自らが選択した結果の今にいるのだから、
それを認める。
あるがままを認め、自分の今を見つめる。
そうすることでまた、取捨選択ができる。
雑多な自分は、それはそれで自分なのだから、
そのことから目をそらさず、
ただ、ただ、ながめる。
そうしていけば、こころの滓が静かに消えていく。
自分自身でいる。
こころの滓を作ったのも自分。
はがすのも自分。
結局自分は自分であり、世話をするのも自分
というわけだ。
自分であることに抗わず、流れにまかせる。
自分自身が、自分だけが行き先を知っている。
それを理解し、進んでいけば、
必要な時に必要なそれらは届けられる。
必要な仲間であったり、
知恵、知識であったり、
場所やお金などといったギフトが届けられる。
あなたはただ、そのことを知っているし、
準備もできていると思って、
そのスイッチを押すのだ。
ありがとうございました。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神々と共に
感謝 天卜占と臣
困難に在る時、ひとは感情のままに振舞い始めます。
エゴのままにまかせています。
自分で操縦することを放棄しています。
なにかがあるからとそのせいにしたり、
自分を正当化するための何かを探そうとします。
それもいつかは終わります。
なぜなら、自己である魂は本来のこと、
本来のさまを知っているからです。
世界の在りようも自己は知っています。
感情は魂の在りように大切な要素をあたえています。
選択だらけの世界から、ただ、ひとつ世界(ワンネス)
を選ぶよう導きます。
静寂の中から感情の世界を観た時、
世界の在りようは一変します。
慈愛と寛容そして、
気づいた初めの頃は憐みを持って見渡すことでしょう。
誰のせいにもできない。
ひとは自分の発したものの責任を受けるのです。
それは自分にかえってくる。
義務とかいう生半可なものではありません。
自分の発したものが自分の世界を決めているからです。
もし、困難に在るなら、
それは自分が自分で決めたことなのだから、
自分で変えられるし、自分で変えることができるのです。
苦しみから楽しみへ還るのも自分自身。
静寂にあっても、楽しみはあります。喜びはあります。
静寂はよきことのすべてを
内包しているからです。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神々とともに
感謝 天卜占と臣
静寂の奥底に息づいている本来の自分。
自己。
魂。
これが目覚める。第二の誕生。
まさに紆余曲折を経てもう一度生まれるのは、
この世界の法則。
御祖神アメノミオヤの体現であり、
そのさまこそが、あるがままをあらわしています。
それは古くから賢者たちにより伝えられてきた
教えでもあります。
すべてのネットワークとつながって生まれてきたはずなのに、
さまざまな選択からポロポロとそのネットワークからはずれ、
単独の存在となって、はじめて、
ネットワークからはずれていることに気が付きます。
気がついて再び、ネットワークの存在をあなたは思いだすのです。
もともと身についていたその作法は思い出すだけで、
あなたの生来のものであるから、なんなく使えるのです。
その思いだす作業にちょっとしたコツを見出すのです。
急ぐ必要もないし、慌てることもありません。
すべては最初から決めていたことであり、
決めていたことに添って、今まで来た、
それだけのことです。
そして、自己を護るよう決めてきたのだから、
これからも自己は護られるのです。
疑わず、素直に謙虚に入れば、
美徳ある自己はよりよき選択をし続けるのです。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方に
感謝 天卜占と臣
ゆらぎにココロを添わせます。
ゆれるままに流します。
惑う時は、惑うままにココロを添わせます。
これは同化ではありません。
ゆらいでいるのはあくまでも表面的なこと。
中では波風すら立っていないのです。
そのことに気づく。
そうすると、ココロは中の状態に共鳴します。
静寂とは、簡単に訪れるものなのです。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神々と共に
感謝 天卜占と臣
さまざまな体験を経て、『自分』という存在への認識を深めると、
やがて自分の奥底に在る
存在に気が付きます。
この時点で、『気がつく』と言う行為の認識を深めているのです。
『気がつく』は教えられることではなく、体感を重ね、
その精度を高めてたどり着く領域です。
最初は、ちょっとした、ピンポイントのようなものからはじまり、
ついには神々の岩戸開き
そのものの体感へと変化します。
神はだれにも宿っている。
それは自分の奥深い部分に静かに存在しているのです。
この神(魂)の存在を認め、
受け入れその存在と感覚を共有して生きて
初めて自分自身として生きる
体感となるのです。
自分を愛してこそ、他者を愛する。
自分を大切にしてこそ、他者を大切にする。
自分を満足させてこそ、他者を満足させられる。
誰もが自分中心です。
自分が認識できたことしか、ひとは表現も理解もできません。
何事も自分基準なら、そのことを深く理解することです。
自分基準である自分を認めることです。
自分基準の自分を好きになることです。
自分をわかるなんて難しいなどとは思わず、
今の自分を認めることです。
そして、そのままに置くことです。
自分は自分が護ることしかできません。
そのことに気づき、そのことを含めて、
自分を俯瞰してください。
ゆったりしたこころで自分を置くのです。
感じませんか。
奥底の扉がゆっくりと空き始めていることを。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神々と共に
感謝 天卜占と臣