マ酔いに憑かれる輩は、多々あるやもしれませぬ。
恐れ多いこともおかまいなしに、
わからぬが故の振る舞いが、横行する、なげかわしきこの世。
慈悲のこころは、怒りの面(おもて)。
あらたの夜明けには、持ち込まぬ。
あの日、3月10日。師匠に突然、降ってきた
無にする力
ということば
それは、自然そのもの。在るべき姿なのだと感じ入る。
そして、その前で、抗おうとしたひとの姿。
それは、自然に生かされているなどという
謙虚なこころー姿勢を
なくしたからのふるまいなのか。
上記の神さまからいただいたメッセージは、師匠がメールの返信の
文章をうっていた時に降ってきた言葉だ。
怒りの面とは、なにか。
過日、師匠があるニュース映像の一部分である海をみていると
ただ、ただ、怒りのみを感じたそうだ。
ことばはなくそこには、怒りのみ。
どなたのとかは、問わず、ただ、それを感じていた。
後日、同じ映像で、海水が放射能に汚染されたニュースを見ていて、
このことを告げられていたのだと、あらためて感じ入ったそうだ。
なにが、どうだとかではなく、だからなんだ、ではなく。
ひとの小さなアタマでの小さな理屈ではなく。
流れている事象。その一部である自分を感じている。