ネットやテレビ、新聞や、誰かから聞いた話。そして本。
この世界にはさまざまな情報が溢れている。
教えを乞うのではなく学びを深める
と伝えられて
興味の対象は変わり、内観から外観を見渡す世界を感じれば、
誰のため
何のため
それから
何をするか
を、感じたまま、受けとる。
自らを遊ばせる。
学びから考えるへー
考えるから感じるへー
遊ばせて、遊ばせて、遊ばせて
思い出す。
遊ぶために生まれてきたことを。
感じて在るがまま。
そのままに。
そうしていけば、自(おの)ずから遊ぶことになる。
安心の今に居るを体現していれば、
あなたは
あなたのまま
ただ、それだけなのだ。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
私こと臣の誕生日のお祝いにメール等々、お心遣いをくださり
ありがとうございます。
おひとり、おひとりにお礼をさし上げるべきところですが、
この場を借りて、みなさまにお礼申し上げます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
いつものように、幣立神宮と天岩戸神社に詣でて、言挙げを
させていただきました。
この日は移動中もさほど雨に降られることもなく、時折日がさしていましたが、
薄曇りの日差しを眩しいと師匠は、叫んでいました。
特に眩しいと感じるところを撮影すると、ピンボケ写真ばかりが撮れます。
天岩戸神社では、いつものように、師匠、走っていってしまいました。(笑)
天の安河原のポイントで立つと、師匠は、天空をじっと見つめていましたが
やがて、
「・・・・・・マワリテメグルアワノウタ・・・。
アワノウタ。」
と唱え始めるとビジョンが私へも届けられました。
始祖であり、混沌の源に座す御祖神さま。
そして、お迎えに来られた八郎坊大権現さま、天照大神さまと。天宇受賣命さまが
降臨されていました。
そのあと、師匠は別のビジョンを受けていました。
みなさまの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 臣
ひとはそれぞれの領域ーフィルターレベルの周波数帯
で生きている。
起きる出来事、認知、理解できる知識、そしてその領域内で
真実(と思われる出来事)は、
すべて、その領域に限定的なのだ。
つまりは、外の領域から見れば、それは憶測に過ぎず
類推や推測には程遠い。
周波数帯には干渉域、奇水域が存在する。
周波数帯内の目は荒く、高い領域はそこに在る。
つまりは、この高い領域、低い領域は同時に存在するのだから、
いつでも往き来は可能で、実は往き来をしているのだ。
では、その方法はと言うと、
穏やかに在るに存在する
ことなのだ。
穏やかに在るは高い周波数へと変換がされ、自身の存在か高い帯域へと
なることができる。
それは本来の帯域でもある。
本来の自分に立ち返り、魂からの呼び掛け、共鳴に身を委ねていれば、
真実にたどり着くのは容易い。
弥和すこころは、他人に施すだけではない、自分にも施すのだ。
そのこころはやがて自分の外の自分が存在する領域へと広がり、
世界に共鳴してあなたは魂の領域に帰還するのだ。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
在るがままでいたら、する事は在る
する事が明確になる
すべき事がわかってくる
すべき事がわかっている
すべき事からあなたは呼ばれる
あなたは神から
魂から
告げられる
アナタヲオマチシテオリマシタ
と
わたしを呼ぶ声が聞こえる
わたしはその声に導かれる
今までもそうだった
これからもそうなのだ
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
自分ですべて決め、自分の在る領域が在るなら
自らのとものすべてがフィルターレベルに応じた存在なのだ
喜びも楽しみも苦しみも悲しみも、同じ在るに
添うようにそこに在る
ともに喜び
ともに楽しみ
ともに苦しみ
ともの悲しみ
ともにわけあう
あなたの部分は誰かの部分にも在る
だから同じ領域内でおこることは、同じ 部分
部分であるから、そのままに
誰かがあなたに投げかけたことばは、
あなたにではなく、自分自身
そして、自分の領域へと投げかけられた
同じ 同じ
自分ではない、自分のせいではないと
逃げても、同じ
それはそれ
それは在る
そこの領域で感じられるものはみな同じ
領域が変われば、それは違うもの こと
あなたが知らぬもの こと
あなたは知らぬ喜び
あなたは知らぬ楽しみ
あなたは知らぬ苦しみ
あなたは知らぬ悲しみ
ありがとうございました。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
かたわらにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