師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

天地自然のあるがまま

2014年01月25日 | お客さまの感想や報告から

ご依頼をいただいて必要な方へお作りしているホツマの神札。
そのホツマ文字で書いた天祖神あうわーアメノミオヤさまは
成されているその様(さま)お姿はそのもの。
そのお姿に感じ入られたお客さまは
「真中はつなげる天卜占さまですか」
とおっしゃった。
「はい。私であり、あなたでもあるのです。
上の文字『天』
下の文字『地』
その中で私たちは在るのです。
中の文字の真ん中は『魂』つなぐは入れ物。
カラダ。
目に見えるもの、見えないものそのどちらもつなぐ『意』」

「そうなのですか。
私には天卜占さまの祈られているお姿に見えました。」

この方によれば、私の祈りは恍惚状態にカラダが動き踊っている
巫女のように
見える(感じられる)そうだ。
アーティストの感覚をもたれている方ならではの、ご感想をいただいた。

感覚はひとそれぞれだが、本質を観る目を養うことこそが自分を守る。
真実はつねに『美』の中にあり、『美』と共に在る
ものなのだ。

お題は
花は紅 柳は緑
天地自然のあるがまま』
からの引用。

ありがとうございました。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

己の神 信じる力

2014年01月22日 | 天意の実践

この世界には触媒と言う存在がある
すべてをつなげる存在
すべてをつなげる働き
意義
それこそが世界を全体で在り、個としても存在ができるよう
働いている
物質だけでなく、すべてはつながっているから、ひとも同じ
誰かを貶しめれば、一時的にはうまくいくのかもしれないが、
それも長くは続かない
誰かを何かを悪だときめつけ、自分を善だとするもいいだろう
だがそこには、二次でしか物事をみていないから、三次的な介入に弱い
三次的な存在なのに、平面(二次)だけで物事を捉えるていると、
平面(二次)と思っている自分のエゴに、足元をすくわれる
知恵や知識は光あるものを選ぶ
光なきものは元来知恵とはいえない
無知無明は己を貶しめる
光ある存在の神である自分
それを見つめ、体感する
信ずる力は己を高める
答えや解放を外に求めない
いつでも答えは内にある
力もまた、同じ

つなげるのはなにも外ばかりではないのだよ
自分自身ともつなげる触媒がある
それは自分自身を信じる力なのだ
信じる力がすべてをつなぎもたらす
信じる力もまた光
あなた自身

Kimg0211

Kimg0210_2


今年は蝋梅が咲いている写真をおさめられなかったなと、
思っていたら、
下の畑で蝋梅が咲いていた。
物事とは、案外簡単に手に入る。

難しくしているのも自分だということに気づき、修正をかけていれば、
触媒と言う存在は、あとを整えてくれる。
触媒におまかせということだ。

ありがとうございました。

あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝  天ト占と臣

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チーム宇宙 チーム世界

2014年01月18日 | 天意の実践

すべてがつながっていることを体感し信用し、それはやがて

信頼になる。

信じて待つ。

あとはおまかせ。

自分が決めたことにチームが手伝いをしてくれる。

自分が誰かのチームの手伝いをすることもある。

私たちはお互いの関係によりすべてが成立する。

K3340164

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

求められることをする あたえられた場所で咲く

2014年01月15日 | 天意の実践

ブログの冒頭に今掲載している神事も来られた方からのご依頼

により行なうようになった。

私たちが提示しているメニューのほとんどはお客さまからのご依頼

から発展して今の形のなった。お客さまの希望や求めたことが形に

なったと言ってもいい。

誰かが求めた結果、そのお作法などによりできあがっている。

「なにかをしたいけれども、それがわからない。」

「自分には叶えたい夢がない。」

と嘆くことはない。

自分がしていることで誰かを喜ばせていることがあるかもしれない。

ただ、

自分が気づいていないだけで、もう既にそれを身につけている

かもしれない。

神さま方からも要請されて、この道を歩き始めた自分がいる。

求められることも喜び。できることを喜ぶ。

誰かと楽しみ喜びあう。時間を共有する。

それもまた、互いに互いがあたえあうこと。

大きなことばかりが夢ではない。すぐそばで出来るそんな夢もある。

自分が楽しいでもいい。

誰かが楽しいでもいい。

それほどこの世界は喜びに満ち溢れているのだ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年最初に降ってきた感覚

2014年01月08日 | 天意の実践

これまで以上にことばのない世界をまるでふんわりと漂っている

感覚が続いている。

年が明けて降ってきた感覚をあえて言葉にしてみた。

それは、

『恐怖を手放す』

未知のこと。

もの。

そして未だ来らずの時系列でのできごと。

漠然として、正体がわからないから不安になるのだ、

と思うなら、わかろうとする。理解をする。

わからないなら、それは存在しているのだなとおく。

スルーする。

と言うとわかりやすいか。

過剰に反応したり、判断したり、抵抗しようとするから、

それに囚われてしまう。

こだわってしまい、関係を続けてしまうのだ。

そして、自分を摩耗させる。ストレスをかけてしまう。

そのような関係は自ら断ち切る。自分で選ばない。

かつて、わるく考えていれば、それはおこらない、

と思考している人がいた。

最悪までを想像してきたその結果、

最善へとたどり着いたのだ。

それがそのひとの指針。決めごと。

そうして、善きこと。幸運を引き寄せたと自負していた。

それも善しとする。

人の選択にも口を挟まない。

そうして、全ったき自分でいる。

自分の世界は自分だけのものだが、

自分の世界を完結させるには、重なり合い関係する世界と

連携していることも受け入れる。

そうして、自分のエネルギーフィールドを保つ。

恐怖とは、低い波動。

何も自分で自分の波動をおとすことはないのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする