田植後に補植する女性(本文と無関係) 2008年05月02日 埼玉県幸手市
← Please click this green banner.
ブログランキングに登録しています。よろしければ、左の緑色部をクリックしてください。
農家・農村に暮らす女性の来し方について、筆者は複数の女性に聞取りを実施。
本日は、高度経済成長期に夫が建設・土木作業に出て、家に残された女性Aさんの話。
次のよう。
注1 < >の中は筆者の質問等 注2 ** **の中はAさんの夫の話
注3 ( )の中は筆者による補足 注4 無印がAさんの話
<(1956年・昭和31年)結婚の頃は、なさってたの、養豚を> 始めたとこへ来たの(3軒隣りに婚入した)①。
それでねー、聞いてください、よっ
<はい、はい> それでね、養豚始めてさ、そーしたら、出稼ぎが(夫の出稼ぎが昭和35年から)始まって、出て行かれちゃった、私②
<あら、ら> で、私におっつけて、(私は)農家やって、養豚やって、家事やって、子育てやって③
<忙しかった、一人4役だった、5役だった。そのとき、種豚は何頭ぐらいいたんですか> そーんなにいないけど、ま、今でも小屋があるけど、
でも6頭ぐらい。 **うん、あのね、6頭とゆうのは、1年に2回取れんだよね**
<そうとう取れる> そっ、農閑期利用で。そんでさ、農家が、なーに、稲がさ、田圃が終わって、ちょっと閑なると、
(豚の)子どもができるようなってんだから、閑がなーいんだ、よっ、嫌ーんなっちゃう④
<旦那さんは、外で働くし> そっ、で、子どもを教育するんで、ほ、みんな、大学でしょ、だーからさ、教育費に(出費が嵩む)⑤
<じゃ、お子さんが大学終わるまで豚やってた> そっ
<結婚なさってから、ずーと豚をやってたの、おっつけられて> 仕様がない、でも、おカネが入んないんとゆんでさ、
子ども2人、3人でしょ、で、みんな二つちがいに産んでたから、私も。
だーからさー、子ども、教育費、かかるわ、かかるようなっちゃって、大学
<豚のおかげで、また奥さんのおかげなんだ> そっ、また、その頃、養豚が良かった、子取りがねー
**高く売れたの。そしたらね、子どもが、学校行くてんだよ。そっーくり持っていかれちゃった⑥**
<奥さん、頑張ったんだ> そう、頑張らなくちゃ、追いつかなかったから、大変でしたよ、ほんとに、ここまで来る道のりは。
もー、これ以上頑張りきんないよねー。そしたらさ、最近はねー、若者がお勤めでしょ、
だから、けっきょく、やっぱし(家に残ったAさん夫妻が農業を守るしかない)⑦。
もー、ねー、連休利用しなかったら、自分たちも、かなわないから⑧
<考察>
上記文中の下線部は、次のように考えられる。
① Aさんの生家は兼業農家。Aさんに農作業経験はない。その彼女が、3軒隣りに住む農業専従の夫と結婚。
通婚圏の狭いことを知る。
② 1956年(昭和31)の結婚時、経済の高成長が始まり、需要の伸びが予想された養豚を始めた。
しかし、1960年(昭和35)、地域の建築・土木作業に人手なく、Aさんの夫(当時25歳)は、誘われて従事。
60歳代まで従事。専業農家から兼業農家への大転換。
③ 夫が建築・土木作業に出て、残されたAさんは、義父母がいるとはいえ、乳飲み子を抱えながら、
水稲、養豚、家事をこなさねばならなかった。
まさに、1人4役、当時言われた「主婦農業」、「三ちゃん農業」の典型。
また、Aさんは、育児と農業を両立するのが「嫁」の務めと規範づけられていた当時の典型である。
④ 農繁閑期のあった伝統的農業から、養豚により、年中多忙の周年農繁期の農業となり、
残されたAさんは、息つく閑もない状況になった。
⑤ 農家の長男は、農業とイエを継ぐというAさん夫妻の世代の規範は崩れ、長男は農業高校でなく、
非農業高校や大学に進学するようになり、教育費負担が家計を圧迫するようになった。
単に、教育費が嵩むだけでなく、自給中心の暮らしや農業から、商品経済の真っ只中に乗り出さざるを得なかった暮らしと農業を知る。
そのため、Aさんは養豚で稼ぎ、夫は農外就労で稼ぐ道を選択。
⑥ 1961年の旧農業基本法で謳われた「選択的拡大」品目の養豚に絡む肥育素豚供給経営の優位を知る。
その優位で稼いだカネは、Aさん夫妻が、自分たちのために使うのでなく、老後資金でなく、子どもたちの高等教育費に消えた。
⑦、⑧ Aさん宅は、長男が安定恒常勤務に就き、イエを継いだ。Aさんは、譲って楽になるかと思っていたが、
そうは問屋が卸さなかった。
水稲作業は、Aさん夫妻が関わらざるを得ず、思うようにはなっていない。多世代同居の高齢者農業を知る。
高齢のAさん夫妻だけで田植はできないので、また農外勤務の長男が田植年休を取るのは不都合なので、
田植は、4月末~5月初旬の、いわゆるゴールデンウィークに実施されるようになった。
ゴールデンウィークの田植は、Aさん夫妻の結婚時にくらべ1ヶ月半ほど早まり、前進。
その田植前進が可能になったのは、水稲品種改良だけでなく、圃場整備に伴う農業用水の施設化・機械化により、
短期間に多くの農家が集中して田植水を使っても、足りる状況がつくり出されたためである。
最後に、育児及び家事と農業との両立が当然と考えられた時代、精神的に、身体的に辛かったAさん、
現在も農作業に従事するAさん。
子どもたちを育てあげ、先祖から預かった農地やイエを長男に譲り渡せた、ゆとりと安堵感をAさんと夫に感じた。
聞取り・執筆者:有馬洋太郎 聞取日:2006年05月20日 聞取り地:埼玉県久喜市