Vers la lumière 光ある方へ・・・

AtelierGrace発、ステンドグラスと教会のブログ。

新婚旅行記(最終回)・アイゼナハ

2014-03-28 20:51:02 | 旅行

途中長い中断を経て(^_^;)書き綴ってきた新婚旅行記もいよいよ最終回です。ギーンゲンからウルムへ戻り、さらにフランクフルトまで行って一泊。翌日ICEでアイゼナハへ向かいました。もう10年ほども前、私に洗礼を授けて下さった牧師が現在ドイツに留学中で、今回アイゼナハを案内して頂きました。

アイゼナハ中央駅のステンドグラス

駅から少し歩くとルター像に出会いました。昔社会の授業で習った知識がよみがえってくるようです

「バッハの家」近くのHotel am Bachhaus(ここに宿泊しました)で昼食後、バスでヴァルトブルク城へ。

麓でバスを降りて、お城までしばらく歩きました。ドイツ語のガイドツアーで内部を見学(聞いても数字くらいしかわかりませんでしたが)。ステンドグラスの写真は沢山撮ったので後程まとめてアップします。

↑の「祝宴の間」で解散の後、ルターが新約聖書をドイツ語に訳した小部屋へ。非常に質素な部屋で、当時のルターの苦労が偲ばれます。これからは聖書を手に取る度、ルターの偉業に感謝しなければなりませんね。

ちなみに聖書の翻訳中、ルターの邪魔をしたという悪魔。ルターはアタマにきてインク壺を投げつけたらしい

お城の中のカフェでひと休み。丁度イースター前でしたが、こういうイースターエッグの飾り方は多分初めて見ましたドイツではこうやって木に吊るして飾るのが一般的なのか、この後も街のあちこちで同じようにしているのを見かけました。今思えば、草月のお花にも応用できそうな飾り方ですね

この吊るす卵があまりにかわいいので、この後街中で陶器製の卵を購入しました。陶器と陶芸の作品を置いているお店でしたが、お店の女性の方が自ら絵付けをしていると話してくれました。飾ったところの写真を後程またご紹介したいと思います。

ヴァルトブルク城から見下ろした、アイゼナハの街並み。

やっぱりドイツは寒い。帰り道、池が凍っていたルターもこんな道を散歩していたのでしょうか。。。

この日はアイゼナハに宿泊し翌27日、マルクト広場の中央に建つ、ゲオルク教会へ。この教会で1521年にルターは説教をし、バッハは1685年に洗礼を受けています。

入ってすぐ、いかついバッハに遭遇。

修学旅行の高校生がぞろぞろ…聞けば、カナダから来たとか。アルルでも修学旅行らしき団体に出会いましたが、海外でも修学旅行ってあるんですね~。

かわいい(洗礼盤及び説教台の天使

1498~1501年まで、学生時代のルターが住んだ「ルターの家」。中はルターの生涯を辿る展示になっています。家の前には「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」というルターの名言にちなんだリンゴの木があります

 

かつてバッハ一族が住んでいた「バッハの家」。内部は当時の様子を再現した部屋があるほか、様々なバッハの音楽を楽しめるスペースがあったり、チェンバロの生演奏を聴くこともできました。私も花巻に来てから月1ペースで主日礼拝の奏楽を担当するようになりました。楽器は高3までエレクトーンをやって以来すっかり自己流になってしまっていますが、それでもなるべく良い演奏ができるように、時間を見つけて練習に励みたいと思っています。

でもこんなバッハはいやだ!!!!!

