台風一過で、ようやく秋っぽい風が吹くようになりました。
神宮では、慶応と立教との対戦が、いきなり三回戦に突入しました。
この秋のリーグ戦も、実力拮抗の厳しい展開になりそうな予感がします。
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折り畳み式の車イスを買いました。
腰を傷めた母は、薬とコルセットのおかげで、家の中の移動は問題ない程度まで回復しました。
でも、大型スーパーの売り場を歩き回ることが出来なくなってしまいました。
小さなコンビニでも、駐車場と売り場を移動するのが辛そうです。
この車イスは、折り畳んで車のトランクに簡単に入れることができます。
母は「そんなもの、要らないわ」と言うに決まっているので、事前に相談せず買ってしまいました。
これからは週に1度ぐらい、母の気分転換も兼ねて、スーパーやデパートに一緒に買い物に行こうと思います。
関東大学ラグビー対抗戦グループの公式戦が始まります。
全勝対決の早明戦を期待して、応援いたしましょう。
ただ、秩父宮での試合が多いので最初は喜んだのですが、野球部の試合日程(※印で付記)と多くの試合で重複してしまうことが判りました
注目の帝京戦にいたっては、野球の早慶戦および早稲田祭とのダブルパンチ。
実に残念です・・・
(T_T)
早稲田の試合日程です。
[9月]
15日(日)日体大 秩父宮13時
29日(日)筑波大 秩父宮15時 ※早明戦(第2試合)
[10月]
13日(日)成蹊大 熊谷 14時 ※早立戦(第1試合)
19日(土)青学大 三ツ沢14時 ※早法戦(第2試合)
[11月]
3日(日) 帝京大 秩父宮14時 ※早慶戦(13時)+ 早稲田祭
23日(土)慶応大 秩父宮14時
[12月]
1日(日) 明治大 国立 14時
学生柔道の名門 天理大学が、上級生が下級生に暴力をふるったという事件で揺れています。
今後の調査で、この部内暴力が常態化していたかどうかも明らかにされてくるでしょう。
学生スポーツの名門校における不祥事の報道に接して、私が思い浮かべる海外での事例があります。
2011年に米国ペンシルバニア州立大学(PSU)で発覚した、アメリカン・フットボールチームのアシスタント・コーチによる性的虐待事件です。
おぞましい犯罪を起こしたアシスタント・コーチは、45の罪状により終身刑が言い渡されるだろうと報道されていました。
何よりも私が驚いたのは、大学に対する厳しい処分です。
米大学スポーツの管理組織である全米大学体育協会(NCAA)などから下された処分は次の通りです。
罰金6000万ドル(約60億円)
主要大会への4年間出場禁止
スポーツ特待生への奨学金給付を4年間停止
在学中及び入学予定のスポーツ特待生の無条件転校を認める
犯罪行為が確認された期間(1998~2011)の、チームとしての優勝記録を全て抹消
当該期間の競技収入没収 1600万ドル(約16億円)
当該時期の監督が有していた最多優勝監督という個人タイトルの剥奪、およびキャンパス内に立つ同監督の銅像の撤去
この厳しい制裁により、同校のフットボール・チームは少なくとも向こう20年間 再建することはできないと言われているようです。
このような厳しい制裁となったのは、アシスタント・コーチの犯罪行為そのものというよりも、その行為が学内で判明した際に、大学当局とフットボール部関係者が事実を隠蔽しようとしたことです。
NCAAは次のように説明しました。
「PSUのフットボール部は、あまりに大きな存在となりすぎた。その結果、自らの誤りを認めることができなくなった。これは大学スポーツからの明らかな逸脱だ。」
すなわち、PSUのフットボール部は、同校の誇りであり、学生と卒業生の団結の証であり、大学周辺の地域住民の生活にも貢献する存在だった。
そのような存在感の肥大が、強大な権力を生み、事件隠蔽を選択する原因となった。
だとすれば、問題の再発を防ぐために、このフットボール部の栄光と伝統を剥奪して、再出発させるしかないというわけです。
我が国の大学スポーツ関係者の多くも、この事例をご存知のはずです。
不心得者が現れる可能性をゼロにするのは難しいことかもしれません。
