秋の風物詩★NYシティマラソンにボランティアで参加してきました
マラソンは見るのも初めて。
有名なNYシティマラソン、ぜひこの目で見たい!と思ってたのですが知人の韓国人の学生がボランティアを申し込んでいて私も勧められたので、どうせならこういう形で参加するのも面白いかなぁ?とチャレンジしてみた!!
今まで2回NYではボランティア参加してるけど、日本の団体だったからこれが始めて『NYでする正真正銘のボランティア』だと私は思う。
何しろ応募するのもすべて英語。日本語皆無の世界なのだ。大丈夫だろうか?などという不安はマラソンを見たいという気持ちの前に吹き飛んでしまった。
HPで数週間前に応募した。1週間後応募を受け付けたと言う返事が来て私の役目は第1希望の「Aid Station」に決まった。Aid Stationはランナーに水を渡すステーションのこと。これはどんな仕事かと言うと、走るランナーに道の両側で水を手渡しする仕事だ。
NYCマラソンはNYの5つのボロー(区)を走るレース。
文字通り縦横無尽にニューヨークの町を走り抜けるレースだ。
スタテン島を出発し、ブルックリン→クィーンズ→ブロンクス→マンハッタン(ハーレムより)、ゴールはセントラルパークだ!
マンハッタンには7つのAid Stationがあり、私の配属は5番街の137st、、、ハーレムのど真ん中だ!
実はこの配属も直前まで配属の指示が来ずかなりやきもきして、本番2日前に終いに本部に電話してやっと確認できたものだ。向こうのミスなのか配達ミスかとにかく送ったという配属の手紙はついに私には届かなかった。この電話もやっぱり緊張した。こうなりゃ開き直りで大きな声でとにかくハキハキとつたない英語を言うと電話の向こうのスタッフは(これまた珍しくいい人だった!!)私が外国人であるのを理解してくれて、やさしくわかりやすく大きな声でゆっくり説明してくれた。
おかげで私は自分の配属がハーレムであるのを無事教えてもらえたのである。
当日6時起きで寝ぼけ眼でハーレムへ向かった。8時集合なのだ。7番線が工事のため(また!!)止まってたこともあり、ギリギリ間に合ったのだが私の頭はずーと眠っていた地下鉄に揺られ寝まくり。我ながらよく寝過ごさなかったものだ。
しかし外に出ると再び寒さが身を包む。
珍しく濃い霧が立ち込めており吐く息が白い。
会場に着くと数人のボランティアらしき人と本日配る予定のミネラルウォーターのメーカー「ポーランドスプリング」の会社の写真も20人ぐらいいた。
しばらくするとボランティアリーダーのような男が現れて、今日の予定と教えてくれた。
それによると我々のAid Stationにランナーが来るのは予想12時ぐらいなのだそうだ。
10時ぐらいから準備するからそれまではコーヒーでも飲んでリラックスしてくれとのこと。
なーんだ、じゃぁもっと遅く来ても大丈夫だったのか。ああ、あと1時間寝たかったなぁと思いつつすっかり目が覚めたので近くのデリで熱いコーヒーを買いすする。寒さとコーヒーですっかり目が覚めた。ボランティアはみんな道路わきに座ったりして会話を楽しんでる。ニューヨーク以外にもペンシルベニア州など色んなとこからボランティアがきて興味深い。
私は誰かが買ってきたニューヨークタイムズ日曜版の分厚い新聞をお借りして、読みつつ次官を待った。そのうちどんどんボランティアが増えてきた。どこかの中学校の子供達や近くの住民らしく人々、全部で50人以上は集まったのだろうか。
やがて10時がきてスタッフのTシャツが配られた。他にもポンチョもあってこちらはビニール製のオレンジの膝までのカッパのようなものだ。なんとなく暖かそうなのだがすでにフリースを着てる私はTシャツを選んだ。なんとなくこちらのほうが日常生活できるものだし記念になるような気がしたからだ。でもサイズはXLだけ。アメリカのXLと言えば私が来てもどう見ても5部丈のワンピースのような大きさで滑稽である。ロゴマークがかっこいいのだ。[Ask me what I did on November 6th]である。ううっ、さっすがNYだわ。
でもオフィシャルがINGというアメリカの会社と、asicsである!やったね、日本メーカーだ。
トラックでテーブルが運ばれてきてそれを道路の両サイドに並べ、紙コップを隙間なく並べ次々ミネラルウォーターを入れていく。終わるとその上にダンボール状の厚い板を重ねて更にまた同じように紙コップの水を並べる。どのテーブルも3-4段ぐらいになったころ、自転車レースのランナーが着だした。
マラソンは最初の部が傷害者の車椅子レースである。とにかくランナーが一人現れるごとにみんな大声援である。フィーバーと言ってよい。これから来る大選手軍団の予行練習のようなものだ。
そのうち天気も回復して青空が見え出し太陽の光が現れ気温は一気に上がったころ、先頭集団と思われる集団がたくさんのパトカーの後ろに見え出した。
これには会場のみんなが代興奮!!最初は女性のレースなので女性のトップランナーの登場。みんな彼女に水を差し出そうとするのだが、見向きもしなくらいまっすぐに声援の中力強く走り抜けて行った。すばらしく引き締まった体で本物のランナーだった。かっこいい。思わず私も叫んじゃう!
