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珍しいもの、美味しいもの

2013-10-21 | グルメ
珍しいもの、美味しいものが3つ揃いました。

☆ 「ロシア産の蜆」
時々買い物に行く鮮魚センターで、100g 75円也の安価で200g購入してきました。
以前、網走の蜆を紹介したことがありましたが、それ以上に大きい貝で、500円玉にも負けません。
店員さんから「普通の蜆より大味だよ、珍しいので呑み屋さんなどから注文があるよ」、
そして「身が大きいからアサリの酒蒸しと同じように、シジミの酒蒸しとして食べるといいよ」と教えて頂きました。
しばらく冷凍して酒蒸しで頂きたいと思います。
(写真は国産とロシア産のシジミの一部で、トータルはこの4倍ほどの数量です)



☆☆ 「鹿児島産芋焼酎」
原材料 甘藷・米麹(黒)
普通の焼酎のアルコール分は24 ~ 25 度ですが、この芋焼酎は37度です。
製造元は鹿児島県指宿市の有限会社 大山甚七商店で、特別に仕込んで頂いたものです。
 

甘藷(かんしょ)とは   日本酒造組合中央会の資料から
ヒルガオ科の匍匐(ほふく)性植物。サツマイモ・リュウキュウイモ・カライモ・ウム・ハンスなど地域により様々な呼び名がある。暑さと乾燥に強く荒地にも平気で育つ。
原産地は中央アメリカ。
1492年、新大陸を発見したコロンブスがスペインへ持ち帰りこれが世界各地に広まったという説と、フンボルト海流に乗って太平洋を横断したという説がある。
今日ではアジアとアフリカが二大産地であり、中でも中国は世界の全生産量の4分の3を占める。
中国へは1594年、福建省びんの陳振龍が呂宋(るそん)から蔓(つる)を持ち帰り広めた。
琉球への渡来は1605年のことで、尚寧(しょうねい)王の命を受けて明へ渡った野国総官(のぐにつがん)がびんから鉢植の芋を持ち帰った。
儀間親雲上真常(ぎまぺーちんしんじょう)はこの芋を栽培普及させ、琉球での救荒食量を確保した。
薩摩へは17世紀初頭ルソンなどの南方諸国より伝来したと伝えられ、同じころ(1615年)ウイリアム・アダムスは琉球から平戸の英国商館へ芋一袋を送っている。
この当時は栽培や保存の方法が充分に分かっていなかったため、普及には至らず、広く栽培されるようになるのは1700年代になってからである。
元禄一一(1698)年、琉球王尚貞からカンショ一篭(かご)が種子島の領主、種子島久基に贈られ、栽培された。
これより七年後の宝永二(1705)年、南薩摩の揖宿(いぶすき)郡山川郷の漁民前田利右衛門が琉球からカンショを持ち帰り、急速に普及していく。
利右衛門は唐芋翁(からいもおんじよ)と崇められ、明治一二年徳光(とくこう)神社に祀(まつ)られた。
享保二〇(1735)年には救荒作物としての重要性が幕府に認められ、青木昆陽(こんよう)により普及が図られる。
この後、カンショは救荒作物としてではなく、徐々に日常の重要食糧となっていく。
カンショが焼酎原料となるのも1700年代に入ってからのことである。



☆☆☆ 「山梨県産ワイン」
原材料 ベリーA種(赤)、甲州種ぶどう(白)
製造元は山梨県甲州市勝沼町の山梨園のもので、元は園主が晩酌で飲みたいがために、自分の畑で収穫したぶどうを使って
ワインを造ったのが始まりだそうです。
この赤と白、外国産果汁や醸造用アルコールなどは一切入っておらず、純甲州産ぶどうだけで造られたワインです。
ラベルも下記の手書きのものがセロテープでラフに止めてあるだけなので、貼る位置もバラバラです。
 

園主曰く、混ぜ物が入っていないので、いくら飲んでも割れ酔いしないのだそうです。
良いこと聞いたけど、飲み過ぎはいけませんよね…
価格も手ごろだし、ネットでも購入できます。
私はこの連休中に頂いてみたいと思っています。
 

コメント
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