大切なことは、事が起きた後の対応です。
もちろん早稲田においても、学生スポーツポーツの範となるよう、自らを律していかなければなりませんね。
高校時代の友人が亡くなったこともあって、ここ数日間、卒業アルバムを眺めながら1970年代の音楽ばかり聴いています。
高校時代、もっぱらジャズを聴いていたわけですが、ジャズ以外で聴いていた音楽といえば、国内では「はっぴいえんど」系と加藤和彦さん系。
私が高校に入学した1971年ごろ、加藤和彦さんは、ドノバン、アーロ・ガスリー、ジミー・ウエッブなどの影響を感じさせるシンガーとしてソロ活動をしていまして、渋谷 道玄坂のヤマハで店頭ライブをやったりしていました。
そして翌1972年、奥方のミカさんをボーカルに据えたサディステイック・ミカ・バンドで「サイクリング・ブギ」をリリース。バンドでの活動を再開しました。
もっとも第一印象では、T-Rexみたいな白人系ロックサウンドに私に聞こえまして、それほどピンときませんでした。
その後、ドラムスに高橋ユキヒロさんが加わった頃からサウンドが変化し始めて、1974年のアルバム「黒船」では、黒人系のファンキー・ミュージックのような演奏もするようになってきました。
ベース奏者は、名手の小原礼さん。
高橋ユキヒロさんと組んだリズムセクションは、スライ&ファミリーストーンズのラリー・グラハムとグレッグ・エリコのコンビを彷彿とさせるような厚みとキレのあるビートを叩き出し、バンド全体を強力にドライブしました。
「はっぴいえんど」の細野晴臣さんがメロディ志向であるのに対して、小原礼さんはビートを強調するスタイル。
特に、小原礼さん自身が作曲した「塀までひとっとび」は、如何にもベース奏者が作った曲でして、ベースとドラムスが前面に出る迫力満点のサウンドを披露し、海外でも話題となったほどの傑作です。
40年経って聴いても、その素晴らしさは少しも色褪せていません。
塀までひとっとび
※ベースとドラムスが重要な曲なので、スマホのスピーカーを鳴らすのではなく、ぜひヘッドフォンを付けてステレオ環境で聴いてみてください。
高橋ユキヒロさんの正確でホットなドラミングも必聴です。
ブログの編集画面を見ていたら、この「外苑茶房」を立ち上げてから、1,900日以上が経過したことに気がつき、ビックリしております。
何をやっても堪え性のない私としては、画期的なことです。
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ところで、私が心から愛する神宮外苑エリア。
このたび国立競技場の建て替え、そして2020五輪開催決定により、長く親しんできた街並みも大きく変わっていくことになりました。
この機会に、これまで私が知り得た断片的な歴史を、少し整理しておこうと思います。
江戸時代の末期には、丹波篠山藩青山家をはじめ、出羽山形藩水野家、日向飫肥藩伊東家などの下屋敷、御鉄砲場などがありました。
青山という地名には、そんな由来があります。
1886年(明治19年)、帝国陸軍の日比谷練兵場がここに移転してきました。
その5年後の明治24年には、陸軍大学校も移転してきました。
昔の地図を見ると、広大な敷地であったことが判ります。
日清、日露戦争への出兵も、この青山練兵場から行われました。
地図の右下には、「陸軍大学校」の表記があります。現在の港区立青山中学校のあたりです。
また、地図の左下の少し飛び出したところに「近衛歩兵連隊」の表記があります。
この一角こそ、私の母校・都立青山高校、国学院高校、都営住宅が現在建っているエリアです。
なお、地図上部の鉄道の北側、陸軍の「輜重兵営」(兵器の集積管理を行う施設)と表示されている土地は、後に慶応義塾に払い下げられ、現在は慶応病院が建っています。
また、千駄ヶ谷駅から鉄道が分岐して、青山練兵場専用の引込み線が敷かれていたことも判りますね。
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1912年(大正元年)9月、青山練兵場において、同年7月に崩御された明治天皇の大喪が執りおこなわれました。
その時、葬儀殿が置かれた場所に、現在の聖徳記念絵画館が建っています。
