大西順子
京都生まれの東京育ち、1989年にボストンのバークリーを卒業後、ニューヨークを中心に活動、1992年に帰国、向井滋春(tb)グループのピアニストとして日本デビュー。
同年9月、東芝系ジャズ・レーベルのsomethin’elseへピアノ・トリオ・アルバム「WOW」をレコーディングし、スイング・ジャーナル主催第27回(93年度)ジャズ・ディスク大賞受賞。

それからというものは、世界各地でのライブや、同レーベルを中心に次々とレコーディングを行うも、98年秋に突然ライブ活動を中断、そして数年前に復活を果たしましたが、昨年秋に「やりたいことは全てやった」と演奏活動から足を洗って、後輩の指導に専念すると、今度は本当に演奏を辞めることになったはずでした。
しかし、最後のライブ会場に居合わせた小澤征爾と村上春樹(大西の大フアン)が、その場で「引退反対」と叫んだことから、この9月に1回限りのセッションが行われることとなり、その模様が9月30日(月)午前0時からNHKBS103で放映されました。
この演奏会は、毎年長野県松本市で開催されている「サイトウ・キネン・フェスティバル」で、番組では小澤征爾の病気からの回復に合わせて「復帰の夏 2013」という副題がついていました。
大西順子のサイトの中に、このフェスティバルの紹介があり、その一部に小澤さんと村上さんのコメントが載っていました。
http://www.saito-kinen.com/j/news/interview2013.shtml
そしてレギュラー・トリオで、チャーリー・ミンガス作曲のソー・ロング・エリックを始め全3曲と、小澤征爾指揮によるオーケストラとの共演で、ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを披露しました。
演奏が素晴らしかったのは当然のこととして、小澤征爾とのリハーサルでのやり取りもあり、非常に興味深い内容でした。
彼女は「今回は大分緊張した、何時もとちがう、なぜだろう」と、演奏終了後に語っていました。
テレビ放映の影像の一コマを紹介します。


大西順子の演奏がこれで最後かと思うと、本当に残念です。
なお彼女のトリオで、ソー・ロング・エリックが聴けるアルバムは、下記の2枚のCDです。

番外編ですが、ラプソディー・イン・ブルーといえば、山下洋輔はこれをピアノ・ソロで演ってます。
(演奏時間 13分30秒)

京都生まれの東京育ち、1989年にボストンのバークリーを卒業後、ニューヨークを中心に活動、1992年に帰国、向井滋春(tb)グループのピアニストとして日本デビュー。
同年9月、東芝系ジャズ・レーベルのsomethin’elseへピアノ・トリオ・アルバム「WOW」をレコーディングし、スイング・ジャーナル主催第27回(93年度)ジャズ・ディスク大賞受賞。

それからというものは、世界各地でのライブや、同レーベルを中心に次々とレコーディングを行うも、98年秋に突然ライブ活動を中断、そして数年前に復活を果たしましたが、昨年秋に「やりたいことは全てやった」と演奏活動から足を洗って、後輩の指導に専念すると、今度は本当に演奏を辞めることになったはずでした。
しかし、最後のライブ会場に居合わせた小澤征爾と村上春樹(大西の大フアン)が、その場で「引退反対」と叫んだことから、この9月に1回限りのセッションが行われることとなり、その模様が9月30日(月)午前0時からNHKBS103で放映されました。
この演奏会は、毎年長野県松本市で開催されている「サイトウ・キネン・フェスティバル」で、番組では小澤征爾の病気からの回復に合わせて「復帰の夏 2013」という副題がついていました。
大西順子のサイトの中に、このフェスティバルの紹介があり、その一部に小澤さんと村上さんのコメントが載っていました。
http://www.saito-kinen.com/j/news/interview2013.shtml
そしてレギュラー・トリオで、チャーリー・ミンガス作曲のソー・ロング・エリックを始め全3曲と、小澤征爾指揮によるオーケストラとの共演で、ガーシュインのラプソディー・イン・ブルーを披露しました。
演奏が素晴らしかったのは当然のこととして、小澤征爾とのリハーサルでのやり取りもあり、非常に興味深い内容でした。
彼女は「今回は大分緊張した、何時もとちがう、なぜだろう」と、演奏終了後に語っていました。
テレビ放映の影像の一コマを紹介します。








大西順子の演奏がこれで最後かと思うと、本当に残念です。
なお彼女のトリオで、ソー・ロング・エリックが聴けるアルバムは、下記の2枚のCDです。


番外編ですが、ラプソディー・イン・ブルーといえば、山下洋輔はこれをピアノ・ソロで演ってます。
(演奏時間 13分30秒)
