BAMBOO-JET  ~うみの部屋~

タケノコジェットでどこへでも!
読んだ本や見た映画、食べた料理、旅先、育児や日常のことなど、趣味をつらつら語ります

9・11

2005-09-12 13:41:00 | のほほん日記
9月11日はNYにとって、いやアメリカ、ひょっとすると世界にとっても忘れがたい日であると思う。
その言葉を聴いて、誰もが痛みを共わなずにはいられない。
負の遺産とも言うべき、痛い日である。
あの日から世界は変わった気がする。
それまでテロというものが映画の世界にだけ存在してたかのような雰囲気が、少なくとも私にはあった。誰もがそうだろう。
テロという行為がどんなことをもたらすのかなんて知りもしなかった。
その日もありきたりで、いつものようにめまぐるしい毎日が始まるはずだった。
手にコーヒーを抱えたたくさんのビジネスマンや、地下鉄の新聞売り、世界を相手にするたくさんの企業の駐在員。。。
たくさんの人達があのビルで働いていた。そして始まる一日のために通勤する人、もう仕事を始めてる人、会議の準備をする人、朝食のマフィンを売り人。
それから物の30分もの間に2機の飛行機の激突によりあの有名なタワーが崩壊する。
あの日の映像は今も私の中に深く焼きついてる。軽く言葉にできないくらい痛ましいものだ。
私の学校の先生で、自分の部屋からあのシーンをまさに見ていた先生が居る。
彼にしてみれば自分の目が信じられなかったそうだ。
いつも見ていたあのビルがなくなってしまうなんて。
世界貿易センタービルはダウンタウンのランドマークだった。
ミッドタウンにあるエンパイアと並んでNYを見渡せる展望室を有し、観光客だってたくさん居たであろう。
グランドゼロに行く度に思う。
いまだむき出しの工事現場であるあの場所は、見ていてとても痛い。
まるで当時の跡地そのまんまの姿をさらし、遺族にはどうしようもないほどの悲しみを誘うであろう。
だけど、そこにどんなにすばらしいビルや記念公園を建てても、私はこのむき出しの跡地ほど深く胸を揺さぶられたりはしないだろうと思う。
このまんまじゃいけないのは分かってる、でももうしばらくはこのまんまでもいいのじゃないかと思う。
あそこに行く度、人は平和だとか戦争だとか命だとか、テレビの世界とかじゃなく目の前の出来事として受け止めることができると私は思うからだ。

今日は朝からテレビでグランドゼロのセレモニーの生放送が行われていた。
私も午後行って見たが、それはもうたくさんの人であふれていた。フェンスには写真やバルーン、花、メッセージ、キャンドルなど様々なものが飾られていた。
故人を想って泣いている、そんなメッセージがすごく悲しい。
グランドゼロの向かいのビルにはビル全体を隠すような大きなアメリカの国旗が飾られている。
私は鶴を一羽折ってフェンスに飾った。
私ができるせめてもの平和へのメッセージだ。
広場の前には大きな布に皆が寄せ書きをしてて、色んなメッセージが書いていた。
皆が平和を望んでるんだなと感じる。
こんなにもたくさんの人が平和を望むのに、なぜ世界には戦争がなくならないのか、少数派の人間によってなんでたくさんの人が死ななくてはいけないのか、そんなことを考えた。
夜ロウワーマンハッタンから2つの光の光線が空に向かって現れた。
どこまでも続く光の光線。
遠くから見るとツインタワーのようにも見え皆の平和への願いにも見える。