体、斃死牛馬、流失家屋など、ありとあらゆるものが流れていた
  この被災によって親たちはミツカを造った(写真1~写真4・注2
  ほとんどの家にミツカができた
  しかし、現在残っているのは僅か、必要ないと壊した
  自分ちのミツカも不要品の倉庫、鼠の別荘 、傾いている(写真1~写真4)
 2.オカイコさんを世話した
  小学生の頃、オカイコサンを年3回育てた
  ナルゴ(春蚕)、ナツゴ(夏蚕)、アキゴ(晩秋蚕)
  学校から帰宅すると、桑を籠いっぱい摘んで来るように命ぜられた
  春と秋は枝ごと伐った、夏は葉だけ摘んだ
  夏から秋は日数が少なく、枝が伸びないので
 3.棉繰りをした
  寒風吹き荒ぶなか、棉摘みをした、親からさせられた
  摘んだ棉を棉繰器で棉と種に分けた
  棉の丈は低かった、腰くらいまでの高さだった
 4.麦刈り、田植え、稲刈りで学校を休めた
  農繁期に農家の子は小学校を休めた、先生に申し出て
  非農家の子は休めなかった
  休むのは恥ずかしかった
 
 上記の話は、筆者が写真のミツカを見撮していたとき、ミツカ所有者のAさんが買い物のためにケイドから自転車で出て来られて立ち話
 写真のミツカ、母屋、屋敷はAさんの生家、いわゆる婿取りさん
 
 注1 『鷲宮町史 通史 下巻』532-537頁
    同史典拠資料の一つは『昭和二十二年九月埼玉県水害誌』
 注2 カスリン台風大洪水後のミツカ造成は、渡良瀬川右岸破堤洪水の被災集落でも実施。弊ブログ2015年04月02日
 注3 ミツカや舟については次の弊ブログもご参照ください
    2011年04月25日26日05月10日27日2014年09月06日
    2015年02月10日03月11日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2015年10月11日 撮影地:埼玉県久喜市




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