この日のお昼ごはん。元々肉は大好きですが、こうも毎日続くとさすがにマズいと思うも、なかなか食べたいと思う魚料理に巡り合えず…もしかしたらこれがこの旅行で初めて食べた魚かも…(汗)

この2日間は今まで教科書や教会で得た知識でしかなかったプロテスタント教会の歴史を肌で感じることができ、大変有意義な2日間でした。案内して下さった先生と別れてフランクフルトへ戻り、いよいよ新婚旅行最後の夜。フランクフルト駅でおそうざいを買って、空港近くのホテルで乾杯翌28日朝フランクフルトを発ち、29日の朝成田に到着(いつ寝ていいのか困った)。そして着いたその日に引っ越しの荷物を送り、翌日花巻へ発ち、その翌日イースター礼拝…という超殺人的なスケジュールが待っていたのでした今思えば本当によく乗り越えたなとしかしこれから先、いつこんなに長い旅行ができるかわかりませんから、無理をしてでもこの時期に行っておいて良かったなと今でも思っています。夫も初めての海外でしたが、今後教会に仕えていく上で色々と有益な旅だったと思います。そしていつかまた(具体的には次のオーバーアマガウの受難劇の時など…)、ヨーロッパの地に降り立てたらと願っています。長らく旅行記を読んで下さった皆様、ありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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新婚旅行記⑦ギーンゲン

2014-03-28 10:55:47 | 旅行

同日、ウルムの北東約30kmにあるギーンゲンを訪れました。ここにはテディベアで有名なシュタイフ本社工場があり、ずっと昔から行きたいと願っていた場所でした。

そうそう、話が逸れますがドイツと言えば最近、花巻にドイツ人の宣教師ご夫妻が引っ越して来られ、うちの教会にも何度かいらして下さいました。ネットで調べると花巻にはお寺は50幾つもあるのに教会はたった4軒ほどで、共に伝道の業に携わる仲間が増えたことは大変嬉しく、また心強いものでした。(ちなみにワタクシも大学時代、一応第二外国語で2年間ドイツ語をやったのですが、(ワタクシには)難しすぎたのと、普段使う機会がなかったため全くモノになりませんでしたその当時はまさか自分が本当にドイツへ行く機会に恵まれるとは思いもよらず

さて、ギーンゲンに話を戻します。ウルムから電車で25~35分ほどでギーンゲンに到着。何と、駅の壁にもボタン・イン・イヤー!一気にテンションが上がりました

小さな街なのに駅を出てすぐに日本語の表示があり、ベアを愛する日本人観光客が多いことを思わされました

クマさんの足跡を辿っていくと、シュタイフワールドに着くようになっています。粋ですな

ちなみにギーンゲンも吹雪で、南仏の暑さが嘘のようでした寒々とした川。

市庁舎。

教会にも入らないわけがない(笑)テディベアの産みの親、マルガレーテ・シュタイフもこの教会に通ったようです。

側面のステンドグラスはシンプルで日本の一般住宅にもよく似合いそう。

市庁舎の近くでお昼ごはん。何せメニューが読めないので何の店だか全くわからずに入ったら、どうやらギリシャ料理の店だったよう。オットは「テサロニケプレート」なるものを注文。

↑これが1人前ですから当然お腹がはち切れそうな状態で店を出てシュタイフワールドへ向かう

↑シュタイフワールド入口。中はシュタイフ社の歴史をぬいぐるみと触れ合いながら学べる体験型ミュージアムになっていて、日本語で案内を聴きながらクマの世界を堪能

エッフェル塔にやって来たクマさん。

ちなみに日本…富士山とかじゃなく何故か漫画とゲーム、フィギュア。フランスでもそうでしたが最近の若者の日本イメージってこんなもんなんでしょうか…

他にも、乗っても壊れないような頑丈な大型動物のぬいぐるみや滑り台など…まだいないけど、次は子どもを連れて遊びに行くのが夢ですね

そして、自分用ぬいぐるみもしっかりゲットしましたが、写真を撮っていなかったので後日またアップしますちなみにこちらは姪(1歳)へのお土産いくら振り回したり口に入れてもびくともしないようなしっかりとした作りで、シュタイフの「子どもにこそ最良のものを」という精神が今も脈々と受け継がれているのがわかります。

お次はいよいよ旅行記最終回、バッハとルターゆかりの地、アイゼナハへ向かいます

 

 

 

 

