師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

あたえられたもの

2010年09月30日 | 天意の実践

お会いする方の中には、

「私も神さまとお話ししています。」

と、おっしゃられて来られることがある。

その中にはご丁寧に、その神さまが、私たちのことを

こうこうだからだめだと、言っていたわよ、

と教えてくださる。

こんな時は、いつも思い出す。

師匠が神さまからのお伝えをすると決めたのは、

お店をしていた時のこと。

お見せに来たお客さんが、神事(かみごと)をされている

と聞いて、

自分はできる、と瞬間、思ったのだそうだ。

そのときのお客さんがされていることは、

神さまから言われたら、夜中だろうと、早朝だろうと、

指示された場所へ行き、指示された方のところへ

指示されたことをしている、と話していた。

まだ、神さまのことを意識していなかったので、

つい、

「わたしはこんなことは、できないな。」

とつぶやいていた。

以来、この方のようなことはおこらなかったが、

自分にあたえられたお手伝いは、できうる限り、

させていただいている。

けれども、神さまのことはあまり口にはしないが、

この来られた方の神さまは、他の方のことも話されるようだ。

ひとはひとのことをとやかく言う

神は神のことは言わぬものだ

これも教えのひとつとして、まだ未熟だたった頃に告げられた。

ひとであることを超え、ひとである感覚を超えて

物事を捉えるよう、教えられている。

それが、本来の自由な存在である魂の在りようなのだ。

      

下の記事へ続く

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あたえられたことの戒めとして

2010年09月30日 | 天意の実践

このように、

ある程度のフィルターレベルになると、どうしてもおこりえること。

それは、自分はすごいのだと思う瞬間だ。

もちろん、自分を称えることはとても大事なことだ。

すごいことが成しえる存在のレベルへと到達をしたのだから。

そして、とてもありがちなことだが、

他者と比べ、自分のすぐれていることをつい、言いたくなる。

ここに隙ができる。

こころのすきま。

つい、奢り高ぶるこころが芽生える。

そして、まわりには”マ”を集めてしまう。

それが自分の役割ではないと思うなら、

ただちに他者への批判は言わぬことだ

自分自身のために

自分の周囲を、愛するひとたちを巻き込まぬために、

傲慢な態度や行動にならぬよう 

不遜なことばを吐かぬよう 

自分を律し励むことだ    

これからの時代 

自分は守られていることを自覚することは

とても大事なことだ

けれども、それをよく思わぬ者もおる

自分では思わずとも、

他者をねたみ、そねむものもおる

そのようなものを引き寄せぬためにも、

こころして おれ

      

ありがとうございました。

さらに身を処して、お勤めをさせていただきます。

     

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あたえられた喜び あたえる喜び

2010年09月29日 | 天意の実践

おかげさまで、このブログを通じてや、ご紹介で、全国各地から、

ご依頼ということで、電話であったり、遠路はるばるたずねてきて

くださったりと、ご縁をいただく機会を得ている。

そして、師匠に降ってきたことごとに添い、お客さまへの

言霊をお届けする時の喜びは、本当にたとえようもない。

会話を通じて、その方へのアドバイスとともに、

ご依頼いただいた神事を行う時、常にそこには喜びがある。

神とは喜び

と教えられて以来、祝詞をあげるとき、神文字を書くとき。

神札に作成したり、御和幣や瓔珞のデザインを師匠に

降るまま描きあげるとき。

どう表現したらいいのか、持っていることばには、

どれも適切なものは見当たらない。

けれども、その喜びは、お客さまに届けられた喜びへとつながり

さらにまた、ご紹介くださった方へも喜びがひろがっていく。

このような喜びをみなさんと体験をできることへ感謝しつつ、

日々、お勤めをさせていただいている。

生業というにはおこがましいが、誰かのお手伝いができる

このような機会に出会えて本当によかった、と思っている。

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これからのみち

2010年09月27日 | 天意の実践

神さまからこのブログをはじめるよう、告げられて掲載をはじめて

これが900件目の記事となる。

少し前からはじめたことが、このブログというツールへつながり、

みなさまとお会いできた。

そしていつものように9月の沈黙の季節を過ごして、

次のステージへすすむこととなった。

”仕事場”で掲載した記事にもあるように、現・龍王陛下の修業時代に

ご指導の7本指の観音さまから見せられた年表の最期にしるされた

”天卜占”の文字。

この意味を厳密なことばにはできないが、これは決められていたこと

であり、決めていたことでもあると、受け入れ、あまり、意識せずに、

これまでおこなってきたことではあるが、

今まで同様、神さまからの語りかけをこのブログではお伝えする。

また、初期のものは、仕事場の『神語り』として、あらたに再掲載

している。

みなさまのこころの励みとなれば、幸いである。

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これからを生きる智慧としての在るがままの生き方 7 勤勉という美徳

2010年09月25日 | 天意の実践

神さまからのメッセージはどれも、従属を強いるものではない。

どこまでも、自由に選択して構わないーあなたを傷つけぬ方法ならー

ということだ。

けれども、宇宙の法則に添い、神々のことばに耳を傾けると

どれも、よりよく機能する方法ー智慧にほかならない。

そして、機能しないことを排除し、削ぎ落すような方法ではなく、

もっと積極的なアプローチと、問えば、

勤勉

と、ひとこと。

これは、いままでの日本人が普通にしていたことだ。

何かの道にそって、技をみがき、自分を磨いてきた。

それは、時に求道であったり、

新しいものへの挑戦であったり、と

勤勉であれば、おのずといろいろなことへとつながりを

ひろげていく。自分の世界が広がっていく。

そして、一所懸命に行っていれば、

”マ”などどいうものは引き寄せない。よりつかない。

なにかにうちこめるものであれば、おのずと

自分を律っする。そして、それに添って仲間が集まる。

助けてくれる。

これほど大きな力はない。

神のご加護のなせるわざを体験することができるのだ。

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