お子さんがいじめにあって・・・との相談が何件かありました。
どの親御さんにもお話をさせていただくと、それぞれに
思うところがあり、最期は、笑って帰られました。
この場合、本人からの相談ではないので、具体的な対処法
ではなく、親として、どう接したらいいかが、焦点なのです。
どうアクションをおこすか。
一人の方は、相手が教師でしたので、ご相談後、
親がついているから大丈夫だと、お子さんが思うようになり、
自然と気にしないようにして病気も回復していきました。
もうおひと方は、クラスで一致団結して、校長先生とかけあい、
持ち上がりすることなく、新学年となり、別の担任となって、
わきあいあいと過ごすことができ、楽しい卒業を迎えました。
別な方は、クラスメイトからの疎外で、担任にかけあっても、
相手の子供が嘘をついて、解決にはならなかったそうです。
これには、別な側面があり、ちょうど、親御さんも仕事で
悩みをかかえていて、結局は、この件により、仕事を
やめるきっかけとなりました。
ものごとは、つながりあっていて、すべてに意味があります。
いじめを越えて暴力をふるうまでになっていた担任教師も
問題を抱えていたわけですが、本人が向き合わない限り、
解決はしません。疎外する子供も同じです。
これは、自分自身が体験して思ったことでもあります。
見た目が違うからなのか、ずっと、嫌なことをする同級生が
どこへ行ってもいました。理不尽なことです。
さらに理不尽なことに買ったばかりの本が無くなり、
そのことで教師に報告をしたら、一方的に
こちらに非があるからだ、と教師に怒られたこともあり、
大人はあてにならない
と、低学年の時に悟りました。(笑)
自分がレベルを落とせば、低い相手につかまる。
これはその時、本能的にそう感じたのでした。
中学の時に仕掛けてきた子は、大人になって知ったのですが、
大人になっても友達がいないと嘆いていたそうです。
孤独だから、さらに孤独になるように自分をしていたのかと
思いました。それすらも、自分が選んでしたことです。
解決しようと思えばできることです。
それも、自分が自分で選ぶことです。
当事者であった自分としては、
そのことにより、自分は強くなれた。強くなることができた。
そう、思います。どのできごとも無駄ではありません。
おこるできごとのひとつひとつは、誰もが互いにつながり
あうことで起きるのです。つながりは一方だけではなく、
多くともつながれます。そのことをお忘れなく。
問いを発したら、答えも同時に存在します。
そのことを知っていれば、怖れることも不安も
ないことを体感するでしょう。