(天)意にのる(祝る・乗る)と、すべてのネットワークにつながるので、
地の理(ことわり)に添ってものごとは進む。
初期の段階の魂は、その波動レベルー領域にまで到達してこそ、理解できるし、
体感を得る。
感覚や体感は、教えられて理解、認識できるものでもない。
時には、到達しているにも関わらず、理(ことわり)を忘れている。
だから、思い出す作業を行う。
余分な思考は削ぎ落し、(禊ぎ・身削ぎ耳削ぎ)し整えることで、その領域に到達
できる。
在るーとなる。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
誕生日には、自分自身の言挙げをします。
今年は予定の関係で、少し早めの言挙げを。
幣立にはお昼前につきました。参拝を済ませて、日拝をさせていただきました。
連休の日曜日のため、どちらもひとが大勢なのですが、自分たちがお参りする時は人の流れが途切れます。
天岩戸では清められた空間に、いと尊きお方のお姿を拝見させていただきました。
お導きに感謝いたします。
春の芽吹き 春の息吹
みなさまの日々が光に満ちたものでありますように
かたわらにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
「罰はあたるものなのですよね、と言われてぎくりとしたわ。」
古神道の先生はある日、ご自身が神事(かみごと)をされていることをご存知ない方から
真顔で言われたそうだ。
『罰』という概念がどういうものなのかはともかくとして、
それは結果としては、
ある(存在する)
と何度も教えられてきた。
だが、それもまた本人が選んだ結果なのだ。
時に人は自分自身を責め、罰をあたえることで自分自身を守ろうとする。
けれども、その結果は周囲をもまたまきこむ。
巻き込むためにそれを選ぶ。
汚染することで満足しようとする。満足を得ようとする。
だから、孤立する。
別な立場からみれば、各自もまた自分を守ろうとするからだ。
選択すれば、それはそうなる。
光選ぶものには、光が、希望が
やみ選ぶ者には、やみが、絶望が
あたえられる。
自分で蒔いた種から派生したものは、自分に還ってくる。
ただ、それだけのこと。
それを希望とし、宝とするか、罰とするかは、
自分で決めている。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
悪にはむかってはならない
この言葉は真理だ
憐憫も慈悲も必要ない
それはただ在る のだ
あなたの心の中にとか、相手の心に
とかいった話ではなく
ただ、在る
どうしてもトラウマとなって、苛まれる
と、言うのであれば
それはどこに存在しているのか
そう考えるから、対立を産む
それは、それ
そのままにする
あなたもまた、そのまま
そうして、完全なあなたを体現するのだ
八郎坊さまありがとうございました。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
かたわらにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣
守られているからと言って過信してはいけません
守るべきことを尽くしてこそ、整いは施されるのです
自身にあっては、思考、行動が揃い、そうして、
あとはおまかせするのです
言行不一致では整うものも、整いません
今までの苦しいあなたを癒し、あなたの苦しみを消してこそ、
世界の整いは始まるのです
あなたの世界が整うことで、あなたの世界は整い変わります
あなたが目にする世界が変わるのです
ありがとうございました。
謙虚であることは美徳です。
自信がないことではありません。
消極的でもありません。
自信と穏やかさにあってこそ、ひとは謙虚に在るのです。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天卜占と臣