おにぎり2個の里みち歩き 農山漁村の今昔物語

おにぎりを2個持って農村・山村・漁村を歩き、撮り、聞き、調べて紹介。身辺事象もとりあげます。写真・文章等の無断転載禁止

昔の水害防止堤防 今や癒し堤防

2015年06月05日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 江戸時代後期、利根川洪水に備えた堤防。萌え始めた堤防のクヌギやコナラ。右にノウルシが見える
     埼玉県加須市浮野の里(うきやのさと)。2015/04/09



写真2 浮野の里に春到来、堤防のクヌギやコナラは緑、緑、緑。2015/05/08


写真3 浮野の里にノウルシ(手前)。萌え始めた堤防のクヌギやコナラ
     ノウルシに促されたよう。2015/04/09



写真4 浮野の里の橋欄干から遠望する堤防のクヌギやコナラ、春を待つ。2015/04/09


写真5 浮野の里の橋欄干から遠望する堤防のクヌギやコナラ、春到来。2015/05/08

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 江戸時代、利根川流域は洪水害をたびたび被った
 とりわけ、1783(天明3)年7月の浅間山大噴火から後
 火山灰や火山礫で利根川河床は上昇し、水害は多発、舟運にも支障が出た(注1)
 
 利根川右岸域の加須市北篠崎及び多門寺の地区(浮野の里)とて洪水害多発
 そのため、堤防が造成され、堤を護るクヌギ・椚やコナラなどが植えられた
 クヌギやコナラは薪炭にもなった

 その堤防の一部が現存(写真1~写真5)
 6月14日~6月21日は、あやめ祭
 6月14日(日)、6月20日(土)、6月21日(日)は田舟に乗れます
 このように、堤防とその周りは我々の癒し空間
 皆様、お訪ねください
 
 浮野の里・葦の会など住民の皆様のご尽力に、関係機関のご支援に感謝します

 引用・参考文献等:注1:『水と人と農業 -農業水利の歴史的変遷- 農村工学研究』(12-14頁 執筆:有馬洋太郎
    編集・発行:財団法人農村開発企画委員会 発売:財団法人農林統計協会 2010年発行 1,600円)
    *弊ブログ2015年02月19日
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日・撮影地:上記
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サイホン式用水路に流れる声 興味湧く

2015年05月05日 05時06分46秒 | 農村の水
写真1 写真2

写真1 西から5番目の地中埋設円筒形貯水タンクの地中導水管位置等
     水を使う田の位置は用水路より約1m高い
写真2 西から5番目の地中埋設円筒形貯水タンクの地中部


写真3 写真4

写真3 西から3番目の地中埋設円筒形貯水タンク(写真7③)の地中導水管位置等
     水を使う田の位置は用水路より約1m高い
写真4 西から3番目の地中埋設円筒形貯水タンクの地中部(写真7③)



写真5 西から5番目の地中埋設円筒形貯水タンクの地上部


写真6 西から3番目の地中埋設円筒形貯水タンクの地上部(写真7③)
     モーター格納器、モーター配電柱、タンクの水をかける田2筆(①・②)など



写真7 アスファルト道路の左側に6つ、右側に1つ、地中埋設円筒形貯水タンクが並ぶ。写真に見えるのは4つ
     道路に面する左右の田(例:写真6①)は道路と同じレベル(中央白線・用水路より約1m高い)
     道路左側では、道路に面する田に続くのは1段低い田(段差白線・例:写真6②)
     右側は、道路に面する田のみで用水路に続く


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 Kさんが次のように教えてくださる
   冬期、家庭菜園で作業していると話し声が聞こえる
   声は地中埋設円筒形貯水タンクから聞こえる
   声は水枯れの地中埋設導水管を流れてきた
   50mほど離れた用水路の近くで作業する人たちの声だった

 この状況に興味湧く
 2015年03月22日、Kさんと筆者が試す
   写真1・写真2のタンクにKさんが、用水路の取水口に筆者が立つ
   Kさんの呼び声が地中埋設導水管から筆者の耳に入る

 地中埋設導水管と地中埋設円筒形貯水タンクはサイホン式用水の施設(写真1~写真7)
 用水路より約1メート高い田に配水する施設
 用水路からの取水口の位置はタンクの吐水口・出口より高い
 このサイホン式用水のタンクは当地に7個並ぶ

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2015年03月22日 撮影地:埼玉県久喜市粟原










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ミツカ造成契機はカスリーン台風洪水被災

2015年04月02日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 Eさん宅の屋敷構え 屋敷の北側に洪水時の避難場・ミツカあり
     撮影地:埼玉県加須市・旧北川辺町伊賀袋(以下同じ)
     撮影日:2015年03月15日(以下同じ)



写真2 Eさんの屋敷は微高地・自然堤防の上に立地
     自然堤防は旧渡良瀬川により、左岸に造られた



写真3 Eさんの屋敷は微高地・自然堤防の端にあり、旧渡良瀬川に最も近い


写真4 旧渡良瀬川から見るEさんの屋敷


写真5 伊賀袋に残るミツカの一つ。富士浅間神社やEさん屋敷から続く微高地・自然堤防の上に造られている


写真6 写真5のミツカを北側から見る

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 ここは加須市・旧北川辺町伊賀袋、旧川ふるさと公園(注1)
 東武鉄道日光線新古河駅から旧渡良瀬川の右岸堤防を歩き着く
 東方に、屋敷林、母屋、ミツカ、納屋など当地伝統の屋敷構え(写真4)
 