そして次々に女性ランナーが私達の脇を走る中最初のランナーが私の差し出した水を奪っていった!!ちょっと感動。それを受け取り一口ごくりと飲むと、余った水を頭から被りかけぬけていく。
かっこいい。後には捨てていった紙コップの残骸が残るばかり。
そして男子トップ集団も現れだした。これは一目見てアフリカから来たランナーだとわかった。アメリカのいいる黒人と雰囲気も体つきもまるで違いのだ。とにかく走り方がまるで違う。細く引き締まった体に足が長く緩やかに走る。その3人の先頭集団が過ぎると少しずつだがランナーが増えだした。それでもこの頃はまだ私達はお互いにランナーを奪い合うほどの余裕があったのだ。つまりみんな必死に自分の水を受け取ってもらおうと声をかけてたわけなのだが。
それからしばらしくして「来たぞ!」というリーダーの声とともに何千という人の群れが押し寄せてきた。それは留まることか段々と増え、いつしか私達は先ほどの余裕はどこへやらAid Stationは戦場と化すかのような忙しさに追われた。次から次へとありとあらゆる人間が水を求めに走ってくる。みんな飲んだり頭に被ったり自分のぺとボトルに継ぎ足したり、一度の2つ待って行く人もたくさんいる。このあとの4時間はもうあっという間だった。次から次へと押し寄せるランナーの波に埋もれてあっという間に4時間が過ぎていた。いつしか太陽が強い光を放ち、空は青く晴れ上がり。たくさんのヘリコプターが飛び回り、たくあんの住人が応援に来て声援を揚げてる。その上をまっ黄色のイチョウの葉が桜吹雪のように待っていてものすごくきれいだ。
面白いのがここがハーレムだということ。私達の少し上のほうのSTではDJがHIPHOPソングを歌いながらまるでクラブ差ながらの大音量で歌う踊るわで会場を盛り上げてる。ブロンクスから橋を渡りマンハッタンに入ったランナーはこの大音量で自分がマンハッタンのハーレムに入ったと言うことを認識するのだろう。ここからゴールのセントラルパークまで5マイル。けして近くはないがそれでもそれまでの距離と比べるともう少しでゴール前という一番苦しいところだろう。
ボランティアはみんな水を渡す度にランナーに声をかけてる。
日本じゃこういう時何と言うのだろう?「がんばれ!」かな。
しかしものすごく辛いときにがんばれって言うのが日本式。
こっちもそういう言い回しがあるが、一番よく言うのが「Good Job!」である。
これは日本でマックで仕事してたとき良くいい仕事をしたとき使う言葉なのだがこちらでは仕事に限らずよく使う言葉だ。意味は「よくやった!よくがんばった!」という励ましに近い言葉。
これを一番みんなランナーに言っていた。私はこの言葉しか知らないのでとにかくGood Job使いまくり。他に「 Keep going 」「You can do it」(あなたならできる!)よく聞こえた。そして面白いことにランナーは自分の名前をユニフォームやランニングシャツなどの正面にアピールしてるのだ。だから私達は彼らの名前がわかる。「よくやった、スージー!」だったり、「がんばれアレックス」だったり、イタリアやカナダやフランスの国旗の旗やユニフォームだと「がんばれフランス!」って声をかけたりする。実に面白い。日本人もたくさん見た。田中さんや、純一さんなど名前をローマ字で書いてるので応援しやすい。
