師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

いのりー大祓の日

2010年06月30日 | 在るがままの生き方

今日は6月30日。夏越大祓。

師匠の呼ばれるままに、阿蘇神社へ向かった。

3時に着くようにと感じていたそうだが、ちゃあんと時間通りに着く。

2010_0630_151122cimg0013

車を停めて、瓔珞を着け、大祓詞を唱えながらこころをしずめた。

2010_0630_152410cimg0016_2        

どこかで、ありがとうの声を感じた。

この地に宿る神々からのねぎらいの声。

気がつくと、車を停めてから、20分が経過していた。

前日の記事の神さまのことばを感じ入った。

神さまから届けられる恩寵とは、

かくもおだやかなものなのかと、ありがたさで胸がつまる。

2010_0630_152539cimg0017

こちらの神社での夏越大祓の開始時間は午後5時からとある。

毎年、毎年、神職の方々と地域の方々で、同じように連綿と

伝えられ変わらぬものがここにあることを感じつつ、

この地をあとにした。

追記

本日はあと少しとなったが、

急なこととはいえ、問い合わせをくださったりして、

前日のお知らせに答えて、いのりに参加くださった方々には

この場を借りてお礼を申し上げたい。

ほんとうに、ありがとうございました。

7月1日追記

コメント欄へ感想等も寄せられた。

重ねて、ありがとうございました。

なお、個人的なことも書かれてあるものもあるので、

非公開とさせていただいた。

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崩壊。そして、封鎖

2010年06月29日 | 天意の実践

緊急のお知らせと、この記事は矛盾を感じる者も

いるかもしれないが、

これはお伝えしてもよいということなので、ここのしるす。

以前、天界へのルートが封鎖された記事を載せたが、

数日前に、今度は、龍神界へのルートが封鎖されたと、

龍神界のご縁の方から伝えられた。

その方に伝えられた映像は、

ある霊能者に似た方が重機を動かして

龍神界とをつなぐ大事な社の一部を破壊したそうだ。

その霊能者は、そこの場所が「パワースポット」だと思い、

そのつもりで取った行為なのだが、

結果、破壊につながったのだ。

それによって、龍神界では、破壊がさらにすすんで

崩壊する前にこの場所を封鎖することを決めたのだ。

実際の場所へ足を運んでみると、やはり、そこでは、

これから、パワースポットとして、売り出すことに

なっていたそうだ。

壊していた霊能者が特定の誰某というわけではなく、

これは想念が人形(ひとがた)をとっているだけなのだが、

このように想念が形あるものを壊すことなど、

造作もないことなのだ。

天界に続き、龍神界へも封鎖されたことになる。

これはあなたたちが決めたことだ。

わたしたちはあなたたちが決めたことには介入しない。

ただ、わたしたちとともに在ると決めたものたちには

感謝している。

だから、わたしたちは恩寵を届けている。

そう。

そして、私もまた恩寵が欲しくて、決めているのではない。

けれども、神とともに歩くと決めたら、自然と、

よい出来事が届けられたと実感している。

大事なことは、自分で考え、行動することだ。

それが自然の法則にそうものかどうかはまた、

別の問題だ。

だが、自然の法則にそった道を歩くと決めたひとは、

自然の法則にそった道が目の前にひろがっている、

ただ、それだけのことなのだ。

選んだひとだけが入れる門へは、

選んだひとだけがくぐるのだ。

さて、あと残るのは地界へのルートだ。

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いのり

2010年06月29日 | お知らせ

瓔珞をお持ちのみなさまへのお知らせする。

明日、6月30日、

瓔珞をつけて、いのるのだが、

これにご参加いただければ、幸いである。

その時にいる場所で、

感じるままに その時に

いのりにはいる。

ただ、それだけでいい。

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これからを生きる智慧としての在るがままの生き方 3

2010年06月27日 | 在るがままの生き方

これが在るがままの生き方と聞いたら、あなたは、なんだか

わけがわからないと思うかもしれない。

けれども、うまくいく人生に少しでも近づきたいと思うなら、

あれこれと考えないことだ。

「そんなことを言われても、生きていかなければならない。

働かなければならないし、家族がいるし、両親のことや、

自分の老後のことなど、考えなければいけないことは

山ほどある。

気に入らないあのひとのこと、自分ために動いてくれない

このひとのこと。体だって、考えて食べることにも注意を

していなければ。」

それが、生きていくことだと、本気で思っているのだろうか。

あなたの真実だろうか。

あなたの真実だと言い、思うなら、あなたはその真実に

満足して生きているのだから、それでいいのだし、

そのことに対して、なんの不満もないのだ。

そう。問題は何もないといっていいだろう。

それが、あなたの満足なのだ。

そうして、物事はあなたの真実に対して、思い描くままに

展開する。

世界は、あなたの思うがままだ。

世界は、あなたの思いどうりになっている。

気づいただろう。

世界はあなたの思い道理になっている。

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これからを生きる智慧としての、在るがままの生き方 2

2010年06月26日 | 在るがままの生き方

例えば、こうなりたいと望む。

そのことへ向かって、なれるように選択をする。

そうなれるように選択をし続ける。

けれども、ひとの時間はそれぞれの進み方で進んでいて、

外空間時間が、同じ速さに見えているだけで、内空間時間は

違う。

同じ年齢のひとの容姿が、過ごし方で、違うように、

早い、遅いがある。

思いなど、感情は決して、計れるものではない。

これも、目には見えないものなのだ。

つながりもそう。目には見えない。

ひとは思う。

いろいろなことを思う。

その思いにもまた、いろいろな思いを乗せる。添える。

そして、軽やかな思いは、やがてエネルギーを持ち、

計りしれない重量を持つ。

こころが沈む。

そう、まさに、思いは、その時、質量を感じさせる。

そして、その重さから逃れようと、その思いを放つ。

思いは、空間に漂う。

思いは漂いながら、さすらいながら、まわる。

空間の中をさすらう。

放たれた数々の思いが留まり、沈む場所を増やしている。

増殖していく。

自分を持たないものはこれに触れ、これに囚われる。

囚われるものを増やす。

そんな気分がふさぐようなものから、自分の周囲を守るには

どうしたらいいのかー

その一番の方法は、在るがままでいることだ。

気分が高揚しても、それに乗らず、ここちよさだけに吹かれ、

気分が沈んでも、そのことに逆らわない。

ことに対して、過剰に期待したりせず、在りのままを捉える。

在りのままに受け取る。

なぜなら、

世界にあなたを不幸にしたいなんて望むものなど、

いはしないのだから。

風に吹かれるようにいれば、あなたは、ただ、風に吹かれて

いるだけで、そのことに気がつく。

自分でいることに気がつく。

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