駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

享年の驚き

2018年10月16日 | 人物、男

       

 出版ニュースを見ていたら神奈川近代美術館で寺山修司展を開催とあり、寺山修司が四十七歳で亡くなっているのに気づいてぎょっとした。六十歳くらいで亡くなったような気がしていたからだ。勿論、昭和五十八年寺山が亡くなった時には、まだ若いのにと思ったはずなのだが、三十五年を過ぎていつの間にか、六十歳くらいで亡くなったように記憶が変わっていたらしい。

 私の四十七歳と言えば開業三年目で、まだ駆け出しの気分で居たし、七十過ぎた今でも馬齢を重ねただけで、何かを成し遂げたという感じは乏しい。何かの業績や作品を残した人はそれなりの年齢まで生きたような感覚(錯覚)が出来ていたらしい。四十七歳と言えば今の感覚ではまだまだ若いという気がする。

 寿命が延びると生きた内容も薄まり、四十五十では十分に生きた業績や感覚が生まれにくくなっているのかもしれない。

 書を捨てて街へ出ようと言った寺山が平成三十年の世を見たら、携帯を捨てて書を手に取ろうと言ったかもしれない。

コメント
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