あるがまま
受け入れる
ありのままでいる
究極のさとりはそんなところだろう。
実は、ことばすら存在しない。
変わりたいとどんなに本人が口にしても、変わらないひとは
変わらない。
実は、変わりたくない。
人間はそのようにできている。
そういう機能がついているのだ。
だから、外因から変わることはできる。
外因から内因へ。
または、外因を受け入れる。
先日、カウンセリングの時に私たちを見て、
「そういえば、最近、瓔珞を着けていませんでした。
これからは忘れずにつけます。」
と、おっしゃった方がいらした。
もともと、マを引き寄せやすいのでなにか方法はないですか
と、来られて話すうちに、シールドタイプの瓔珞を依頼されて
お作りし、神託を添えてお渡しをしていたのだ。
なにかの折りに着けずにいて、なんとなくそのままでいたら、
また、不安が強くなってきたのだ。
瓔珞は護るものと、神さまとの契約ーシルシのものがある。
どちらもカタチという外因により、目的を果たす。
目的が果たされれば、それらを用いることは無くなる。
たとえそれがシルシであっても、神との契約を終えた者、
終わらせた者にとっては、お役御免ということだ。
どちらにしても、自分が決めている。
ひとは、変化を好まない。
それは時に自分を苦しめる。本質は変わらないが、
本質でなければ、自らを苦しめる。
本質に気がつくためには変化も受け入れる。
我で動かすものではない。
流れにまかせる。
なんのためにかを忘れないために、御和幣は
教えられ、作られた。
変わることを忘れない。
変わらないことも忘れない。
すべては自分自身で在る
ただ、そのために。
ありがとうございました。
あなたの日々が光に満ちたものでありますように
傍らにいつもいてくださる神さま方と共に
感謝 天ト占と臣