そして、時に『氏名』には、自身の『使命』が秘められていたりする。
人に文句を言う人には、和を乱す数字を持っていたり、
和を乱すことが『主たるものー使命』となっていることがある。
人からの援助が薄い数字を持っていたり、家族の縁すらも
ないというものを持っている場合もある。
逆に、人の縁に恵まれ、助け、助けられるという数字を
持っていたり、常に新しい道を切り開く数字の場合もある。
それぞれに意味あるものなのだ。
ひとりひとりの顔や境遇が違い、感じ方にも違いがあるように、
『しめい』もまた、ひと、それぞれなのだ。
だから、相手を尊重する。
行きたい道があるのだ。
我知らず、進んでゆく道があるのだ。
それは誰にも止める権利はない。止められるものでもない。
誰でもない、自分が、決めたことであり、
選んだ自分が、決めていたことなのだ。
忘れていても、自然とそういう生き方を自身が選んでいる。
そう『在る』よう、選んでいる。
それが光の道であろうとなかろうと、流れるように進んでいる。
神さまですら、本人が選ぶならと、何もおっしゃらない。
今が在るのは、ほかならない、あなたが自分で選んだこと。
それがすべて。
あなたは、あなたの選択でできている。
その名さえも、こちらの世界へ来る前に、
あなたは忘れたであろうけれども、、
あなたが選択し、決めている。
だから、神さまは、あなたの選択をとても、尊重しておられる。
あなた自身でいられるよう、すべてはあたえられる。