師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

在ることの、確かさと不確かさと

2010年03月16日 | 天意の実践

仕事のことでの相談を受けることがある。

「今の世の中、仕事に就こうとしたときに、資格があった方が

有利ですよね、それで、これこれの資格を取ろうと思っている

のですが、どうでしょうか・・・」

と、質問をもらう時、たまに、こちらからの説明が伝わらない。

認識の違いというものだ。

理解度ともいうのかもしれない。それ以上に、そのひとの目的は、

どうしたら、その資格がとれるかなのだ。

その方は詳しく自分のことを話してくれないので、聞いたのだが、

なんとも、あいまいにするので、深く聞けなかったので、改めて

説明した。

その方の最終学歴は、高校で、話していた取りたい資格は、

四年制大学卒以上のものだったと、記憶していた。

結果、話していた資格のものの中では、高卒のひとが取れるものに

挑戦して合格したのだが、年齢がいっているので、実際は年齢で

募集にかからない。それに、たいていは、実務経験5年以上など

が付け加えられる。もちろん、今は全然違う職種の仕事をしている。

同じまちがえをしてしまいがちだが、よく考えてみよう。

目的。自分はどこへ向かおうとしていたのか。

その目的のためにおこした、手段に過ぎなかったことが、

すり替わってしまってたりする。

思考は大切だが、考え違いをしてはいけない。

最終地点はどこだったのかを。

そして、考え、行動することも大事なように、

立ち止まって、自分に問う行動もまた、同じように大事なのだ。

これは、小さなことから、この世界に関わる大きな事柄まで、

つながっていることを知るによい事例だ。

環境問題も、人間関係の問題も、解決する簡単なことがある。

あなたは、ほんとうは何をしたかったのか。

あなたの望みは。

なりたかったことは。求めたものはなにだったか。

問うてみよう。

答はいつだって、自分が持っている。

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