師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

きになる木

2009年11月30日 | 天意の実践

道路際にちょうど銀杏の木の頭が見えていて、その木があまりにも

きになるというので、下の道路に下りてみた。

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ちょうど、上側の道路の真下に

駐車スペースがあったので、そこへ車を停めた。

車を降りるなり、師匠が叫ぶ。

「わー。木のいい匂いがするです。」

確かに車を降りて外へ出ると、木の香りがする。

でも、これは以前、車の中でお客さんを乗せていた時のような

森の中で、ほぼ、森林浴状態になったような香り。

それは、檜、杉、樟、松。あらゆる木々の香りだった。

私 「またですか?」

師匠「なんが?」

私 「前にも、神さま方が集まっているところへ呼び出された時も、

   気になる木があるって言って、行ったら、呼び出しでしたよ。」

と言うと、返事をするかのように、また、一段と香る。

師匠「はいって、返事ですねえ。

   詳しくは、また、あとで教えてくれるのでしょう。

   今は、この銀杏を見てましょう。いやあ~きれいだなあ。」

私 「神さま会議の帰りに寄り道しているんですかね。」

師匠「うーむ。きょうは、早吸日女さんとこで、新嘗祭があっていた

   からなあ。近くを通りかかったので、声をかけられたか・・・。」

神さま方も、なかなかお忙しいようです。

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いのりの日

2009年11月29日 | 天意の実践

願望祈願の神事をさせていただいて、その願いを御和幣に封じて

お渡しして書いた願望祈願の書は、数ヵ月後の27日にお焚き上げ

を行う。

今月が今年最後のお焚き上げとなったのだが、まるで神さまが

乗り移ったのごとく、神事の間中、私の真上の枝に鳶がとまり、

じっと見守っていた。

そして、神事が済むと役目を終えたのか、飛び去って行った。

今回お焚き上げをした方たちの中には、早々に願いが叶い、身代りに

なったように、御和幣が無くなった方もいた。

御和幣はその願いを忘れないためだけではなく、この方の場合は

ねたみ、そねみを受けやすいので、腕にはめずに、袋に入れて、

洋服のポケットへ入れることを師匠はお勧めしていたら、

友人グループと行った温泉の脱衣場で、ちょっと、目を離したすきに

その袋だけが盗まれたのだそうだ。

この方の願望はもう、叶った後だったので、どうしたらいいのか、

相談をされたのだが、この方へ師匠は、

「あぁ、形守りになってくれたのですよ。

あなたの身代りになってくれたわけです。

よかったですね、難逃れになりました。」と、話していた。

御和幣は形代(かたしろ)の役目をおってくれ、今も笑顔で

過ごされている。

Sh350166

神事へ行く前、白鷺が上空にたたずんでいた。

いい一日だ。

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おおめにみる

2009年11月26日 | 天意の実践

自分自身でいるとは

自分を守ることであり、覚醒することでもある。

たとえ、うまくいかないことがあっても、

自分を卑小に定義せず、自分をおおめに見る。

すべてが、自分のすべて。すべてが自分の結果であるなら、

それすら、小さな枠の自分を定義することとなる。

いたらない自分も、いたらないまわりも、

求めていることに準じていれば、それはただの機能障害にすぎない。

どうすれば、求める機能を得られるのか。

それだけでいいのではないのか。

おおめにみてやってはくれまいか

そう、声が聞こえた。

自分へ、世界へ。

この世界のより正しい機能を発揮できることを知っている

ひとはそれを希望と呼ぶ。

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待つ強さ 信じる強さ

2009年11月16日 | 天意の実践

最近のひとのとる行動を観ていると、

待つことができないことに気がつきます。

以前の記事にも書きましたが、

『待つ』という行為ができない。

理由は様々でしょうが、

世の中が便利になることとは、時間短縮だとばかりに

いろいろな発明品がおくりだされています。

その結果、はやく結果が出ないと、そのこと自体をわるもの扱い。

そして、自分が要求したことができない相手も、わるものにしては

いませんか。

すべては、こころの問題です。

時間も、絶対的なものではありません。

こころや、からだに流れる時間は、ひとそれぞれなのです。

だから、反応もひとそれぞれ。

どんなに、便利なものが登場しても、それを使うひとにより、

結果は違う。

そのことを認めましょう。

そして、なにより、待つことのできる強さを持つのです。

自分を信じていれば、なにか起きても大丈夫。

どんなアクシデントに見える事象も、自分の持つ力を信じていれば、

おそれることはないのです。

      

感謝  天卜占

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本質を感じる 本質でみる 本質で生きる

2009年11月14日 | 天意の実践

前述のメッセージに、

制約を認めても、流されない 感情に振り回されない

こころの波紋をじっと見つめる

とありました。

これこそが、高い次元の本質に添った生き方なのです。

ひとは、ときに生きてきた環境により、差こそあれど、

思いこみにより、その中で、判断の基準を設けているものです。

けれども、少しでも、自分のエネルギー領域からはずれれば、

それは、無力です。

無力であれば、あるほど、あなたの周囲でネガティブラインは

育ち、マインドと化していきます。

だからこそ、常に自分の感情を自分の本質の監視下におき、

自分の感情の先を見つめてください。

しずかな、水面のその奥底で、本来のあなたは、まだ目覚める

ことなく、眠っています。

感情のさざ波がなくなれば、本質体である『意識』の自分が

活動をはじめます。

少しでも、今の状態を変えたいのであれば、騒がないことです。

こころを澄ませ、本質の目覚めを促しなさい。

意識であるわたしは、いつだって、最強です。

    

感謝  天卜占

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