Vers la lumière 光ある方へ・・・

AtelierGrace発、ステンドグラスと教会のブログ。

『かくれキリシタン 長崎・五島・平戸・天草をめぐる旅』

2019-01-07 13:55:59 | 本の紹介
新年初のブックレビューです'18年4月に発行されたばかりの『かくれキリシタン 長崎・五島・平戸・天草をめぐる旅』(後藤真樹著・新潮社)をご紹介します。



2018年6月、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が世界文化遺産に登録されました。長崎の教会の写真集は好きで何冊か持っているのですがこの本もまず、自然や教会の美しさに圧倒されます。しかしそれだけではなく、禁教が解かれて久しい現在も「かくれ」の信仰を守り続ける人や、かつて先祖がキリシタンであったけれども今は仏教やカトリックに改宗したという現地の人を訪ね、まさに今現代を生きている関係者のリアルな声、複雑な思いをもつぶさに拾い上げている点が大変興味深いと思いました。さらには、無人化する島や教会など悲しい現実も…

私も長いこと憧れ続けている聖地を旅できるのは、いつになるかな…

5月のあれこれ

2018-06-11 12:36:31 | 本の紹介
梅雨に入りましたねパソコンが不調で、しばらくBlogの更新ができていませんでしたが、元気にしております。以下、5月の出来事をあれこれ…。

GWは例年通り、土澤アートクラフトフェアに出店しておりました。今年はよりによってその2日間だけピンポイントで雨両日とも雨風と寒さに泣かされましたしかし、別の場所で私の作品を見た、買ったという方もいらっしゃり、感謝でした。今度はアクセ類を立てて展示できるようなボード状のものが欲しいなぁ…。

このところフォトフレームの注文が多い!ありがとうございます

↓最近は特にこのモザイク状のがよく出ます。手間がかかるので結構買うのに勇気がいるお値段だと思うのですが、ありがたいことです。在庫がないこともあるので、確実に欲しい方はご予約お願いします



↓こちらも相変わらず人気。



↓童話村の「白鳥の停車場」さんで7月に行われるケンタウル祭を見据えて、青系統のも作ってみました。今年は「銀河鉄道の夜」がテーマです。



5月から、教会で手芸の会が始まりました。第二、第四木曜の10:00~14:00、少人数でゆるくやってます

『世界のきらめくステンドグラス』

2017-08-29 09:26:07 | 本の紹介
久々に、本の紹介です。『世界のきらめくステンドグラス』(グラフィック社編集部)、何と、市内の本屋さんで見つけて衝動買いしてしまいました



パリのサント・シャペルやケルン大聖堂など古くからの有名どころもありますが、この写真集の良いところは、現代の作品が多いこと。また、ステンドグラスというとどうしてもヨーロッパのイメージが強いものですが、この本には南米、アジア(日本含む)、アフリカ、オセアニア、ロシア、中東…と世界のあらゆる地域の作品が収録されています。グッジョブ街の本屋さん

『修道院の食卓』

2012-01-31 20:04:31 | 本の紹介
ペーター・ゼーヴァルト編、ガブリエル・ヘルペル著、島田道子訳『修道院の食卓 心と体においしい秘伝レシピ52』(創元社)を読みました

修道院、というと、俗世を離れてひたすら祈りと労働に明け暮れるストイックな生活を要求される場所・・・というイメージが強いと思いますが、修道士たちはいつの時代も料理に対し非常な熱意を注ぎ、工夫をこらして新しい料理を創造してきました。例えば、ビールもワインもシャンパンも、元はといえばみんな修道院から生まれたものです。

また、修道士たちは美食だけではなく、その料理によって健康を維持するということを非常に重視してきました。まややが一番「へぇ~!!」と思ったのは、旧約聖書における食の規定が、現代の栄養学的な観点から見ても間違いではないという事実。

例えば、レビ記に「自然に死んだ動物の脂肪や、野獣に殺された動物の脂肪は、いかなる用途に使ってもよいが、食べてはならない。(略)血を食べる者はすべて、自分が属する民から絶たれる」(7:24,27)という記述がありますが、確かに脂肪ばっかり食べてたらメタボになっちゃうもんなぁ・・・・・・

そして、修道院では定期的な断食が奨められています。本格的な節食は身体の中を空にし、それまで取りすぎていた食べ物の量を正常にする効果があるそうです。また、神をより一層近く感じ、集中して黙想できるという宗教的効果もあるため、心身両面の健康に良いと言えそうです。普段たとえ1食でも断食には耐えられそうもないまややは大いに反省

