「カトリック米川教会」の続きの日記です
米川教会を後にし、一関市の大籠キリシタン殉教公園へと向かいました。途中お昼ができるような所があるかどうか心配でしたが、幸い公園から遠くない所に、小洒落たタイ料理屋さんがありました
ご飯の後、まずは大籠キリシタン資料館へ。
資料館正面にあった、ユニークな魚のモニュメント
江戸時代の初めに、ここ大籠の地で300人を超すキリシタンたちが殉教しました。資料館内には東北のキリシタン史が年表とジオラマで展示されていました。「東北のマリア観音」という展示では、私の地元・山形にもそれらしきものがあるらしいと知り、興味が湧きました。
資料館を出て、坂を登ったところに大籠殉教記念クルス館があります。階段の段数は、殉教者一人一人を覚えながら一歩一歩踏みしめて歩く意図からでしょうか。殉教者の数に合わせて作られているとのことで、やや急なので特に下りの足元には気を付けた方が良いと思います。
階段登り始めの所にあった聖母子像。
かわいい
クルス館までの道は、十字架の道行となっています。加賀乙彦さんや田中澄江さん、遠藤周作さんといったカトリックの作家さんもメッセージを寄せておられました。
大籠キリシタン殉教公園・十字架の道行
頂上が近づいてきました。
クルス館到着!
館内にはカトリックの彫刻家・舟越保武氏による磔刑像と、マグダラのマリア、聖クララの像があります。展望台からの眺めも素晴らしいです。
下り坂の方が怖かった!!
カトリック大籠教会に到着。
マリア様の前に、真新しいシクラメンの鉢が供えられていました。とても優しそうで、温かな表情をしています。
私たちが訪れた時、教会は無人で扉も閉まっていました。ここの教会にはもうほとんど信徒がいなくなってしまったと聞きましたが、それでもどなたかがクリスマスの準備にいらしたのでしょう。建物には電飾が取り付けられ、庭には大きなツリー用の木が伐り倒されてありました。
全てを見て回ることはできませんでしたが、教会周辺にはキリシタン遺跡が多数あります。
教会と道路を挟んで向かい側にある上野刑場。
こちらは祭畑刑場。
ちなみに遠藤周作さんは『キリシタン時代』の中で、この地を訪れた時のことをこう記しています。
「わたしは夕暮れ近くこの街道を歩いたのだが、点々と残っている首塚や処刑場の跡に寒気さえおぼえたのだった。九州の切支丹遺跡を訪ねてもこんな陰惨な感じをあたえる場所はなかった。ここは文字どおり東北切支丹の最後の聖地であろうと思えた。」
大籠教会を後にした時には夕方になり、どんどん日が落ちていくのがわかりました。遠藤さんがこの地で覚えた感覚が、私たちにもわかるような気がしました。
暗くなる前に、隠れ切支丹たちが密かにミサを行ったという大柄沢キリシタン洞窟へ行こうとしたのですが、看板が何とも心もとなく、犬の散歩をしていた男の子に聞いた所、車を置いてしばらく山の中を歩かなければならないとのことでした。急ぎ足で林の中をしばらく歩いてみましたが辺りはどんどん真っ暗になってしまい、電灯の一つもなく、獣でも出たら大変…ということで、洞窟へ行くのを諦めて引き返しました。車のある所まで戻ってやっと一安心しましたが、思えばこのような行くに苦労する所でなければ、切支丹たちは人目につかないように礼拝を守ることはできなかったのでしょう。それに気づいた時、何ともいたたまれない気持ちになりました。
私自身も東北出身でありながらかつてはキリスト教といえば西洋のもの、日本では長崎、というイメージが強くありましたが、この度東北で生活するようになり、この地にも確かにキリスト教の教えが伝わり、それを命がけで守り抜いた人々がいたことを改めて知りました。この地の歴史がいつまでも語り継がれ、人の心の自由が奪われることのない世が守られてゆくことを願ってやみません。
(ちなみに後日談になりますが、この日記を書いている本日12月21日の岩手日報に大籠教会のことが掲載されており、イルミネーションが灯された様子を見ることができました震災後に教会を訪れる方が増え、教会を含めた地域の魅力を発信する活動が多々行われているとのことで、まるで自分のことのように安堵し、嬉しい気持ちになりました。)