明治神宮外苑は、青山練兵場跡地に、明治天皇とその皇后、昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えることを目的に計画され、聖徳記念絵画館を中心に、憲法記念館(現在の明治記念館)などの記念建造物と、陸上競技場(その後、建て替えられて現在の国立競技場)・神宮球場・相撲場(現在は神宮第二球場に建て替え)などのスポーツ施設が建設され、1926年(大正15年)に明治神宮に奉献されました。
日本青年館は、この造営作業に労力奉仕した全国の青年団の功績への皇太子からの令旨を記念して、1925年(大正14年)に建設されました。(その後、1979年に建て替え)
1931年(昭和6年)には、水泳場(神宮プール)も開場しました。
なお、神宮外苑建設に先立ち、練兵場の機能は代々木に移転しました。
現在、代々木公園、代々木体育館、渋谷公会堂、渋谷区役所、NHKなどのある場所です。
第二次大戦中、戦局悪化を受けて文科系学生への徴兵猶予が撤廃され、1943年(昭和18年)10月に出陣学徒壮行会が行われました。
この悲痛な壮行会が行われた会場が、神宮外苑の旧陸上競技場です。
1918年(大正7年)、学習院女学部が移転してきて女子学習院となりました。
写真をみると、神宮球場に隣接した敷地に校舎が整然と配置されています。
また、写真の左上に近衛歩兵連隊の施設が少しだけ写っています。写真の上部には、相撲場も写っています。
1945年(昭和20年)5月、空襲のために女子学習院は全焼してしまいます。
そして、戦後、戸山の陸軍近衛騎兵連隊跡地に移転し、現在の学習院女子大学となっています。
女子学習院の移転跡地には、秩父宮ラグビー場、東京ボウリング場(建て替えられて、現在は「テピア」機械産業記念館)、テニスコートが建設されました。
なお、女子学習院の正門は並木通り側にあって、秩父宮ラグビー場のバックスタンド側の入場口の左右に、現在も女子学習院当時の外塀が残っています。
我が母校の都立青山高校は、1940年(昭和15年)に、青山師範学校(東京学芸大学の前身)が世田谷区下馬に移転した跡地に、府立15中として開校されました。
所在地は、表参道に近い青山通り沿いで、現在は都営住宅となっている場所です。
府立15中も、空襲で校舎が全焼してしまいます。
他の府立中学校への間借りを余儀なくされた後、1946年(昭和21年)に、旧 近衛歩兵第四連隊東部第七部隊の兵舎(現在の国学院高校の建っている場所)に移転しました。
その兵舎の隣接地は、進駐軍専用モータープールとなっていました。
これは、神宮球場が進駐軍に接収されていたからです。(接収期間は1945年から1952年まで)
モータープールの向こう側に、青山高校の校舎に代用された旧兵舎、その更に向こうには日本青年館(旧館)が見えます。
神宮球場の接収解除に伴いモータープールも役割を終え、そこに青山高校の校舎が新築されることになりました。
1959年(昭和34年)、校舎が完成して現在地に移転。そして、1995年(平成7年)に現校舎に建て替えられました。
なお、国学院高校は1956年(昭和31年)に現在の場所に移転してきました。
したがって、今よりも限られた敷地に2つの高校が並んでいたことになります。
3年後に青山高校が隣接地に移転した後、その移転跡地に校舎を増築して現在の姿となっています。
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このように整理してみると、今でこそ若いアスリートたちの集うイメージの強い神宮外苑エリアですが、軍隊と戦争に大きく翻弄される暗い時代があったことも忘れてはいけませんね。
若きアスリートたちの熱いプレーに大きな歓声が響く、そんな健康的なエリアで神宮外苑があり続けることができるよう、何よりも平和を大切にしていきましょう。。
書籍のご案内です。
早稲田大学競走部の礒繁雄総監督が下記の本を出版されます。
書籍『体育会力』
定価:1,470円(税込)
発行:主婦の友インフォス情報社
9月13日の発売ですが、Amazonなどで既に予約販売を受け付けています。
