外苑茶房

神宮外苑エリアの空気を共有し、早稲田スポーツを勝手に応援するブログです。

1977年の早大野球部( おまけ)

2008-08-02 23:42:51 | 大学野球
1977年は、甲子園球児ら、有望新人の大量入部が話題になった年でもありました。

中村政治(投手、PL学園)
黒田光弘(投手、小山)
山岡長英(捕手、秋田高)
応武篤良(捕手、崇徳)
片桐幸宏(内野手、桜美林)
新田泰士(内野手、天理)
佐藤功(外野手、東海大相模)

写真は、現在の監督さんに敬意を表して、応武さんの若き日の一枚をご紹介します。
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1977年の早大野球部( その3)

2008-08-02 22:48:52 | 大学野球
同じ『神宮の星』から、もう一枚。

安部寮でくつろぐ外野陣の三人。

右から白鳥(四年)、須長(三年)、永関(三年)です。

白鳥選手は、静岡高校で甲子園準優勝。
長打力が売り物でしたが、早大入学後に病気療養の時期があり、復帰した後、体のキレが最後まで戻らず残念でした。
卒業後は日産自動車に進み、監督も務めました。


須長くんは、本庄一高の監督として、ただいま甲子園で奮闘中。

同期の永関くんは、現在ホテルマンですから、夏休み返上で仕事なのではないでしょうか。

それにしても、70年代のファッションは、今となっては、やはり古くさいですねぇ(苦笑)
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1977年の早大野球部( その2)

2008-08-02 22:45:05 | 大学野球
この年から、本格的に実力を発揮し始める岡田選手。
時は、怪物・江川を擁する法政が四連覇を目指して驀進中。
本当に強敵でした。

早稲田を応援する私たちにとって、岡田の打撃は、まさに希望の光そのもの。

彼の四年間の輝かしい記録です。
通算20本塁打(リーグ歴代3位)
通算81打点(歴代1位)
通算打率.379(歴代1位)
ベストナイン五回
サイクル安打(1978年5月8日、東大戦)
三冠王(1978年秋)

写真は、安部寮で同期の向田投手とくつろぐ岡田選手。
報知グラフ『神宮の星』1977年春季号からお借りしました。
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1977年の早大野球部

2008-08-02 22:10:50 | 大学野球
私が大学三年生となった時の野球部は、吉澤、八木、松本の大型プレーヤーたちが卒業しましたが、中屋、西本、須長、向田、岡田らが期待どおり成長し、世代交代が上手くできた年だったと思います。

二年生となった岡田が左翼から三塁に移り、三試合連続本塁打を放つなど、いよいよ本領を発揮。

揃って強肩強打の岡田と中屋が形成する鉄壁の三遊間は、それからの二年間、早稲田の看板となりました。

当時のメンバーです。
9西本(三年、報徳学園)
4岡村(四年、佐賀西)
2山倉(四年、主将、東邦)
3佐藤(四年、天理)
5岡田(二年、北陽)
6中屋(三年、早実)
8佐々木(三年、大谷)、永関(三年、天理)
7須長(三年、川越工業)、白鳥(四年、静岡)
1道方(四年、箕面自由学園)、向田(二年、前橋工業)、前田(四年、三田学園)、難波(四年、四条畷)、北口(三年、天理)

写真は、山倉、佐藤、岡田のクリーンアップ。
週刊ベースボール増刊・1977年春季リーグ戦決算号からお借りしました。
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1976年の早大野球部 ( その3)

2008-08-02 08:37:22 | 大学野球
この年に中軸を打っていた俊足・松本(左側)と豪打のマックス佐藤の両選手。

現役時代、マックスさんの写真のほとんどが、このように怖い顔ばかり。

日本生命でプレーされた後に早稲田の監督に就任。
東伏見で、おっかなびっくりご挨拶した時に、マックスさんの穏やかでユーモラスな語り口にビックリしました。
実際にお会いしてみないと、人は分かりません。
現在は、城西国際大の監督さんです。


盗塁の六大学記録を更新した松本さんですが、学生時代は左肩の脱臼が癖となってしまい、安定して力を出し切れませんでした。

プロ入り後に肩を手術。
猛練習によってスイッチヒッター転向にも成功し、持ち前の快足で『青い稲妻』あるいは『走る博多人形』などと称されるスター選手になりました。

松本さんは、巨人のスカウトとして、和田、鳥谷、越智らを見に、東伏見に連日おいでになっていました。
松本さんも本当に優しい方です。


なお、松本さんがプロ入りされた時にもらったサインが写真の左側に見えます
\(^O^)/
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1976年の早大野球部 ( その2)

2008-08-02 07:49:34 | 大学野球
この年で忘れてならないことが、岡田彰布選手(北陽)の入学です。

『一年生の中に、なんか凄い打撃のヤツが一人いるんだよね』
野球好きのクラスメートが、学部のラウンジでボソッと話すのを聞き、『へぇ、それじゃグラウンドに行ってみようや』と、私は仲間と一緒に安部球場に移動しました。

その時、運良く岡田選手の打撃練習を見ることができたのですが、その凄いこと!
体は大きくありませんが、リストを効かせて球を弾き、外野ネットの中段までポンポンと飛ばしていました。

果たして、岡田選手は一年の春は代打でしたが、いきなり江川から二塁打を放ち、秋からは左翼手として先輩選手たちを押し退けてレギュラー入り。
六大学を代表する打者へと、着実に成長していくことになります。

写真は、まだ入学式前の岡田選手を捉えた貴重な一枚。
練習着の胸にマジックで『岡田』と書いてあります。
不安げな表情で指導を受ける、18歳の岡田です。
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1976年の早大野球部

2008-08-02 07:23:26 | 大学野球
私が二年生になった時の野球部は、谷井、阿部、香川らの主力投手、内野から西村、外野から川口が、ごっそり卒業。

石山監督は『大型内野カルテット』をマスコミにぶち上げて、打倒・江川を強調しました。


春の主力オーダーです。

5吉澤(四年、日大三)
6八木(四年、主将、興国)
4松本(四年、報徳学園)
3佐藤(三年、天理)
7白鳥(三年、静岡)、須長(二年、川越工業)
2山倉(三年、東邦)
9三浦(四年、東邦)、西本(二年、報徳学園)
8鈴木(四年、早実)、永関(二年、天理)
1道方(三年、箕面自由学園)、深沢(四年、静岡商業)、前田(三年、三田学園)、難波(三年、四条畷)

なお、春の早慶二回戦で、新人の向田(前橋工業、甲子園ベスト4)が浪人明けにも関わらず先発し完封するという快挙がありました。

写真は、投手陣の中心だった道方(右側)、難波両三年生
(週刊ベースボール増刊・1976年春季リーグ戦展望号からお借りしました。)
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