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新婚旅行記⑥ウルム

2014-03-28 10:23:59 | 旅行

'13年3月24日日曜日、モンタルジ―の教会の礼拝に出席し、Cさん宅でランチをし、夕方Gare de l'Estまで送ってもらいました。ここから夜行に乗り、ドイツのウルムへと向かいました。南仏があまりに暑かったためダウンジャケットをモンタルジ―の郵便局から日本へ送り返してしまっていたのですが、何とドイツでは雪がチラついているじゃありませんか!!しかし車内の普通のボックス席で震えていたら、何と車掌さんから「寝台に乗ってもいいよ」とのお許しが!!!一気にドイツが好きになった(笑)

早朝6時頃ウルムへ到着。駅で朝ごはんを食べて、大聖堂が開くまで時間があったので、地図に載っていた「アインシュタインの泉」へ行ってみる(彼はウルム生まれらしい)。モニュメントがあるらしいがガイドブックに写真は載っていなくて、実際なかなかそれらしきものも見つからず、散々探してやっと見つけたのは…。

何と立像ではなく、何故か巻貝?と合体した姿のアインシュタイン。思わず脱力&大爆笑…そして雪が積もってます。南仏とは天地の差です

そしてやっと9時になり、世界一の高さの塔を持つ大聖堂へ。留学中ケルン大聖堂にも行きましたが、ウルムは単塔だからか印象としてはケルンの方が圧倒されるような感じがしました。しかし、塔の高さはケルンは157m、ウルムは161.53mだそう。

暗くなってしまいましたが、カタリナのステンドグラス。

冬場で足元が危険なためか半分までしか行けないようになっていましたが、世界一の塔にも登りました。このような大聖堂に行くといつも上へ登りたくなってしまうのですが、毎度のことながら登ってしまってから激しく後悔するのでした(下を見ると怖い!!!)しかし、塔の上の方にも装飾があるのを見ると、かつて危険を冒してもそれを作った人間がいたということなんだよなぁ…としみじみ思います。

…意外と長くなってしまったので、この後行ったギーンゲンは次回に回します

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新婚旅行記⑤モンタルジ―

2014-03-27 22:36:11 | 旅行

気付けばもう3月も終わり。花巻へ来て早1年が経とうとしています。庭の雪解けのあとからチューリップや水仙が芽を出し、やっと長かった冬の終わりを感じられるようになりました昨年の今頃は新婚旅行に行っていたなということと同時に、まだ旅行記が未完であったことにも気づきました随分前のことで申し訳ありませんが、サント・マリー・ド・ラ・メールの続きから書いていきたいと思います。

2013年3月21日朝、Avignon TGV駅を発ってパリへと向かいました。2009年にステンドグラスの勉強のため留学していた、パリから電車で1~1時間半ほどのところにあるモンタルジ―という街が目的地です。「カトリックの国」というイメージの強いフランスですが人口の1%ほどはプロテスタントと言われており、モンタルジ―にもプロテスタント教会がありました。留学して1ヶ月ほどの時、ほとんどフランス語を話せない状態でそこへ飛び込みましたが、そこで沢山の信仰の友を与えられ、何人かの方と今でも交流が続いています。特に毎週日曜日に私を教会へ送り迎えしてくれたり、教会の方々の話を英語に通訳したりしてくれて懇意にしていたCさんが、この日パリまで私たちを迎えにきて下さいました。

 

街の中心にある、サント・マドレーヌ教会。ミサ以外の時は鍵が閉まっていることが多かったのですが、この日は運良く扉が開いており、懐かしいステンドグラスの数々と再会することができました。絵付けの難しさに行き詰る度ここで本物の技法をじっくりと目に焼き付け、また気力を奮い立たせていたことを思いだします。

教会の名前にもなっている、マグダラのマリアのステンドグラス。

何とこの教会には、日本人に布教中のザビエルのステンドグラスがあります!日本人たちの衣装や背景が微妙に中国っぽいですが…

運河の街とも言われるモンタルジ―の街中をお散歩。お店や家々のひとつひとつが懐かしくてたまりませんでした。今まで結構ハードな旅を続けてきましたがモンタルジ―ではCさんの家にのんびり3泊し、留学中お世話になった先生方や教会の友人たちとの再会を喜びました。滞在中は友人たちが毎日誰かしらの家で食事会を開いてくれたり、日曜日には留学中に通っていた教会の礼拝に出席することもできました。意思疎通の難しい私を受け入れ、親切の限りを尽くして下さった方々のことを思い出すにつけ、今も尚胸にこみ上げてくるものがあります。いつかまた必ず再会し、共に礼拝ができる日を願ってやみません。