水を一つ一つ渡しながら選手一人ひとりに声をかけてやる。一期一会がいっぱいだけどみんなでマラソンを楽しんでるようなそんな気がした。声をかけるとランナーはものすごく疲れてるはずなのに感謝の言葉や笑顔を見せてくれる。なんか素敵な交流だ。参加してよかったと心から思った。
もう6時間以上も立ちっぱなしで働いたのでかなりへとへとになった。終わってからゴールを観に行こうとコロンバスサークルに向かった。ゴール前セントラルパークサウスサイドはバンドのステージやら終わったランナーやら観客でものすごい人だ。
人の波間を縫ってゲートに近づくとへとへとになりながらゴールを目指すランナーが見える。どの選手もめちゃくちゃうれしそうな笑顔だ。きっとこの人達はみんなハーレムで私達のAid Stationを通った人達なのだがその時のような緊張感はここでは全くない。ただただみんなゴール目前のうれしさでいっぱいのような笑顔でいっぱい。
なんだかそれを見てると自分も出たくなってきちゃった。マラソンを走ることって不可能のことに思えるけど、ものすごいおじいちゃんやおばあちゃんもたくさん出場いてる。みんな半分以上は走り歩きつつ少しづつゴールを目指してる。立ち止まらなければいつかはゴールに着く。果てしなく長い距離で丘もあれば谷もあり坂もあり、だけどマラソンって面白いかもって思い始めた。自治は前からホノルルマラソンには興味があったのだよね。日本に帰ったら私も体を鍛えてぜひNYマラソンに出ようかなと思った。大好きなNYCを自分の足で走り抜けたいよなぁと思うのでした。
なんいせよボランティアはよい経験でした。こっちの応援スタイルはいいねぇ。しかし出るのはもっと面白そうだ。次の目標はいつかNYCマラソンにでるだな。
マラソンは見るのも初めて。
有名なNYシティマラソン、ぜひこの目で見たい!と思ってたのですが知人の韓国人の学生がボランティアを申し込んでいて私も勧められたので、どうせならこういう形で参加するのも面白いかなぁ?とチャレンジしてみた!!
今まで2回NYではボランティア参加してるけど、日本の団体だったからこれが始めて『NYでする正真正銘のボランティア』だと私は思う。
何しろ応募するのもすべて英語。日本語皆無の世界なのだ。大丈夫だろうか?などという不安はマラソンを見たいという気持ちの前に吹き飛んでしまった。
HPで数週間前に応募した。1週間後応募を受け付けたと言う返事が来て私の役目は第1希望の「Aid Station」に決まった。Aid Stationはランナーに水を渡すステーションのこと。これはどんな仕事かと言うと、走るランナーに道の両側で水を手渡しする仕事だ。
NYCマラソンはNYの5つのボロー(区)を走るレース。
文字通り縦横無尽にニューヨークの町を走り抜けるレースだ。
スタテン島を出発し、ブルックリン→クィーンズ→ブロンクス→マンハッタン(ハーレムより)、ゴールはセントラルパークだ!
マンハッタンには7つのAid Stationがあり、私の配属は5番街の137st、、、ハーレムのど真ん中だ!
