明日から三連休。
そして、野球部の練習も明日から再開されます。
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昨年、テレビ番組「セサミ・ストリート」を話題にいたしました。
過去記事へのリンク
私が中学から高校に進む時期は、VANやJUNといったファッション・ブランドが、海外の音楽やスポーツのテレビ番組のスポンサーとなり、日本の若者たちに向けて欧米文化を積極的に提案する時代でした。
例えば、アリゾナ州立大学とUSC(アリゾナ・ステートとサザン・キャル)
あるいは海軍兵学校と陸軍士官学校(ネイビーとアーミー)
そんな宿敵同士の組合せの白熱のアメフト中継に、私は大興奮しました。
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そんな時代に流れていたテレビ番組の一つがセサミ・ストリートだったのですが、もう一つ私が首ったけだった番組が、「ソウル・トレイン」です。
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「ソウル・トレイン」は、1970年から始まった音楽番組で、シカゴで制作されています。
R&B、ファンクと呼ばれるブラック・ミュージックを、最先端のダンスやファッションと共に日本に伝えてくれる、素晴らしい番組でした。
ソウル・トレイン公式サイト
「ソウル・トレイン」は、当代一流のミュージシャンの演奏、そして時代の最先端のステップを踏むダンサーたちのパフォーマンスていう二本立てで構成される番組でした。
例えば、若き日のマイケル・ジャクソンが、まだ子供ながらも、その才能の片鱗を既に発揮していました。
携帯用リンク
パソコン用リンク
ジャクソン・ファイブから「オン・ザ・ウォール」あたりまで、「漂白前」のマイケル・ジャクソンは最高です。
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さて、この「ソウル・トレイン」に私が注目し始めたきっかけ。
それは、ジャズの帝王と呼ばれていたマイルス・デイビスが、ファンク・ミュージックを熱心に聴いていると、ジャズの専門誌「スイング・ジャーナル」で知ったからです。
不朽の名作「ビッチェス・ブリュー」を発表し、伝統的な4ビート・ジャズから訣別して、急速に電子楽器に傾倒していったマイルス。
そのマイルスが、スライ&ファミリーストーンズの演奏に、聴き入っていたというのです。
当時のスライ&ファミリーストーンズの演奏は、こんな感じでした。
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パソコン用リンク
骨太のチョッパー・ベースとバスドラが、タイトなビートをズンズンと送り出して、低音域を固める。
そこにリズム・ギターのカッティングとリズム・ボックスが中高音域から絡んでいく。
そんな複合的なリズムの「うねり」の上に、ブラスやボーカルが色合いを重ねる。
スライ&ファミリーストーンズのサウンドは、そんな仕掛けだという理解です。
そんなスライの演奏に耳を傾けていたマイルス・デイビスは、すぐにリズム・ギター専門のレジー・ルーカスをバンドに加えて、エレクトリック・サウンドへの変化を更に加速していったのでした。
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そのスライ&ファミリーストーンズの画像において、アフロヘアーで脇役に徹しているように見えるベース奏者が、ラリー・グラハムは、現代では当たり前のチョッパー奏法を、彼は1960年代後半に確立しました。
ラリー・グラハムは、
ベースを弾けば、誰よりも強く深く弦を叩いて、グルーヴ感のある太いリズムを送り出し、
歌えば、豊かな低音で聴衆を魅了し、
ステージに立てば、サービス精神に溢れるパフォーマンスで観衆を楽しませる
そんな生粋のエンターテイナーなのです。
彼がリーダーを務める「グラハム・セントラル・ステーション」のライブ・ステージをご覧ください。
例えば、ビートルズのポール・マッカートニーがベースを弾く姿が標準的だと思っていた当時の人々の常識を、完全にひっくり返してしまったのが、ラリー・グラハムなのでした。
携帯用リンク
パソコン用リンク
「これが70年代だ!」
「これがファンクだ!」
と、感激のあまり涙を流してしまう司会者の興奮ぶりに、私も共感してしまいます。
そして、日本人には決して真似のできない、畏敬の存在なのです。
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ファンク・ミュージックにおけるギターのカッティングの名手を挙げるとすれば、私はプリンスを推します。
プリンスをゲテモノのように受けとめている音楽ファンは少なくないのですが、彼のギター奏者としての力量、特にカッティングにおける技術とセンスは、飛び抜けています。
ラリー・グラハムのライブに飛び入り参加した際の、プリンスの演奏を聴いてください。
最近は活動ぶりが聞こえてきませんが、彼の切れ味は凄いとしか言いようがありません。
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パソコン用リンク<
そして、野球部の練習も明日から再開されます。