 

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新婚旅行記④サント・マリー・ド・ラ・メール

2013-09-12 12:52:27 | 旅行
旅行4日目、早朝にエクスを発ち、バスでアルルへ向かいました。アルルの駅で大きな荷物を預けて観光しようと思っていたのです…が!!

何と、駅にコインロッカーがない!!売店の人とかに聞いても「ない」ということだったので確かでしょう。仕方なく重い荷物を抱えたまま1日観光する羽目になりました…。こんな事態を想定して、旅の荷物をスーツケースではなく登山用リュック(ホタテ貝をぶら下げたら巡礼スタイルになりそうです)にして正解でした。コロコロだったらもっと最悪ですから…ちなみに、アルルの駅から街中までは少し歩かなくてはいけません。アルル観光の際はご注意を!!

サン・トロフィーム教会。教会入口の彫刻にまず圧倒されます。



タンパン(入口上部の半円形部分)には、「最後の審判」のキリストが描かれています。

そのすぐ下の小さな人物像は、向かって左が、キリストに向かって列を作る「選ばれし者」。



右は、キリストから離れていく「見放されし者」。鎖で繋がれています。しかし何だか憎めない感じですね(笑)



有料で教会回廊を見学できます。柱の彫刻の人物がちっちゃくてかわいい



大きなロンデルに絵付けしてあります。





ゴッホの「Cafe la Nuit」(夜のカフェ)のモデルとなったお店、「Cafe Van Gogh」にてコーヒーを1杯



旅行記③で書いた、サント・マリー・ド・ラ・メールには、アルルからバスが出ています。小さな街なので、2、3時間あれば十分観光できます。着いたらお昼ご飯。



南仏と言えばブイヤベース。サントマリーも海に面しているので、魚介料理のお店が沢山ありました。夫は本場のブイヤベースを堪能していましたが、残念ながら私は貝類甲殻類がダメなので、ここのお店ではステーキしか選択肢がありませんでした。それにしてもこのすさまじい量…軽く日本の倍はありそうです

街の小さな教会。この地に流れてきた2人のマリアの死後礼拝堂が建てられ、信仰を集めるようになりました。ちなみにこの教会は、海賊やサラセン人の海からの攻撃に対処する要塞の役目も果たしていました。



教会地下聖堂。マリア・サロメの下女で、女主人と共にこの地で生涯を終えた黒人女性、サラの像が祀られています。サラはエジプト出身の黒人であったことから、フランス中のロマ(ジプシー、仏語ジタン)の守護聖人として信仰の対象となっています。





日本のお地蔵様のように、豪華な衣装を着せられていますね。



'09年に訪れた時は、丁度お祭りの時期で、2人のマリアとサラの像を担いで海へと行進する様子も見ることができました。民族衣装の女性たちも沢山いて、とても華やかな雰囲気でした。

教会南側の入り口から、階段を上って屋根に上がることもできます。階段はすれ違えないほど狭いので、入口と出口が別になっているようです。





屋根の上なので斜めになっていて歩きにくいです。しかも急斜面で怖い!!足を滑らせて怪我…なんてことにならずにほっとしました



しかし屋根の上からの眺めは最高です



地中海も見渡せます。帰りのバスまで時間があったので、この後砂浜にも降りてみました。



小さな街ですが、街中にはかわいらしいカフェやレストラン、プロヴァンスのお土産物屋さんもひしめいています。プロヴァンス陶器や石鹸などをお土産としてここで一気に買いました。

しかしこの日は荷物が重かった南仏が大好きなのでまたいつか巡りたいと思っていますが、さて、いつになることやら…。


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