駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

苛めの構造を

2018年10月26日 | 小考

          

 安田さんというフリージャーナリストが解放された。詳しいことは知らないので良かったとしか言えない。

 しかし人質を取って虐待するというような残虐で卑劣なことが、どうしてできるのかと不思議な気がする。人間のどこからそういう行為をさせる感情が湧いてくるのだろうか。確かに私にも子どもの頃、四、五人でS君を苛めた記憶がある。S君は体力的には弱い方だったが成績優秀で特に嫌われているという訳ではなかった。鞄を隠したり水溜りに嵌まらせたりした。自分でもなぜそんなことをしたのか六十年前の気持ちがわからない。授業で困ったり、ズボンが汚れたりで大変だったと思う。本当に苦しめるようなことはしなかった?と思うし、S君が先生に言いつけた記憶もない。唯、我々と距離を置くようになり、自然苛めることもなくなった。卒業する頃には元通り仲良くしていた。今では悪いことをしたなあと申し訳ない気がしている。

 なんとなく気に食わない、イジメて面白いといった気持ちが、こうした苛めの大元なのだろうか?。そうしてそうした気持ちが大人になると捻じれて悪の花を咲かせるのだろうか。言いにくいがこうした卑怯卑劣な行為を行う情動には個人差があると思う。それに遺伝要因と環境要因がどのように絡まっているのか、まだまだ、十分な科学的な解析は出来ていないように思う。精神科医には甘えの構造に続けて苛めの構造を著してもらいたい。

 AIがもてはやされる現代、飛躍して短絡的かもしれないが、科学は平穏をもたらすことができるだろうかという疑問が湧いてくる。

コメント
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