師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

これからはじまるあなたという意識の旅

2009年09月30日 | 天意の実践

私が語りかけたことばのひとつひとつは、あなたのために

用意されたものだ

あなたがたどれるよう、道々に目印を、置いていた

あなたの歩幅にそい、あなたの気づきにあうよう

すべては準備がされていた

そして、これからはあなたが道を見つける

私たちが準備してきたものではなく

あなたが目指すところへとつづく道だ

いままでのすべてが、あなたを作り慈しみ育んできた

これからは、あなたの番だ

あなたが作り、あなたが慈しみ、あなたが育むのだ

あなたが今をあたえるのだ

     

時折、私たち自身、このブログの文章を読み返す。

読み返すたびに新たな発見がある。

新たな自分を見出す。

それは誰も同じ。

自分の歩みに合った答えを見出す。

勇気を持って、自分にあたえよう。

答はちゃんと、準備されているのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家相鑑定 見えないものたち

2009年09月28日 | 天意の実践

先日、家相鑑定の依頼をいただいて、家を観に行った。

もともと、いわくがある家だから、ということでの依頼だったのだが、

家の中に入るなり、師匠の顔つきが変わった。

次々と、依頼者に「ここはこうしなさい。」と、指示をしていた。

もちろん、降神モード。

それが途切れない。

建物の中のあちらこちら。建物の外、敷地のあちらこちらに、

今すぐできること、できる方法を、伝えていた。

けれども、今すぐできないこともある。

それは、その地を去ること。

鑑定の後、家の御祓いの依頼も受けて、神事も行った。

そして、その中で、師匠が告げたのは、土地に武将の霊がいて、

家主を呼び寄せていたことを告げた。

この家に引っ越して、既に家主は亡くなり、残された家族には

広すぎる家なので、引っ越すつもりなのだが、身動きが取れない

という依頼者のこだわりをほぐし、できる方法も伝えて、神事は

無事に終了した。

見えないけれども、生きているひとに影響をあたえる、見えない力

ネガティブラインが土地に流れていて、土地を横切り、ネガティブ

マインドを引き寄せ、その土地に住むひとに影響をあたえる。

そして、それを防御するお塩や酢、酒もそれ自体は目に見えるが

それが発揮している力そのものは、見えない。

こうして、出会えた縁も見えない。だが、お守りくださる神々は

いつも、守ってくれていることを感じながら生きていれば、

不思議と、良い方向へ物事はすすむ。

そして、思ったほど悪い事態もおこらない。

家相鑑定や、神事を行い、見えないものの存在に気がつくこと

も大事だが、一番大事なことは、自分自身を守る選択と、決定

をすることだ。

今回の依頼で、師匠の新しい能力を垣間見た。

そして、誰かのために、存在していることを感じ入った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目に見えるもの 目に見えないもの

2009年09月23日 | 天意の実践

2009_0922_164701cimg0005

フラッシュの反射なのか、それとも、これが『奇跡のりんご』の木村

さんの著書『すべては宇宙の采配』に写真掲載された「オーブ」

なるものなのか。

      つい、分析したくなる。がここではやめよう。

真偽したからといって、どうこうという話がしたいわけではないのだ。

     

柞原八幡へお参りへ行って帰り、車に乗って、しばらくしたら、

木に止まっていた山鳩が、地面に降りてきた。

師匠がカメラを構えてシャッターを切ると、小さく「あれ?」つぶやいた。

「なんか、降ってきたみたいなんだけど、なんだ?」

この後、同じ状態や、同じアングルで撮影したが、写っていたのは、

最初の一枚だけ。

師匠「思い出したけど、熊本のМ社長は、念じたらこれ(白い光の玉)

   が降ってくる、って、何枚も写真を見せてくれたよね。

   もちろん、特別な場所で、特別な思いでの話だったけれど。」

私たちが以前撮れたのは、緑色の光だった。(師匠撮影)

このように、何かか写る場合もあるが、何も写っていないが、

その写真に触れると、もの凄いエネルギーが感じられる場合もある。

この場合は、もともと、何かのエネルギーを感じたので撮影をしたら、

そこの風景とともに、そこのエネルギーも封じ込められていたの

だった。

そういうことがあると、写っていても、写っていなくてもどうでもよいこと

なのだ、と言われているような気がする。

師匠「香りがして、「ここにおるぞ。」と語りかけられたり、 

    このように写ったりして、楽しんでおられるのだよ。きっと。」

神遊びということばがある。これは、現代の神遊びなのかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幣立神宮へ行った。

2009年09月22日 | 天意の実践

神事が続いていたので、合間にリセットと補充等のメンテナンスに

早吸日女神社へ行った。

いつものいみっている(増えている(笑))厚葉君が代蘭の元気の

良さに感嘆しつつ、境内へ入る。

お参りをしたあとは、ヒーリングスポットで日拝。

気分を一新して、帰りの車の中で、師匠が

「幣立神宮が視える・・・・・・。」と言う。

私 「それって、行けってことですか?」と聞くと、車の中は

あっというまに、花の香りで充満した。

私「・・・・・・。わかりました。行きましょう。」

後日、幣立へ向かった。

道中は、いつも以上に花の香りがすごい。

私 「なんか、洗濯の粉石鹸のような、ありとあらゆる花の香りが

   してて、すごいんですが・・・。」

師匠「・・・・・・。うん。フローラルブーケだね。(にこにこ)」

さて、幣立では、

090919132516

連休の初日だったので、県外ナンバーの車が多数。

こちらでも、日拝をした。

090919133331

五百杉も相変わらずの雄姿。

帰りの道中は、普通に(笑)花の香りがしたが、その他に

不思議なことは、相変わらずおこっている。

日々起こる不思議な日常が、普通となり、

これが当たり前だと言えば、そうなのだと思える

毎日。

これこそが「いまに在る」生き方なのだと体感している。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神さまのことばは、単純明快

2009年09月15日 | 天意の実践

師匠を通じて伝えられる、神さまからの言葉は、

最初の頃は私の知らない言葉ばかりだった。

あまりに話しかけられるので、

「わたしのわかることばで、言ってください。」

と、お願いしたところ、いわゆる現代語となって、

今に至っているが、それでも、伝えられる神託はどれも単純で、

私には理解できないが、伝えられた方にはちゃんと、

意味ある言葉で、不思議とわかるようになっている。

神札に書かれたホツマ文字は、言霊そのもので、音意文字

のようだ。

これも本質のみを表して、本人にはわかるようになっている。

現在、私たちが使っている漢字は意味。ひらがな、カタカナは音

を表し、それぞれ、表意文字、表音文字と呼ばれているが、

こうやって分けることで、今はことばも限界なのかもしれないと

思うことがある。

初期に師匠に神さまから降ってきた言葉に『潔斎』ということば

がある。

これも、ただ『潔斎』とだけ伝えられて、感覚的に

祓い清めることだと直感して知らないなりに行っていたら、

これが正しかった。

こうしてみると、

私たちは、本質的なことにおいては、理解が可能なのだ。

あれこれと理屈や、理由。はたまた言い訳を考えたりするから、

かえって物事を難しくしてしまっている。

私たちは意識なのだとわかれば、理屈なく、日々が

過ごせる。

だれとも戦わずにすむのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする