師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

おじゃるをゆるす

2013年04月30日 | 天意の実践

少し前に、『おじゃる丸のまったり語録ーしあわせの哲学』

なる本が出ていました。

月光町、平安町のひとたちは誰もがわけ隔てなく受け入れて

いるのです。

妖精のおじゃるであれ、小鬼トリオであれ、吸血鬼の館長であれ、

ツッキー(月夜が池に棲む恐竜(笑))であれ、怖い漫画を描く(笑)

幸代であれ、です。

自分とは違う世界の人種でも。

たぶん、自分が高次であれば、低次を内包しているから、

摩擦することや衝突するなんてことは起きないのですよ。

だから、いつもにこにこ笑っている。おだやかなんです。

ここで波紋を起こすのは大抵、おじゃる丸です。

これは、なにかにつまづいて、ハマっている人の精神状態

に似ています。

自分が問題を起こしているのに、そのことに気がつかず、

誰かのせいにする。

また、何も起きてはいないのに、どうしょうとあれこれ考えて、

それを埋め合わせるために、よからぬことを考え、言い訳に

終始する。

これでは、あいちゃんのつくってくれたプリンに癒されたいのも

うなづけるかも。(笑)

ゆるせるのではなく、ゆるしたら、気にならなくなるものです。

気が抜けるほど、ざっくりした感覚ですが、真理なんて、

そんなものです。

または、好きだから、丸ごと好き。大好き。なにかあっても

気にならない。

結果の感覚です。けんかしても、すぐに仲直りできます。

相手を尊重しあえる。その究極が、無条件で愛する

ということ。

神の無条件の愛とは、このようなものなのです。

そして、

赦しが自分の課題であれば、その課題を解いてしまえば、

よいのです。何も問題はありません。

あなたはゆったりと自分で在り続けられる道を歩いていく

ただ、それだけのことなのです。

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けんかすることなく咲き誇るふじの花々

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読んでいただきありがとうございました。

コメント (2)
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おじゃるが許せない

2013年04月29日 | 天意の実践

Eテレで『忍たま』の前に放送される『おじゃる丸』の主人公

おじゃる丸が大嫌いでした。

ぐうたらでわがままで、身勝手、業欲なおじゃる丸。

それがまかり通る月光町や平安朝の住人達。

案外、この世界の中の自分の世界なんて、こんなものかもしれません。

けれども、この世界では気をつけなければならないことが。

それは、相手に向けたはずのこの念は、自分に帰ってくると言うこと。

妬みや嫉みは、発生源へと戻ってくるのです。

特にお釈迦様の教えにあるように、妬みや嫉み、屈辱は

受け取らなければいい。とあります。

受け取らなければ、その思いは、本人へと戻って行くように

なっているからです。なぜ、反応しないのだ、と、本人が

また、そのぐるぐるの思いに囚われるから。

逆も然り。ですね。

なぜ、きらいなのか、ではなく、こう、あらねばならない。

こう、あるべきだ、と思うから、それからはずれれば、

ひとは、許せないという思いにかられます。

 
これは至極まともにきこえるのですが、

中学生の頃、このような正論を吐く(!)私に、

父はこう言いました。

「おまえは評論家になりたいのか、何も産まない、ただ、

人を批判するだけのー。」

父から見た評論家は批判家が=(イコール)でつながっていたのです。

これは、今の思考の根底です。

本当に世界を変えたければ、自分が変わるしかない。

これが宇宙の真理です。

しかし、本当に、おまえはそう思っているのか。

と、問われるのです。

物事が、動く、動かないは、本気度に比例します。

そして本気度は、本人が本気でやりたいのか、

やりたくないのかに因るところが大きいのです。

本気でやりたいこととは、本人の使命に関わってきます。

今の人生においての課題。生まれてくる前に交わした

約束のようなものです。

裏返せば、叶えたい願い。願望や希望。
 

それ以外は、本当は必要ないのです。

それを感情に任せ、言葉を撒き散らせば、マイナスエネルギー

たちの餌を撒くこととなり、自分自身が、マイナスエネルギーへ

餌を供給する餌場と化し、マイナスエネルギーに取り込まれて

しまうのです。

反対を唱えるのは簡単ですが、それにかけたエネルギーは、

これもおのずと返ってきます。

これは反対と唱える行為でなくとも、同じことです。

戦争反対ではなく、平和を祈る という行為です。

何かをするなら、この波紋のある世界の法則を熟知する。

そして、それが自分の使命かを自分自身に問い、

覚悟できるなら、

それは、あなただけの道なのです。

神に正邪はありません。

それこそ、神にとって、意味のないことなのです。

大目に見てやってはくれまいか
  

八幡大神さまはおっしゃいました。

これは、相手を、ではなく、何かを許せない

そう思考する自分自身に対して

多目にみるよう言われたのです。

最初は、この意味がわかりませんでした。

神さまからのメッセージは、本質だけを言葉に変換して

伝えられるので、それにあれこれの指示や、意図的なもの

裏があるような言葉ではないのです。

人間は、それの裏を読み解こうと、あれこれ詮索をするから、

今のような宗教法人の形へと体系づけやすくしたのです。

そこには、はじめたひとの意図的解釈が厳然と存在します。

この日の本に根付く神さまのネットワークには、文字化した

教えではなく、思いだけをつなげて、そこここにそれはあるのです。

そして、それを感ぜられる素養が日本人のDNAにはあるのです。

目には見えなくとも、教えを守られる。その謙虚さと、勤労を通じて、

日の本のひとたちは、今も、これからも在り続けられるのです。

ただ、どこかの特定なところに行かずとも、そこここで、

教えはあり、祈りはあるのです。

どこにいても、それはできます。

あなた自身が神として、体現することを思い出しさえすれば、

日の本の小さき神たちは、神として、ここに生きるのです。

  

