朝日カルチャーセンター☆ブログ

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●永井均先生が語る「自分が自分であるとはどういうことか」 【京都】

2008年10月10日 15時13分24秒 | 京都教室
永井均先生をご存知ですか?
たいへん人気のある哲学者なので、「われこそはナガイスト」をもって任じて
いる方も多いことでしょう。「どこかで名前を聞いたことがある」という方も
いらっしゃるかもしれませんね。


担当Kの永井先生との出会いは、今から?年前、まだ学生だった頃に読んだ『ルサンチマンの哲学』という一冊の本でした。内容は全く新しいニーチェ論なのですが、対人関係や社会とのかかわりの中で劣等感やさまざまな屈折した思いを抱え、いつもイライラしていた当時のわたしにとって、このタイトルはとても魅惑的でした(なんといっても帯広告は「道徳は復讐である」!)。
けれどそんなドロドロした思いを軽く超越してしまうほど読後感はすがすがしく大げさな言い方をすれば、生きていく上での「覚悟」のようなものがこの時決まったのかもしれません)、また「哲学ってこんなに人間味のある学問だったんだ」と驚いたことを今でもよく覚えています。


 
今回は京都に永井先生をお迎えして、「自分が自分であるとはどういうことか」というテーマでお話していただきます。
地球上にはたくさんの人間がいるのに、自分である人はただ一人だけであるということはどういうことなのか…、このような哲学的な問題を考えていきます。

たとえばあなたの最愛のパートナーが、お子さんが、年老いたお母さんが、「死にたい」と言い出したとき、あなたはかけてあげる言葉をみつけることができますか?
永井先生はその著作の中で、自分が存在すること、それ自体が「奇跡」であるという言い方をしています。そしてそのことは「どんな因果性からも説明できないし、どんな理由や根拠づけも、そこにはおよびえない」とも…。


奇跡のような自分の存在を大切にしなさい、と言ってしまうと、とたんに薄っぺらな話になってしまうようで残念です。でも、「死」が怖いと思ったとき、自分の存在の不安に気づいたときに、ひとは哲学を始めるのではないでしょうか。そう考えると、哲学は難しいものでもなんでもなく、私たちが幼い頃から体験してきたことなのですね。


むすびにかえて、永井先生の『翔太と猫のインサイトの夏休み』の中からわたしが大好きな箇所を引用させていただきます。
これは、全編を通じてのび太を諭すドラえもんのように、中学生の翔太に哲学的なものの考え方を教えてきた猫のインサイトが、最後に翔太から哲学をすることの必要について聞かれたときに答えた言葉です。


「ぼくはね、ぼくの場合は、はっきりしてるよ。怖いからさ。
ぼくはね、きみに哲学を教えるようなふりをしてるけど、
ほんとうは自分に語っているのさ。ぼくはね、自分の存在の意味を、
どうしても考えちゃうんだ。自分の存在が不安なんだ。」



   猫には哲学がよく似合う!?
   担当Kの猫です


関西で永井先生にお会いできる機会は多くはありません。
みなさまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

詳細・お申し込みは「自分が自分であるとはどういうことか」
もしくは京都教室(075-231-9693)までどうぞ!
コメント (2)
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