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世界遺産石見銀山遺跡へ行く

2011-05-06 | 散策

世界遺産石見銀山遺跡へ行く。

 

 

出雲市駅からJR列車で太田市駅へ、そこから石見交通バスに乗り換え、大森へ。
観光マイカー乗り入れ禁止地区であり、この街にはバスで行くことになる。

山の中に忘れ去られたような街並みが見事に保存されていた。
大森は、江戸時代に《銀山の街》として栄え、現在もほぼ当時の面影を残している。
石見銀山一帯で最大値で20万人の人口がいたとか。
相当な賑わいである。
江戸時代にタイムスリップしたような不思議な感覚を味わう。

 


この写真は、まだ観光客のいないひっそりとした大森の街の朝ようす。
どっぷりと銀山の雰囲気に浸りたく、この街でただ一軒の小さな宿に泊まった。
誰もまだ歩いていない。
一日の仕事がまだはじまっていない。
ネコがゆっくり朝の散歩をしていた。

宿を出たあと、またバスで移動。
今回の旅で一番の愉しみ「石見銀山最大の坑道跡 大久保間歩」へ

 

(つづき)
「石見銀山世界遺産センター」に到着。
すぐに予約をしていた「大久保間歩一般公開ツァー」の受付へ。
このツアーは期間限定、金、土、日、祝日の一日4回、さらに一回20名限定。
約2時間30分ほどの行程である。
申込時、「普通の観光とは違います。かなり歩きますので大丈夫ですか?」と念を押されていた。
そこまで言われると、一層期待が高まります。

ツァーはこんな感じで、登山ガイドを先頭に、山道へ。

途中、いくつかの間歩、いくつかの住居跡を通り、
いよいよ、石見銀山最大の《大久保間歩》へ。
近くに小屋があり、ここに駐在する保安員によって、厳重に監視されている。
中に入るときは、その小屋で、長靴に履き替え、ヘルメットをかぶり、そして懐中電灯を渡される。

 

中はもちろん真っ暗。
ガイドが先頭を行き、後ろには保安員がついてくる。
期待する《銀山という感覚》というより、まさに《人間が掘った洞窟》という感じ。
《ノミの跡》などと説明を受けるが、よく解らない。
光っているものがあると、
「あれ、銀ですか?」
「多分、水滴でしょう」

30分ぐらいで《大久保間歩》の見学を終え、さらに上へ上へ歩く。
そして、古代の遺跡かと思うような大きな岩山にぶつかる。
ここが、《釜屋間歩》。

 

 

慶長年間に発見され、この間歩での銀採掘で、石見銀山の産出量が飛躍的に増大。
のちに徳川幕府の台所を支える事になったとか。


さらに上にも幾つかの間歩が点在する。
まさに《夢の跡》である。
この辺りを中心に、
銀山の街があったこと、
大勢の働く人がいたこと、
そして何より大勢の人々の日常生活があったこと。
目をつぶり想うしかない。

 

 

石見銀山の銀は高品質で信用が高く、海外にも多く輸出され、アジアとヨーロッパを交易で結ぶ原動力になった。世界を動かす重要な役割を果たしたことになる。その遺跡が目の前にある。ただただ想像力を逞しく働かせるしかない。

「家は家の上に建て  軒は軒の下に連なり」(銀山旧記より)

 


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