師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

観察者の夜明け 傍観者の黄昏 

2009年04月29日 | 天意の実践

本来の自分とは、従来の自分とは違う。

本来の自分とは、『観察者』である。この世界を観察するもの。

人間の目から見たとき、感じる言葉。それらを表すなら、

本来の自分ー神とは、『観察者』なのだ。

自らの呼吸一つ、自らの体の動き一つをじっと、根気強く

観察する。そのことにより、より的確に物事を見通す力を

有する。

傍観者の時代は終わったのだ。

自分の人生を傍観する時間はない。

観察者は、より自らを大切に思う。だからこそ、冷静におこる出来事を

自己保全を目的に、観察できる。

傍観者は、自らすら、他人だ。

もう、コップを取り落としている場合ではない。

新たな結果を受け入れよう。

澄んだ細やかな波動ーエネルギーに身を包み、ゆるやかに、そして、

速やかに、テーブルから落ちようとするそのコップを取り上げよう。

自分のために。自分を取り巻く、同じ自分のために。

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目覚めるのは、私

2009年04月28日 | 天意の実践

時間は戻せない。

時間は戻すことなどできない。前へ進むのみ。

私たちは到底、あと戻りなどできないのだ。

そういう意味でいけば、物理学者の説は真理だ。

時間は守られ、一定方向に進む。一定方向にしか進めない。

この世間のただ中にあっても、

内省によってのみ、本来の私は目覚めるのだ。

外のざわめきを、自ら遮断し、遮断することによって、

真理に到達できる。

どんなに喧騒の世界にあっても、

本来の私が目覚めているから、傷つくことなどない。

変化はすでに始まっている。

私は、この私を受け入れるだけでいい。

そして、今、新しく目覚めた私が語る。

新しく目覚めた私のことばで語る。

これからも。光の道を歩く。

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早吸日女神社の藤の花

2009年04月28日 | 神社紀行

4月も、もうすぐ終わる。

月の祓いのために佐賀関町の早吸日女神社

へお参りに行った。

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この数日は寒かったので、

開花は足踏み状態だそうだ。

5月3日に行われる藤祭り

の準備をしていた地元の

ひとが言っていた。

当日はお茶会が、

今年も行われるそうだ。

花が開いていないのでまだ、花の香りがあまりしない。

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本殿脇の橘は、今年、蕾がたくさんついていた。

藤祭りの頃には、こちらも開花していることだろう。

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花の季節 丹生神社のつつじ

2009年04月28日 | 神社紀行

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少し前に、丹生神社へお参りの行った。

竹林では、筍が顔を出し、エネルギーを放出している。

つつじの花々も、咲ききっていた。 025_2

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自分という本分 天分

2009年04月27日 | 天意の実践

誰も自分以外には、なれない。

自分という、本分からは離れられない。変われない。

夢であり、願いである別の新たな自分が、自分という本分と

かけ離れていれば、それは自分以外なのだから、自分には

なれない。

だからといって、自分はあきらめられるか?

そう言われて、自分はあきらめるか?

そう、結論を急ぐものではない。性急にことをすすめても

うまくはいかないものだ。

自分の本分にないのであれば、じぶんの本分にするのだ。

今の自分の魂(生命体)には、重すぎるから、新たな魂(生命体)

の応援を得て、軽い周波数であれば、それは、新たな自分の

本分として、認識される。その本分の力は発揮される。

なりたい自分に必要な力が手に入ることを知っていることと、

本当の自分に気がつけば、あなたの力は、ネガティブマインドから

抜け出して、自分自身として、生きられる。

もっと、もっと、楽に生きることができるのだ。004

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