ずいぶん前のことだが、いつものように(笑)、師匠が
宇佐八幡の境内で消えた。
私がトイレに行っている間、車に行っているとばかり思っていたら、
いなかった。
そのうち帰ってくるだろうと、師匠と別れた十字路に立っていると、
思わぬ方向から、師匠が帰ってきた。
師匠「あの木に、(指差す)声かけられた。」
見ると、後方に三本の立派な木がある。
私 「なんて言う木ですか?」
師匠「・・・・・・。メタセコイア・・・多分・・・・・・。」
私 「そんな名前の木があるんですか?(聞いたことないが)」
師匠「もしくは、イチイ・・・なんだっけ・・・・・・???」
その後、けっこう近所でも、この木を見る。学校などにある。
けれども、名前は半信半疑なワタシ。
結局、調べたら、メタセコイアという名前だった。
また、変わった名前だ。学名なのか。
師匠「うーん。どっかで聞いたようなって思っていたら、あったんだ。
研究室に通っていた時、研究室の教授が古生物学の教授で、
生きた化石のメタセコイアの研究をしていたって、話していた。
でも、実物は見たことなかったし、当時、私が研究していたのは
同じ生きた化石でも、カブトガニの方を研究していたんだもん。」
って、師匠は、短大卒だから、研究論文なんてなかったでしょーに。
私 「生きた化石?」
師匠「うん。メタセコイアさんのことを調べなおしたら、
300万年前に日本に生息していたけれど、100万年前から
姿を消したんで、そのように学会で発表されたそうだ。
その時についた名前がメタセコイア。
けれども、その後、中国でこの木が生息したいることがわかった
んだ。このあたりは二宮教授から聞いてた話と一緒だった。
で、戦後、日本に贈られて、最初に皇居へ植えられ、その後、
学校とかでも教育材料として、植えられたんだそうだ。だから、
学校に多く見るわけさ。
メタセコイアさんは戦後復興のシンボルとして、昭和天皇が本も
出されているようだよ。」
私 「戦後に植えられて、あの大きさ。ってことは成長が早い。」
師匠「はやい、はやい。(笑)」
師匠「でもね、これを聞くと人間の文明なんて、ちっぽけだと
思わないか?
今という時代は、転換期なんだよな。
生き方から、選択する物自体が、大きく変わってきている。
考え方から価値観が大きく変化している。
けれども、その時間。タイムスパン、タイムスケールの小さいこと
ったらないよね。経済で習った経済変換の波の周期だって、
この比じゃあない。
自然の周期はもっと大きいと思う。植物さんの時間なんて、
すごいなあと感じるよ。ひとはこの自然の周期の一端でしか
ないんだな。」
そして、自然から学ぶ謙虚さも大事だ。
師匠「メタセコイアの発見って、ある意味、文化的だと思わないか?
正確には地球の文化であったり、自然文化。植物文化な感じ。
魂は永遠で、その宿るカタチは姿を変えながら、魂の旅は
続いている。」
写真は10号線沿いに植えられているメタセコイア。
追記
知らないで、なぜメタセコイアの名前
が出てきたのか。
師匠が言うには 植物さんが
「そう言われている。」
と言ったのだとか。
聞こえたもうひとつの名前。
イチイなんとかは、
イチイスギ。これは和名のひとつ。
別名アケボノスギ(和訳)だそうだ。
(メタは変わった、という意味。
変わったセコイアということ)
アメリカではセコイアの木はクリスマスツリーとして育てられ
ている。巨大なセコイアの木の写真を見たことがあるひとも
いるだろう。
パークプレイスにも、メタセコイアが植えられている。
こちらはライトアップの時のコードが巻きつけられているため、
あの美しい三角錐がない。それで気がつかなかった。