今年も、日没時の東の空に、青い光がー。
昨年も同じ頃に見ている、『裏後光』。
それを見ていると、
去年と変わったことがあり、変わらないことがある。
すべては、決まっていて、まだ、決まっていないこともある。
思いは、浮遊する。
何かを得たり、見つけると消えてしまう、儚いもの。
浮遊している思いは、誰かが、手伝ってくれて叶う。
ただ、おだやかにしていれば、動くべき時期を得て、
物事は変転する。
後光・裏後光の初出
どこまでも伸びる青い光 後光(日没時の西の空)
日没後の東の空に青い光 裏後光(日没時の東の空)
お客さまとお話しをしていて、ここのところ感じていたキーワードは
『徳』 人徳
一生懸命やっていれば、自分を助ける人が現れるということ。
自分の道に邁進するとは聞くが、はからずも、そんな方々と縁を
いただいて、導かれて今、歩いていることを改めて気づかされる、
そんなお話しをさせていただいた。
一心不乱にやってきて、他の人から見れば、
あのひと、がんばっているなあ、などと言われていることすら
気づかず、自分から賞賛を求めるでなく、自分の行く道を
求めて、ひたすら、歩き続けてきただけのことなのだ。
そうやってがんばっていると自然と、道もひらけると言うものだ。
その人徳も、そのひとのレベルに応じておこることも、
感じている。
よきことは、よきこと。
そのひとにとって、幸運なできごとは、他者からもたらされる。
だから、一生懸命がんばって、あとは他力。
否。
一生懸命にがんばっていれば、いるほど、
誰かに助けともらおうなんて思ってないものだ。
だからといって、自分の力でなんても、思わない。
ただ、ひたすら、自分の道をどうやって歩けるか、歩くか
だけを行うのだ。
そうして、自分ではできない。しなくていいことは、誰かが
やってくれるものだ。
そのことに対して、奢ることなく、謙虚に受け止め、自分の道を
ひたすら進む。
それがつながっているネットワークにより、
奇跡のようなきらめきが訪れる。
光の道を歩くと決めていれば、それだけで、奇跡はいつも、
よき隣人のように、助けてくれるのだ。
柞原八幡の参道で、師匠が立ち止まる。
「なんだか、個性的な香りがするですねえ~。少し重めのスパイシーな
香りがするですよ。どこからかな~?」
「これみたいですねえ~。どなたかな?」
これは、烏瓜の花らしい。
花びらがフリルのようになっていて、見た目に華やかなのだが、
それでいて、涼しげだ。
山を歩いてて、初めて、烏瓜の花を見た。
それというのも、烏瓜の花は夜に開くものなのだそうだ。
このようなお昼間の時間。日中の開花は珍しいのだとか。
「お昼に出逢えてよかった。夜とかにはここへは来ないからねえ。
ここは竹林があって、少し薄暗いからなのかな。」
雨も時折降るようになって、植物さんたちも、一息がつけたのか、
実りの秋に向けての準備がはじまっている。
時期がくればなる。それが当り前なのだと、教えられている。
考えすぎず、あるがままで過ごせていることに、感謝だ。
世界を変えたいと望むなら
あなたが、あなた自身でいることだ
外から自分を決めるのではなく、
あなた自身があなたであることを決めることだ
あなた自身でいれば、あなたが行くべき、
進むべき道が目の前にあることに気づく
あなたの定義に進む道
あなただけが進む道
ただ、それだけが存在する
あなたは、あなたでいるだけで、世界は変わる
何度もまちがえようとも、なんども、迷いにあっても、
いずれ、還る道がある
あなたは、あなた以外の存在ではない
あなたの世界がある限り
あなたはあなた自身で在り続けるのだ
あなたが進む時、
あなたの世界はだれかの世界と混ざり合い、
波紋はひろがる
世界がひろがる
共鳴し、ひとつの歌を歌い続ける
いつも、同じことを繰り返し、間違いを繰り返し
自分は、このような存在なのだ、などと悲しまないでほしい
『間違え』は、その『間違え』に気づくことだけでいいのだ
それは違っただけのこと
それだけなのだ
あなたであろうとするための体験の一つに過ぎない
あなたを構築する石積みのかたちの一つ
当てはまる形に気づく、それだけでいい