礒さんはスポーツ科学部教授でもいらっしゃいまして、ゼミでお世話になっている野球部員も少なくないそうです。
本書の目次など
今になって何だと言われてしまいそうですが、私は現時点での五輪招致に反対です。
報道機関を含め、五輪開催にまつわるビジネスチャンスを当て込んでいる業界の方々には申し訳ありませんが、現在の日本が全力を注ぐべきは原発問題の解決だと思うからです。
原発問題を解決した暁に、全国民が胸を張って東北で、例えば仙台で五輪を開催したらよろしいかと。
地球の裏側で開催されても、スポーツ観戦は楽しむことができますよ。
悲しいご報告です。
都立青山高校でクラスメイトだった前田正尚くんが、くも膜下出血のため急逝しました。
享年57歳。
前田くんは、東京大学から日本開発銀行に進み、現在は日本政策投資銀行で取締役常務執行役員の要職にありました。
前田くんの近況
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前田くんとは、高校一年生と二年生の時に同じクラスだった仲間です。
二年間、同じ教室で勉強したわけですが、「赤点を取らなければければOK」というダメ学生の私とは違って、淡々と予習と復習をこなして抜群の成績を残す、優等生の前田くんでした。
高校一年の夏、前田くんをはじめ、クラスメイト数名で山中湖に遊びに行きました。
このブログに何度も登場しているピアニストのSくんのお父上の別荘に泊まり込み、ギターを弾いたり、トランプや麻雀をしたり、時にはビールを飲んだり
夢のように楽しい夏休みを過ごしました。
前田くんは、天文部に所属していました。
青山高校の当時の部室棟は、ブロック造りの2階建てでした。
1階は全て運動部。
階段を登った2階には、軽音楽サークル、新聞部、天文部、無線部などの文化系各部が陣取っていました。
Sくんや私が軽音楽サークルの部室で演奏していると、入口のドアがスッと開きます。
そして、前田くんが顔を出し、「美味しいコーヒーが入ったから、こっちの部室に来ない?」
天文部に行くと、ろ紙を使って入れた本格的なコーヒーの香りが漂っています。
部室には、ちゃんと粉末クリーム「クリープ」の瓶や角砂糖もありました。
夕暮れに部室前を通りかかった時、前田くんに呼びとめられました。
「今夜は月が綺麗だよ。見ていかないか?」
天体望遠鏡を覗かせてもらうと、息をのむような美しさの月面が目に飛び込んできました。
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青高を卒業して、40年が過ぎました。
今朝、前田くんの訃報に接して、高校での日々の記憶が鮮やかに甦ってきました。
前田くん、
いずれ、そちらで会うことができるから、その時は、また天体望遠鏡を覗かせてください。
コーヒー豆は私が持って行きます。
明日の午後、NHKラジオ第1に早大競走部の礒繁雄総監督がゲスト出演されます。
体育会競走部の部員たちがどのような日常生活を送っているのか、礒さんがお話しされるそうですよ。
番組名「午後のまりやーじゅ」
▽ゲストトーク 早稲田大学競走部総監督…礒繁雄
▽2013年9月5日 午後3時10分 ~ 午後3時55分
↓木曜日の放送予定ページをご確認ください。
放送予定
夏のオープン戦全16試合(全早慶戦を含み、千曲川クラブとの練習試合を除く)のうち10試合を昨日までに終えました。
ここまでの成績は8勝2敗。
多くの投手を、先発させたり、継投させたり、様々な可能性を試しながら戦っていますから、必要以上に勝敗に拘ることはありません。
とは言うものの、社会人を含めた対戦で大きく勝ち越しているのですから、早稲田のチーム状態は順調と考えていいでしょう。
残る6試合は、ここまでの結果を踏まえて、公式戦モードで戦っていくものと思います。
どの投手が先発組を任されることになるのかはもちろん、野手では誰が一塁と三塁で定位置を取るのか注目しています。
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骨粗鬆症が持病の母が、腰を悪くしてしまいました。
母に代わって植木鉢に水をやったり、娘と交代で食事を準備したりする毎日です。
銀行マンを卒業しておいて幸いでした。