駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

将棋名人戦第二局連想

2009年04月24日 | 小考
 将棋名人戦第二局は郷田が競り勝った。これで挑戦者が棒に負けることはなくなった。と同時に第三局で郷田が勝てば、ひょっとする可能性も出てきた。
 第一局は羽生が余裕を残して勝ったので郷田のタイトル奪取の可能性はほどんどなくなったように書いたが、どうも第二局を見ているとがっぷり四つから、挑戦者は相手の寄りを見切って堪え、最後は体を入れ替えて腰を落として逆に寄り切っている。今回の将棋は非常に難しく、長手数ながら一手一手の意味合いが深く、こうした将棋に勝つと郷田将棋に火が付く可能性があり、予断を許さなくなった。郷田は相手が誰かよりも自分の気分に影響される棋士なので(と私は思う)、自分の将棋に集中し無心になると羽生には怖い相手だと思う。
 ゲームには相手が居るので、論理的に見える碁や将棋でも、昔から敵を知り己を知れば百戦危うからず言われるように、相手のことを知らないで勝つのは難しい。 この場合の相手を知るというのは相手の考え方とか構想の傾向とか心の動きのことで、別に甘党だとか辛党だとかのことではない。もっとも昔、豆腐は絹ごしと木綿ごしとどちらが旨いかで争った大棋士もおられたようだが。
 羽生はこの点でも優れており、将棋に強いだけでなく相手を感じる能力とそれに対応する能力(ほとんど無意識に)が抜きん出ている。
 ここに書いて差し支えるといけないが、と言ってもプロが読むわけがないが、郷田は他のプロが見たら些細なところが妙に気になってしまう所があり、これは加藤先生に似ているのだが、それが勝負の上でマイナスに働くことがあると見ている。波に乗ればその欠点が消えると思う。
 さて、相手を知り己を知ればという孫子の兵法だが、これは医療のような人間相手の仕事では不十分と私は思っている。医療では相手(患者さんに)に知って貰うということが実は非常に大切なことなのだ。勿論相手(患者さん)が自分自身のことを知ることも欠かせない。これは医療に限らず、信頼を基調とする仕事の要諦と思っている。
 どうも権力の座にある人にはこれがしばしば欠けているように見えるのだが、いかがなものか。
 
コメント
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