駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

予見は不可能でも予防は可能

2013年09月28日 | 町医者診言

                     

 JR福知山線脱線事故で歴代三社長に、事故の具体的な予見は不可能ということで無罪の判決が言い渡された。裁判というのは市民の感覚とは異なる仕組みになっている。確かに特定の事故を予見出来なかった罪に問うことは、普通に考えれば無理筋で、無罪の判決が出ても反論しにくい。

 では、無罪だから罪がないかといえば、多くの人はそんなことはないと思われるのではないか。第一、罪に問われた社長自身も本心では清廉潔白で何の責任もないとは思っていないだろう?。

 遺族の方に不快な思いをさせる積もりは毛頭ないが、社長個人に罰金何*万円とか懲役何*年とかいう罪と罰を問う性質の問題ではないように思う。罰金や懲役ではない社長個人を標的としない償いや責任の取り方が問われている。それは社会全体で初めて成し得る仕事のように思う。

 東電の社長が放射能汚染はコントロールされていると首相と同じ見解を述べているようだが、それは福島原発現場でガイガーカウンタ-を手にしながら初めて言える事だ。遠隔操作でタンクの漏れ口を糊塗するのでは、放射能漏れを防ぐことは出来まい。ここにも逆方向だがすれ違いがある。意図的なところもあるのですり替えと言った方がいいかもしれない。なぜ、首相と社長が同じことを言うのだろうかと思われてしまう。

 裁判になじまなくても罪や責任がないわけではない。真っ当な償いを求め責任を問うのは社会全体の仕事、とすればマスコミの役割は深く大きい。

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