読んでいただきありがとうございました。
加筆、修正しました。

コメント (4)
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最大の敵 最強の友

2013年04月28日 | 天意の実践

前回の記事の続きです。と言うか、

コメントへのお返事を書いていたら、こうなりました。(笑)

記事として公開します。

雑多な自分を整えるのは自分。

けれども、こんなに雑多にしたのも自分なのです。

いろいろなものを選びとり、選択の時点で、ころころと判断を

変えた結果なのです。

では、なぜ、判断を変えたかと言うと、

気分を優先させたから。

フラットな状態を維持することなく、気ままに選ぶと、

そうなるのです。

うまくいっているひとは、本線がぶれたりしません。

そして、そこへたどり着く努力をおしみません。

誰のためって、それはもちろん自分のため。

ではないですか?

うまくいくもいかないのも、自分が決めている。

妨げる思考を選んだのは自分。

それが最大限の力を発揮できるような思考を選択するのも自分。

自分自身でいれば、それはなんなく得られる

自分自身ではなく、誰か他人の思考に賛同すれば、

道は険しく遠い

だから、毎日のニュースや、流れてくる不確かな情報に

自分まで流すことなく、自分で在り続けるかたい決意を

サポートすることだけに専念していれば、

進む道は、楽しい


   
八幡大神さま、ありがとうございました。
  
  

読んでいただき、ありがとうございます。

コメント (1)
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雑多な心を整える

2013年04月26日 | キーワード

あいかわらず、とっ散らかった素っ頓狂が全開な天卜占です。(笑)

予定が立て込めば立て込むほど、なんだかあれこれと多方面に

思考が飛んでいます。(笑)

立て込むほどに、集中のためにぽけら~が進み過ぎて、降ってくる

ことや、それ以外のいろいろなことをキャッチしてしまいます。(笑)

それで、つい誰かにお電話したりして思考を整えるお付き合いを

願ったりしています。(先日は本当にありがとうね。)

通常は、臣さんと雑談しながら思考を整えています。

その中で、いつも上司(笑)から言われている、善悪の選別、区別を

しない思考について、とても感じ入っていました。

そんな中で今朝降ってきた八幡大神さまからのメッセージは、

雑多な心を整える

たとえ、目的がその時達成しなくても、そのすべてをひっくるめて、

楽しむ、と。

そして、目的があるからは達成するものなのだから心配することは

なにもない。

それをあれこれと、考えるから思考は雑然として、こころには雑多の

ものばかりがあふれる。

不安とは、雑多な思考がオーバーフローしているのですね。

今は最善を選択するために、思考がフル稼働させるのをしばし

止めて、休憩です。

教えに添い、こころを整えることに専念するとしましょう。

いつも読んでくださり、ありがとうございます。

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ちょっと、ブレイク コメントへのお返事 

2013年04月24日 | 天意の実践

昨日いただいたコメントを公開してよいものか、逡巡しました。

その結果、いただいたコメントは公開せずにおきますね。

とても、個人的なことが書かれてありましたので。

    
ただ、コメントに返事を入れるとわかりにくいかもしれないので、

こちらの記事欄から感じたお返事をさせてください。

あなただけでなく、ここへ集われているどなたにも、

勇気をエールをあたえられるメッセージ、

神託が降って来ましたのでこのように形にさせていただきました。

~以下、コメント欄へ書いたものの転載~

ここで、書ける範囲内でお答えできることは、準備に3年かかって、

自分自身を見つめる旅へ、今ようやくスタートラインに立ったのですよ。

本当によくがんばってこられましたね。

そのことを実感し始めたことを、まずは喜びましょうよ。

本当によかったです。おめでとうございます。

以下は、神託です。

濁った水はやがて重いものは沈殿して行き、澄んだ水がその姿を

現します。

本来の姿を取り戻すのです。

いろいろと雑多にものが置かれたこころという場所を片づけ、

すっきりとして新たな始まりです。

これからの旅に必要なものがあれば、その度、それは現れます。


話せる時期がくれば、話せる相手も現れます。

それまでは、今の澄んでいく自分を感じて、楽しんでください。
  

旅は、まだ始まったばかり。どうか、あせらずに。

あせってはいけませんよ。

楽しむと言う行為は、こころの余裕あってこそ。

こころが穏やかになった時にゆとりが生まれ、

それは、かの天の岩戸伝説の天照大神さながらに、

輝ける内面が楽しさにその姿を見せることでしょう。


その瞬間をどうぞ、楽しみにしていてください。
    
    

訪問に感謝

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