熱帯ジャズ楽団のバリトンサックス奏者 宮本大路くんが亡くなりました。
享年59歳の若さでした。
宮本くんは、同じ第二学区の都立玉川高校に在学当時から敏腕ドラマーとして名前が知れ渡っていました。
私たちが青山高校3年生の時、軽音楽サークルで1年先輩のドラマーSさんの卒業でジャズドラマー不在の事態に。
私たちが困っていたところ、1学年下の宮本くんが助っ人としてやって来て、外苑祭などで一緒に演奏してくれました。
たとえばSo Whatの演奏では、トニー・ウィリアムスのような高速プレーを正確無比にこなしていました。
玉川高校卒業後、彼は米国のバークリー音楽院へ留学。
彼の音楽的才能を知っていましたから、留学すること自体には驚きませんでしたが、サキソフォンを学ぶための留学と聞いてビックリ。
その後は、気鋭のサキソフォン奏者として、日本のジャズ界を代表する存在へと着実にステップアップしていきました。
昨年だったか、青山高校軽音楽サークルの後輩で、プロのジャズピアニスト兼アレンジャーの守屋純子さんが宮本くんと共演するというので、「彼は外苑祭で演奏していたんだよ。ドラマーとしてだけど」と知らせると驚いていましたっけ。
残念ながら宮本くんは太く短い人生となってしまいましたが、彼と一緒に演奏した思い出は、今や一生の宝物です。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
享年59歳の若さでした。
Profile: 宮本大路 Dairo Miyamoto
宮本くんは、同じ第二学区の都立玉川高校に在学当時から敏腕ドラマーとして名前が知れ渡っていました。
私たちが青山高校3年生の時、軽音楽サークルで1年先輩のドラマーSさんの卒業でジャズドラマー不在の事態に。
私たちが困っていたところ、1学年下の宮本くんが助っ人としてやって来て、外苑祭などで一緒に演奏してくれました。
たとえばSo Whatの演奏では、トニー・ウィリアムスのような高速プレーを正確無比にこなしていました。
玉川高校卒業後、彼は米国のバークリー音楽院へ留学。
彼の音楽的才能を知っていましたから、留学すること自体には驚きませんでしたが、サキソフォンを学ぶための留学と聞いてビックリ。
その後は、気鋭のサキソフォン奏者として、日本のジャズ界を代表する存在へと着実にステップアップしていきました。
昨年だったか、青山高校軽音楽サークルの後輩で、プロのジャズピアニスト兼アレンジャーの守屋純子さんが宮本くんと共演するというので、「彼は外苑祭で演奏していたんだよ。ドラマーとしてだけど」と知らせると驚いていましたっけ。
残念ながら宮本くんは太く短い人生となってしまいましたが、彼と一緒に演奏した思い出は、今や一生の宝物です。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
"宮本大路さん リハーサル映像 仙台SHO(2010.12)" を YouTube で見る