米川教会を後にし、一関市の大籠キリシタン殉教公園へと向かいました。途中お昼ができるような所があるかどうか心配でしたが、幸い公園から遠くない所に、小洒落たタイ料理屋さんがありました
ご飯の後、まずは大籠キリシタン資料館へ。
資料館正面にあった、ユニークな魚のモニュメント
江戸時代の初めに、ここ大籠の地で300人を超すキリシタンたちが殉教しました。資料館内には東北のキリシタン史が年表とジオラマで展示されていました。「東北のマリア観音」という展示では、私の地元・山形にもそれらしきものがあるらしいと知り、興味が湧きました。
資料館を出て、坂を登ったところに大籠殉教記念クルス館があります。階段の段数は、殉教者一人一人を覚えながら一歩一歩踏みしめて歩く意図からでしょうか。殉教者の数に合わせて作られているとのことで、やや急なので特に下りの足元には気を付けた方が良いと思います。
階段登り始めの所にあった聖母子像。
かわいい
クルス館までの道は、十字架の道行となっています。加賀乙彦さんや田中澄江さん、遠藤周作さんといったカトリックの作家さんもメッセージを寄せておられました。
大籠キリシタン殉教公園・十字架の道行
頂上が近づいてきました。
クルス館到着!
館内にはカトリックの彫刻家・舟越保武氏による磔刑像と、マグダラのマリア、聖クララの像があります。展望台からの眺めも素晴らしいです。
下り坂の方が怖かった!!
カトリック大籠教会に到着。
マリア様の前に、真新しいシクラメンの鉢が供えられていました。とても優しそうで、温かな表情をしています。
私たちが訪れた時、教会は無人で扉も閉まっていました。ここの教会にはもうほとんど信徒がいなくなってしまったと聞きましたが、それでもどなたかがクリスマスの準備にいらしたのでしょう。建物には電飾が取り付けられ、庭には大きなツリー用の木が伐り倒されてありました。
全てを見て回ることはできませんでしたが、教会周辺にはキリシタン遺跡が多数あります。
教会と道路を挟んで向かい側にある上野刑場。
こちらは祭畑刑場。
ちなみに遠藤周作さんは『キリシタン時代』の中で、この地を訪れた時のことをこう記しています。
「わたしは夕暮れ近くこの街道を歩いたのだが、点々と残っている首塚や処刑場の跡に寒気さえおぼえたのだった。九州の切支丹遺跡を訪ねてもこんな陰惨な感じをあたえる場所はなかった。ここは文字どおり東北切支丹の最後の聖地であろうと思えた。」
大籠教会を後にした時には夕方になり、どんどん日が落ちていくのがわかりました。遠藤さんがこの地で覚えた感覚が、私たちにもわかるような気がしました。
暗くなる前に、隠れ切支丹たちが密かにミサを行ったという大柄沢キリシタン洞窟へ行こうとしたのですが、看板が何とも心もとなく、犬の散歩をしていた男の子に聞いた所、車を置いてしばらく山の中を歩かなければならないとのことでした。急ぎ足で林の中をしばらく歩いてみましたが辺りはどんどん真っ暗になってしまい、電灯の一つもなく、獣でも出たら大変…ということで、洞窟へ行くのを諦めて引き返しました。車のある所まで戻ってやっと一安心しましたが、思えばこのような行くに苦労する所でなければ、切支丹たちは人目につかないように礼拝を守ることはできなかったのでしょう。それに気づいた時、何ともいたたまれない気持ちになりました。
私自身も東北出身でありながらかつてはキリスト教といえば西洋のもの、日本では長崎、というイメージが強くありましたが、この度東北で生活するようになり、この地にも確かにキリスト教の教えが伝わり、それを命がけで守り抜いた人々がいたことを改めて知りました。この地の歴史がいつまでも語り継がれ、人の心の自由が奪われることのない世が守られてゆくことを願ってやみません。
(ちなみに後日談になりますが、この日記を書いている本日12月21日の岩手日報に大籠教会のことが掲載されており、イルミネーションが灯された様子を見ることができました震災後に教会を訪れる方が増え、教会を含めた地域の魅力を発信する活動が多々行われているとのことで、まるで自分のことのように安堵し、嬉しい気持ちになりました。)
有難うございます。