実はこの配属も直前まで配属の指示が来ずかなりやきもきして、本番2日前に終いに本部に電話してやっと確認できたものだ。向こうのミスなのか配達ミスかとにかく送ったという配属の手紙はついに私には届かなかった。この電話もやっぱり緊張した。こうなりゃ開き直りで大きな声でとにかくハキハキとつたない英語を言うと電話の向こうのスタッフは(これまた珍しくいい人だった!!)私が外国人であるのを理解してくれて、やさしくわかりやすく大きな声でゆっくり説明してくれた。
おかげで私は自分の配属がハーレムであるのを無事教えてもらえたのである。
当日6時起きで寝ぼけ眼でハーレムへ向かった。8時集合なのだ。7番線が工事のため(また!!)止まってたこともあり、ギリギリ間に合ったのだが私の頭はずーと眠っていた地下鉄に揺られ寝まくり。我ながらよく寝過ごさなかったものだ。
しかし外に出ると再び寒さが身を包む。
珍しく濃い霧が立ち込めており吐く息が白い。
会場に着くと数人のボランティアらしき人と本日配る予定のミネラルウォーターのメーカー「ポーランドスプリング」の会社の写真も20人ぐらいいた。
しばらくするとボランティアリーダーのような男が現れて、今日の予定と教えてくれた。
それによると我々のAid Stationにランナーが来るのは予想12時ぐらいなのだそうだ。
10時ぐらいから準備するからそれまではコーヒーでも飲んでリラックスしてくれとのこと。
なーんだ、じゃぁもっと遅く来ても大丈夫だったのか。ああ、あと1時間寝たかったなぁと思いつつすっかり目が覚めたので近くのデリで熱いコーヒーを買いすする。寒さとコーヒーですっかり目が覚めた。ボランティアはみんな道路わきに座ったりして会話を楽しんでる。ニューヨーク以外にもペンシルベニア州など色んなとこからボランティアがきて興味深い。
私は誰かが買ってきたニューヨークタイムズ日曜版の分厚い新聞をお借りして、読みつつ次官を待った。そのうちどんどんボランティアが増えてきた。どこかの中学校の子供達や近くの住民らしく人々、全部で50人以上は集まったのだろうか。
やがて10時がきてスタッフのTシャツが配られた。他にもポンチョもあってこちらはビニール製のオレンジの膝までのカッパのようなものだ。なんとなく暖かそうなのだがすでにフリースを着てる私はTシャツを選んだ。なんとなくこちらのほうが日常生活できるものだし記念になるような気がしたからだ。でもサイズはXLだけ。アメリカのXLと言えば私が来てもどう見ても5部丈のワンピースのような大きさで滑稽である。ロゴマークがかっこいいのだ。[Ask me what I did on November 6th]である。ううっ、さっすがNYだわ。
でもオフィシャルがINGというアメリカの会社と、asicsである!やったね、日本メーカーだ。
トラックでテーブルが運ばれてきてそれを道路の両サイドに並べ、紙コップを隙間なく並べ次々ミネラルウォーターを入れていく。終わるとその上にダンボール状の厚い板を重ねて更にまた同じように紙コップの水を並べる。どのテーブルも3-4段ぐらいになったころ、自転車レースのランナーが着だした。
マラソンは最初の部が傷害者の車椅子レースである。とにかくランナーが一人現れるごとにみんな大声援である。フィーバーと言ってよい。これから来る大選手軍団の予行練習のようなものだ。
そのうち天気も回復して青空が見え出し太陽の光が現れ気温は一気に上がったころ、先頭集団と思われる集団がたくさんのパトカーの後ろに見え出した。
これには会場のみんなが代興奮!!最初は女性のレースなので女性のトップランナーの登場。みんな彼女に水を差し出そうとするのだが、見向きもしなくらいまっすぐに声援の中力強く走り抜けて行った。すばらしく引き締まった体で本物のランナーだった。かっこいい。思わず私も叫んじゃう!