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昨年、テレビ番組「セサミ・ストリート」を話題にいたしました。
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私が中学から高校に進む時期は、VANやJUNといったファッション・ブランドが、海外の音楽やスポーツのテレビ番組のスポンサーとなり、日本の若者たちに向けて欧米文化を積極的に提案する時代でした。
例えば、アリゾナ州立大学とUSC(アリゾナ・ステートとサザン・キャル)
あるいは海軍兵学校と陸軍士官学校(ネイビーとアーミー)
そんな宿敵同士の組合せの白熱のアメフト中継に、私は大興奮しました。
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そんな時代に流れていたテレビ番組の一つがセサミ・ストリートだったのですが、もう一つ私が首ったけだった番組が、「ソウル・トレイン」です。
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「ソウル・トレイン」は、1970年から始まった音楽番組で、シカゴで制作されています。
R&B、ファンクと呼ばれるブラック・ミュージックを、最先端のダンスやファッションと共に日本に伝えてくれる、素晴らしい番組でした。
ソウル・トレイン公式サイト
「ソウル・トレイン」は、当代一流のミュージシャンの演奏、そして時代の最先端のステップを踏むダンサーたちのパフォーマンスていう二本立てで構成される番組でした。
例えば、若き日のマイケル・ジャクソンが、まだ子供ながらも、その才能の片鱗を既に発揮していました。
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ジャクソン・ファイブから「オン・ザ・ウォール」あたりまで、「漂白前」のマイケル・ジャクソンは最高です。
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さて、この「ソウル・トレイン」に私が注目し始めたきっかけ。
それは、ジャズの帝王と呼ばれていたマイルス・デイビスが、ファンク・ミュージックを熱心に聴いていると、ジャズの専門誌「スイング・ジャーナル」で知ったからです。
不朽の名作「ビッチェス・ブリュー」を発表し、伝統的な4ビート・ジャズから訣別して、急速に電子楽器に傾倒していったマイルス。
そのマイルスが、スライ&ファミリーストーンズの演奏に、聴き入っていたというのです。
当時のスライ&ファミリーストーンズの演奏は、こんな感じでした。
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骨太のチョッパー・ベースとバスドラが、タイトなビートをズンズンと送り出して、低音域を固める。
そこにリズム・ギターのカッティングとリズム・ボックスが中高音域から絡んでいく。
そんな複合的なリズムの「うねり」の上に、ブラスやボーカルが色合いを重ねる。
スライ&ファミリーストーンズのサウンドは、そんな仕掛けだという理解です。
そんなスライの演奏に耳を傾けていたマイルス・デイビスは、すぐにリズム・ギター専門のレジー・ルーカスをバンドに加えて、エレクトリック・サウンドへの変化を更に加速していったのでした。
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そのスライ&ファミリーストーンズの画像において、アフロヘアーで脇役に徹しているように見えるベース奏者が、ラリー・グラハムは、現代では当たり前のチョッパー奏法を、彼は1960年代後半に確立しました。
ラリー・グラハムは、
ベースを弾けば、誰よりも強く深く弦を叩いて、グルーヴ感のある太いリズムを送り出し、
歌えば、豊かな低音で聴衆を魅了し、
ステージに立てば、サービス精神に溢れるパフォーマンスで観衆を楽しませる
そんな生粋のエンターテイナーなのです。
彼がリーダーを務める「グラハム・セントラル・ステーション」のライブ・ステージをご覧ください。
例えば、ビートルズのポール・マッカートニーがベースを弾く姿が標準的だと思っていた当時の人々の常識を、完全にひっくり返してしまったのが、ラリー・グラハムなのでした。
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「これが70年代だ!」
「これがファンクだ!」
と、感激のあまり涙を流してしまう司会者の興奮ぶりに、私も共感してしまいます。
そして、日本人には決して真似のできない、畏敬の存在なのです。
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ファンク・ミュージックにおけるギターのカッティングの名手を挙げるとすれば、私はプリンスを推します。
プリンスをゲテモノのように受けとめている音楽ファンは少なくないのですが、彼のギター奏者としての力量、特にカッティングにおける技術とセンスは、飛び抜けています。
ラリー・グラハムのライブに飛び入り参加した際の、プリンスの演奏を聴いてください。
最近は活動ぶりが聞こえてきませんが、彼の切れ味は凄いとしか言いようがありません。
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