 運よく、世帯主のEさんに会う(弊ブログ2015年03月19日
 ミツカ(写真1・写真2)を撮らせてください、と筆者
 “どうぞ、どうぞ、壊したいくらいだ”とEさん
 さらに、Eさんは次のようにご教示
   現在、伊賀袋でミツカ(住民はミツカボッチとも呼ぶ。)が建っているのは3戸
   かつて、全戸20戸ほどに建っていた
   Eさん宅のミツカは1947年(昭和22)09月のカスリーン台風洪水に由来
   洪水に遭った親たちが慌ててドロ・土を盛り造った

 なるほど、ミツカ造成契機の一つにカスリーン台風洪水被災あり

 注1 旧渡良瀬川の一部を埼玉県が整備。旧北川辺町は町営釣場・へら鮒乃里を整備
 執筆・撮影者:有馬洋太郎

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カマエボリ ミツカの盛土を掘り採った跡 

2015年03月11日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 5月、水溜るS氏の池・カマエボリ ここの土を掘り、運び、積み揚げてミツカを造った
     ミツカは左の宅地内、屋敷林の向こうにある



写真2 ミツカの北斜面 さらに北(写真右)は屋敷林→池・カマエボリと続く(写真1)


写真3 ミツカの南斜面 高さは3mほど 身長168cmのE氏が見上げる高さ


写真4 写真5

写真4 屋敷林の中にある池・カマエボリ
写真5 池・カマエボリ(写真4)を覆う屋敷林


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 洪水時に避難する所、ミツカ・水塚
 盛り土して造るのが一般的
 盛り土の方法について、S氏(2006年聞取り時、71歳)がご教示(資料1)
 自家の池・カマエボリとミツカの関連について(写真1~写真3)、次のよう

 ミツカを盛り上げた土・盛土は屋敷裏の田んぼを掘り揚げた作土
 掘揚げ作土を馬の左右に付けたビクに入れて運んだ
 その掘り跡を、S氏は池と呼ぶ

 S氏の居住集落には屋敷林の中に池・カマエボリをもつ農家がある(写真4)
 掘り跡周りの木々は後日植えられ、既存の屋敷林に合一したのか、ここでは不問
 いずれにしても当集落では、ミツカ造成用に屋敷裏の土を掘り揚げて運んだ

 資料1 ミツカの造り方
 <(S氏宅の)屋号が、ミツカ> うん、そうなんですよ、未だね、崩さないで(ミツカは残っている(写真2・写真3)。
  私のウチは、ミツカの土をね、馬で、後ろの池(写真1のカマエボリ)から、池を掘って、ビクっていう
 <馬に付ける> それを脇へ、もっこみたく、こーやって。それで、下を縛って、
  それへ、両方へね、均等にしないと、こけっちゃうからなー、馬で、
  東のウチの庭を通らしてもらって、上がってって、上へ上がっちゃ、紐をパラッとほどいて、
  それで積み上げたんだってゆうのは聞いてるんですよ。
 <池を掘った土を積み上げたんですか> はい、はい


 注 < > 筆者の質問等 ( )補足説明
 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2006年05月20日 撮影地:埼玉県久喜市





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揚舟の採寸 「群馬の水郷公園」

2015年03月10日 00時00分00秒 | 農村の水

写真1 船尾(とも・艫)の部分① 長さ66cm 基部幅61cm 先端幅73cm 左右の舷板部を除く先端幅64cm
     舟底の長さ475cm 舟底の最大幅93cm 2015/02/21(写真2~写真5も同じ)



写真2 船首(へさき・舳)の部分② 長さ114cm 基部幅64cm 先端幅(左右の舷板部を除く)44cm


写真3 舟底の長さ475cm 舟底の最大幅93cm 舷の高さ33cm:舟底から26cm+舷の上板の厚さ7cm 船首部②の基部幅64cm


写真4 舟底の最大幅93cm


写真5 船尾部① 先端幅73cm 左右の舷板部を除く先端幅64cm

写真6 写真7

写真6・写真7 倉庫軒下に吊り揚げられた揚舟(2011/05/04) 2015年01月02日には撤去されていた


写真8 谷田川河川敷の揚舟 魚釣りに使われているのであろう 2015/02/21

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 「群馬の水郷公園」(弊ブログ2015年02月26日)で出番を待つ揚舟
 2015年02月21日に、筆者は採寸(写真1~写真5)
 同日、谷田川の数ヵ所で釣り用の揚舟を見撮(写真8)

 洪水に備えて軒下に揚げ吊るされている舟ゆえに揚舟
 その姿を、2011年05月04日、農協倉庫に見る(写真6・写真7)
 2015年01月02日、撤去されていた
 洪水被災はないとの意識? 
 はたまた、倉庫の老朽化?

 執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真に記す 撮影地:群馬県板倉町



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