写真1 カスリーン台風洪水被災後に造成されたAさん宅のミツカ(土盛りと建屋)
2015年10月11日。埼玉県久喜市栗橋地区。写真2・写真3・写真4も同じ
写真2 カスリーン台風洪水被災後に造成されたAさん宅のミツカ(土盛りと建屋)
写真3 ミツカ(写真1・写真2)を含むAさん宅の屋敷構え(一部)
写真4 ミツカ(写真1・写真2・写真3)を含むAさん宅の屋敷構え(一部)
前菜畑は人生ベテラン女性Aさんがトラクターで耕耘し、自家用野菜をつくる
写真5 カスリーン台風豪雨による決壊状況
「国土交通省 利根川上流工事事務所」が設置したカスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑の案内板(写真7)
加須市柏戸地先・三国橋上流に立つ。2013年10月21日
写真6 カスリーン台風豪雨による被害。カスリーン台風による「決壊口跡」碑の案内板(写真5・写真7)
写真7 カスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑(左)と案内板(右:写真5・写真6を記載)
渡良瀬遊水地第1調整池の堤防に立つ。堤防下は加須市柏戸等
写真8 カスリーン台風豪雨による「決壊口跡」碑。群馬県板倉町海老瀬地先の渡良瀬遊水地第1調整池の堤防に立つ
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68年前の9月15日、カスリーン台風豪雨で大洪水発生
15日23時頃、北埼玉郡東村(現加須市)の利根川右岸堤防から越水
1時間後、16日0時頃、340mにわたり破堤(注1・写真5)
他にも各所で破堤、たとえば対岸の渡良瀬川遊水地、柏戸地先(写真5)
洪水は21日午前1時頃に東京都葛西地域に到達し、東京湾に流れ込んだ(注1)
大洪水時に小学6年生の人生ベテラン女性(Aさん)が次の1~4のようにご教示
Aさんの暮らす集落は利根川破堤箇所から数km、栗橋町(現久喜市)内
JR宇都宮線の東方、稲荷木落(旧利根川の一つ)の左岸に立地
栗橋町は破堤箇所に近い利根川右岸域に広がり、町内すべて泥海と化した
被災状況は次のとおり(注1)
死者18名、牛馬斃死12頭、流失家屋242戸、全半壊家屋1,011戸
床上浸水1,737戸、農作物収穫は皆無
1.ミツカは大洪水後に造成
9月の関東・東北豪雨による鬼怒川破堤洪水と同じような被害に遭った
小学6年だったのでしっかり憶えている、昨日のことは忘れるけれど
屋根に避難していると、土蔵をもつ家からキブネ・木舟で助けに来た
避難中のキブネ・木舟から手が離れて死にはぐった
死体、斃死牛馬、流失家屋など、ありとあらゆるものが流れていた
この被災によって親たちはミツカを造った(写真1~写真4・注2)
ほとんどの家にミツカができた
しかし、現在残っているのは僅か、必要ないと壊した
自分ちのミツカも不要品の倉庫、鼠の別荘 、傾いている(写真1~写真4)
2.オカイコさんを世話した
小学生の頃、オカイコサンを年3回育てた
ナルゴ(春蚕)、ナツゴ(夏蚕)、アキゴ(晩秋蚕)
学校から帰宅すると、桑を籠いっぱい摘んで来るように命ぜられた
春と秋は枝ごと伐った、夏は葉だけ摘んだ
夏から秋は日数が少なく、枝が伸びないので
3.棉繰りをした
寒風吹き荒ぶなか、棉摘みをした、親からさせられた
摘んだ棉を棉繰器で棉と種に分けた
棉の丈は低かった、腰くらいまでの高さだった
4.麦刈り、田植え、稲刈りで学校を休めた
農繁期に農家の子は小学校を休めた、先生に申し出て
非農家の子は休めなかった
休むのは恥ずかしかった
上記の話は、筆者が写真のミツカを見撮していたとき、ミツカ所有者のAさんが買い物のためにケイドから自転車で出て来られて立ち話
写真のミツカ、母屋、屋敷はAさんの生家、いわゆる婿取りさん
注1 『鷲宮町史 通史 下巻』532-537頁
同史典拠資料の一つは『昭和二十二年九月埼玉県水害誌』
注2 カスリン台風大洪水後のミツカ造成は、渡良瀬川右岸破堤洪水の被災集落でも実施。弊ブログ2015年04月02日
注3 ミツカや舟については次の弊ブログもご参照ください
2011年04月25日・26日・05月10日・27日・2014年09月06日
2015年02月10日・03月11日
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:2015年10月11日 撮影地:埼玉県久喜市
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