さて、日本ではあまり馴染みのない食材も多いですが、修道院のレシピの中から真似して1品、チーズスープなるものを作ってみました。サワークリームは入れませんでしたが、クリームチーズだけでも十分酸味がついたと思います。かつての修道院の大食堂は、冬には凍えるほどの寒さだったため、こってりしていて体が温まり栄養もあるチーズスープは修道士に人気のあるメニューだったそうです。フランスパンなどによく合うと思いますが、それにしても確かにカロリー高そう・・・・・・



ついでにワインも頂いたので一緒に開けました勝沼の白ワインです


遠藤周作『侍』

2011-09-08 15:42:03 | 本の紹介
パソコンが壊れてしまったためしばらくブログをお休みしていましたが、最近新しいパソコンを購入し、立て続けに更新しています。カラーはまややの好きなピンク、最近はこんなカラフルなパソコンが出てきて、まるで夢のようです



簡素テーブルの上ですみません

パソコンがない間は、必然的に読書の時間が増えていました最近読んだのは遠藤周作の『侍』。あらすじは以下を・・・。

「藩主の命によりローマ法王への親書を携えて「侍」は海を渡った。野心的な宣教師べラスコを案内人に、メキシコ、スペインと旅は続き、ローマではお役目達成のために受洗を迫られる。七年に及ぶ旅の果て、キリシタン禁制、鎖国となった故国へもどった「侍」を待っていたものは―。」(新潮文庫背表紙より)

ちょうど9月末に、教会学校で十戒の「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」についてお話を担当することになっていたのですが、その内容について色々と思いめぐらすうちに、だんだん『侍』の内容と重なってくるものを感じました。

教案誌を読んだ限りでは、この戒めの「みだりに」というのは「空しいことのために」という意味で、つまりは自分の願い、欲を満たすために神様の名を呼んではいけない、さらには、自分の願いではなく、神様の御心が実現するように祈らなくてはならない、ということだと思います。しかし『侍』の中でも、宗教に現世利益だけを求め、魂の救いや永遠の生命といったものには無頓着な日本人の姿が繰り返し書かれていますが、その「自分の願いではなく、神の御心を求める」ということが人間一般にとってどれほど難しいかということをも、私たちは日々誰しもが感じていると思うのです。

『侍』の中で、日本の司教になることを夢見るべラスコは、それが神の御心だと信じ、あらゆる策を用いて奔走するのですが、行く先々で望みは次々と打ち砕かれ、最後には日本での布教も絶望的なものになってしまいます。しかし再び日本に戻って捕えられた彼は、死の間際にようやく、自分が神のためだと思って成してきたことが、実は自分の傲慢さや虚栄心から来るものであったこと、そしてその欲のために自分が多くの人を利用し、時には欺き傷付けてきたことに気付くのです。読んでいる最中は、やはり神の御心のままにと祈ることは人間にとって辛すぎることなのだろうか・・・という思いにもなってしまったのですが、最後には彼も心の底から神の御旨がなるようにと祈り、穏やかな心持で殉教していったことにほっとするものを感じました。そして、彼のように歴史の表舞台から消えてしまった人物にも、私たちとどこか似た要素を持つ、愛すべき者としてその存在意義をちゃんと持たせようという、遠藤さんの優しさをも強く感じました。

同時に、御心のままに・・・という祈りで思い浮かんできたのは、やはり聖書の「ゲツセマネの祈り」の場面でした。上記のべラスコと違って主イエスは罪ある存在ではありませんでしたが、一度は「この盃をわたしから取りのけてください」と祈られています。主がこの時、ご自分の使命をどれだけわかっておられたかというのは諸説あるらしいのですが、私はあの時主は、まことの神であると同時にまことの「人」として、あの祈りを祈って下さったのではないかな・・・と思うのです。自分の行く末に待っている運命があまりに辛いものだとしたら、できればそれを避けて通りたい、という人間誰しもが持つ思いをも、主ご自身がわかって下さっていた。しかし主はあえて、全人類の救いという神の御旨が成るようにと祈って下さった。私たちが本来受けるべき罰を私たちが受けなくても済むように。その主の愛に出会った時、人は、自分の願いではなく神の御心が成されるようにと祈る者へと変えられていくのではないでしょうか。そういう意味では、べラスコも死を目の前にしてやっと、真実に主と向かい合うことができたというべきなのかもしれません。

こんなふうにだんだんとお話の方向性は固まってきたのですが、しかしここに書いたような内容を幼稚園や小学生の子どもたちにそのまま語るわけにはいかないので、さて、これをどうわかりやすく話したら良いのやら・・・再び思案中です。久々に長い文章を書きました。