自分を見出すと、そこはことばのない世界。
自分でいる。在るだけの世界がひろがる。
すべては、自分であり、自分がすべて。
そこには喜びの波動が満ち溢れている。
やわらかで、ゆったりとしたバイブレーションの世界。
自分という塊から場へーそして、場から、自分という宇宙への変転。
せまい閉ざされていた個体から液体へそして、開かれた気体へと
変化をする。
そのとき、自分という意識は、全体との関わりであることに
きがつく。
つながりあう喜び、つながりあう手と手。
その手は、よく伸びてすみずみまで行きわたり、誰もが、誰かのためにと
腕を手を、指を広げている。
個体や場であった時に、ちぢこまって、握りしめられていた手が
今は広げて、どこまでも広げてあたたかく包み込む。
握っていては、なにも手には はいらない。
自分の望みばかりを握りしめていた。
かつて、望みは叶わなかった。
けれども、今、すべてとつながることで、『私の望み』は消える。
『私』は消える。
限定された世界から抜け出し、わたしと同じ世界の誰かが
望みを叶え、笑いあう。その、喜びの光は世界を照らす。
つながりあう円環は世界そのもの。
すべてが在る世界。
満ち足りているのだから、満ち足りていないものは何もない。
誰かとことばという不完全なもので、伝えあわなくても、
つながることで、すべては伝わる。
これは体感のみが在る世界。
自分の本当の姿を見出すことができるのだ。