Graciela Susana (グラシェラ・スサーナ)
1953年1月22日生まれで、小さい時から歌とギターに関心を持った少女は、アルゼンチンでは「天使の歌声」と賞賛され、フォルクローレやタンゴを唄っていました。
日本で知れ渡ったのは、1971年に南米旅行中の菅原洋一氏の目に留まり、日本での共演を企画したことからです。
この辺の経緯については、最初のアルバムに掲載されています。
今回、彼女のアルバムを取り上げたのは2つの理由があります。
1つは彼女の唄う「アドロ」を私のオーディオ・チェック用としていること。
もう1つは、彼女がタンゴ、シャンソン、スクリーン・テーマは勿論、日本のポップス、歌謡曲までをカバーするなど非常に幅が広く、しかも完璧な日本語で唄うことができる歌手の一人であるからです。
まずはオーディオ・チェック用に使用している「アドロ・サバの女王」から、
このレコードは、1曲目に「アドロ」が入っています。
その曲は、最初に生ギターをバックに歌がスタートし、コーラスの途中からはピアノ、ベース、ドラムスの他、ラテン楽器(ギロ)も少し聴こえます。
彼女は最初のコーラスを日本語で、後半はスペイン語で唄っていますが、私がオーディオ・チェック用としている訳は、このレコードが色々な条件が揃っていて、しかも優秀録音であるからです。
(レコードは外周に記録されている「音」の方が条件は良いです)
そこで彼女の歌声、生ギター、ベースやドラムのバス・ドラのピシッと締った音がバランス良く、且つしっかり再生出来るかどうかということがチェック対象となり、カートリッジを変えたり、機器を動かしたりした時には必ずこのレコードがターン・テーブルに乗っています。

ちなみに「アドロ」は、メキシコのアルマンド・マンサネーロ(Armando Manzanero)が作詞作曲した曲で、1967年発表されています。
アルマンド・マンサネーロは1935年生まれで、作曲家および歌手としても活躍しています。
原詩はスペイン語で、日本語は1971年に、毬まどかの作詞でグラシェラ・スサーナの歌により日本で知れ渡りました。
上記のレコードの続き、以下は手持ちの他のアルバムです。
「RUIDOS」(愛の音)
彼女の初来日時(1971年)に録音された、日本でのデビュー・アルバムです。
この時、若干18歳、若々しい歌声が魅力です。


2曲目の「サバの女王」は、アドロの方と同じもので、このアルバムで録音されたものが最初です。
最初のレコーディングでありながら、歌謡曲、日本のポップスを上手く唄っています。
最近、カバー・アルバムを作る歌手が流行っていますが、このアルバム等はその奔りでしょうか。
「愛と別れ」
70年代、当時日本で流行っていた歌ばかりを集めたアルバム

「哀歌」
最初のレコーディングから11年後の1982年の録音で、演歌にも挑戦しています。
このレコードは見本盤ですが、つい最近手に入れました。
ジャケットからは大人になった彼女が伺えますが、「歌声」は最初の頃とあまり変っていませんでした。
1953年1月22日生まれで、小さい時から歌とギターに関心を持った少女は、アルゼンチンでは「天使の歌声」と賞賛され、フォルクローレやタンゴを唄っていました。
日本で知れ渡ったのは、1971年に南米旅行中の菅原洋一氏の目に留まり、日本での共演を企画したことからです。
この辺の経緯については、最初のアルバムに掲載されています。
今回、彼女のアルバムを取り上げたのは2つの理由があります。
1つは彼女の唄う「アドロ」を私のオーディオ・チェック用としていること。
もう1つは、彼女がタンゴ、シャンソン、スクリーン・テーマは勿論、日本のポップス、歌謡曲までをカバーするなど非常に幅が広く、しかも完璧な日本語で唄うことができる歌手の一人であるからです。
まずはオーディオ・チェック用に使用している「アドロ・サバの女王」から、
このレコードは、1曲目に「アドロ」が入っています。
その曲は、最初に生ギターをバックに歌がスタートし、コーラスの途中からはピアノ、ベース、ドラムスの他、ラテン楽器(ギロ)も少し聴こえます。
彼女は最初のコーラスを日本語で、後半はスペイン語で唄っていますが、私がオーディオ・チェック用としている訳は、このレコードが色々な条件が揃っていて、しかも優秀録音であるからです。
(レコードは外周に記録されている「音」の方が条件は良いです)
そこで彼女の歌声、生ギター、ベースやドラムのバス・ドラのピシッと締った音がバランス良く、且つしっかり再生出来るかどうかということがチェック対象となり、カートリッジを変えたり、機器を動かしたりした時には必ずこのレコードがターン・テーブルに乗っています。


ちなみに「アドロ」は、メキシコのアルマンド・マンサネーロ(Armando Manzanero)が作詞作曲した曲で、1967年発表されています。
アルマンド・マンサネーロは1935年生まれで、作曲家および歌手としても活躍しています。
原詩はスペイン語で、日本語は1971年に、毬まどかの作詞でグラシェラ・スサーナの歌により日本で知れ渡りました。
上記のレコードの続き、以下は手持ちの他のアルバムです。
「RUIDOS」(愛の音)
彼女の初来日時(1971年)に録音された、日本でのデビュー・アルバムです。
この時、若干18歳、若々しい歌声が魅力です。




2曲目の「サバの女王」は、アドロの方と同じもので、このアルバムで録音されたものが最初です。
最初のレコーディングでありながら、歌謡曲、日本のポップスを上手く唄っています。
最近、カバー・アルバムを作る歌手が流行っていますが、このアルバム等はその奔りでしょうか。
「愛と別れ」
70年代、当時日本で流行っていた歌ばかりを集めたアルバム


「哀歌」
最初のレコーディングから11年後の1982年の録音で、演歌にも挑戦しています。


このレコードは見本盤ですが、つい最近手に入れました。
ジャケットからは大人になった彼女が伺えますが、「歌声」は最初の頃とあまり変っていませんでした。