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師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ココロの庭を整える 選別する

2012年11月04日 | 天意の実践

同じひとつのできごとを神さまからの恩寵ととるひとがいて、

それをただの偶然と片付ける人がいる。

神さまというキーワードに納得ができなくて、先へ進めないのだと

したら、なんとも、もったいないような気がするのは、いつものただの

おせっかいなのかもしれない。

だが、こう、考えてみるのはどうだろう。

あなたは、こう決めていることがある。

そうすると、それにそった事象が起きていることにはもう、

気づいているだろう。

実は、人間の脳はとてもよくできていて、命令をあたえていると、

それにそって、起きていること、目の前に現れる情報を自動的に

選別をするようになっている。

興味のあることの情報には詳しいが、それ以外は全く知らない

というのは、

脳の生理から言えば、至極当たり前のことなのだ。

だから、自分に必要な情報は引き寄せられる。

言いかえれば、あなたの命令により、すべて選びとっているのだ。

だから、自分の思うとおりに誰もが生きている。

それは、あなたが、認めても認めなくてもということなのだ。

もっと、らくに生きたいと本当に思うなら、自分自身の精度を

上げてみてはどうだろう。

あれもこれもと選ぶのではなく、今の自分に素直に従う。

それが、流れにそって、生きると言うことにつながっていく。

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ひとつのものを見つめる2人の人物がいる風景

2012年11月02日 | 天意の実践

ある事象が存在した時、それをどう見るか。

それは、ひとそれぞれだ。

だから、比べられないし、それに対して、感情を寄せることもない。

事象はあくまで事象にすぎない。

それに対して、過剰に反応すると自分を貶閉める。

よくもあり、わるくもありだ。

事象をそのままにするもよし、それに抗うもまた、よし。

すべては、自分が決めている。

義憤に駆られるもの。

他人事とするもの。

驚嘆するもの。

あきれるもの。

無関心に受け流すもの。

そういうものだと知っていれば、何事にも過剰に反応することもない。

そうやって、自分を守るのだ。

悩み多き人は、何事にも過剰に反応が過ぎる。

そして、自分の過剰反応が世界のすべてと思っている。

それは、あなたの勘違いだ。

あなたの世界はあなたを内包しているが、それは、他の世界とも

つながっている。

だから、世界は常に流動的で在ることができる。

自分の勘違いだと気づけば、悩みは減り、肩の荷もおりる。

降ろすことができる。

他者がいて、気づく。

その存在の意味は他にもあることを知る。

だから、ひとりではない。

あなたと、あなた以外とのハーモニーが

この世界のメロディを奏でている。

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