そして次々に女性ランナーが私達の脇を走る中最初のランナーが私の差し出した水を奪っていった!!ちょっと感動。それを受け取り一口ごくりと飲むと、余った水を頭から被りかけぬけていく。
かっこいい。後には捨てていった紙コップの残骸が残るばかり。
そして男子トップ集団も現れだした。これは一目見てアフリカから来たランナーだとわかった。アメリカのいいる黒人と雰囲気も体つきもまるで違いのだ。とにかく走り方がまるで違う。細く引き締まった体に足が長く緩やかに走る。その3人の先頭集団が過ぎると少しずつだがランナーが増えだした。それでもこの頃はまだ私達はお互いにランナーを奪い合うほどの余裕があったのだ。つまりみんな必死に自分の水を受け取ってもらおうと声をかけてたわけなのだが。
それからしばらしくして「来たぞ!」というリーダーの声とともに何千という人の群れが押し寄せてきた。それは留まることか段々と増え、いつしか私達は先ほどの余裕はどこへやらAid Stationは戦場と化すかのような忙しさに追われた。次から次へとありとあらゆる人間が水を求めに走ってくる。みんな飲んだり頭に被ったり自分のぺとボトルに継ぎ足したり、一度の2つ待って行く人もたくさんいる。このあとの4時間はもうあっという間だった。次から次へと押し寄せるランナーの波に埋もれてあっという間に4時間が過ぎていた。いつしか太陽が強い光を放ち、空は青く晴れ上がり。たくさんのヘリコプターが飛び回り、たくあんの住人が応援に来て声援を揚げてる。その上をまっ黄色のイチョウの葉が桜吹雪のように待っていてものすごくきれいだ。
面白いのがここがハーレムだということ。私達の少し上のほうのSTではDJがHIPHOPソングを歌いながらまるでクラブ差ながらの大音量で歌う踊るわで会場を盛り上げてる。ブロンクスから橋を渡りマンハッタンに入ったランナーはこの大音量で自分がマンハッタンのハーレムに入ったと言うことを認識するのだろう。ここからゴールのセントラルパークまで5マイル。けして近くはないがそれでもそれまでの距離と比べるともう少しでゴール前という一番苦しいところだろう。
ボランティアはみんな水を渡す度にランナーに声をかけてる。
日本じゃこういう時何と言うのだろう?「がんばれ!」かな。
しかしものすごく辛いときにがんばれって言うのが日本式。
こっちもそういう言い回しがあるが、一番よく言うのが「Good Job!」である。
これは日本でマックで仕事してたとき良くいい仕事をしたとき使う言葉なのだがこちらでは仕事に限らずよく使う言葉だ。意味は「よくやった!よくがんばった!」という励ましに近い言葉。
これを一番みんなランナーに言っていた。私はこの言葉しか知らないのでとにかくGood Job使いまくり。他に「 Keep going 」「You can do it」(あなたならできる!)よく聞こえた。そして面白いことにランナーは自分の名前をユニフォームやランニングシャツなどの正面にアピールしてるのだ。だから私達は彼らの名前がわかる。「よくやった、スージー!」だったり、「がんばれアレックス」だったり、イタリアやカナダやフランスの国旗の旗やユニフォームだと「がんばれフランス!」って声をかけたりする。実に面白い。日本人もたくさん見た。田中さんや、純一さんなど名前をローマ字で書いてるので応援しやすい。
水を一つ一つ渡しながら選手一人ひとりに声をかけてやる。一期一会がいっぱいだけどみんなでマラソンを楽しんでるようなそんな気がした。声をかけるとランナーはものすごく疲れてるはずなのに感謝の言葉や笑顔を見せてくれる。なんか素敵な交流だ。参加してよかったと心から思った。
もう6時間以上も立ちっぱなしで働いたのでかなりへとへとになった。終わってからゴールを観に行こうとコロンバスサークルに向かった。ゴール前セントラルパークサウスサイドはバンドのステージやら終わったランナーやら観客でものすごい人だ。
人の波間を縫ってゲートに近づくとへとへとになりながらゴールを目指すランナーが見える。どの選手もめちゃくちゃうれしそうな笑顔だ。きっとこの人達はみんなハーレムで私達のAid Stationを通った人達なのだがその時のような緊張感はここでは全くない。ただただみんなゴール目前のうれしさでいっぱいのような笑顔でいっぱい。
なんだかそれを見てると自分も出たくなってきちゃった。マラソンを走ることって不可能のことに思えるけど、ものすごいおじいちゃんやおばあちゃんもたくさん出場いてる。みんな半分以上は走り歩きつつ少しづつゴールを目指してる。立ち止まらなければいつかはゴールに着く。果てしなく長い距離で丘もあれば谷もあり坂もあり、だけどマラソンって面白いかもって思い始めた。自治は前からホノルルマラソンには興味があったのだよね。日本に帰ったら私も体を鍛えてぜひNYマラソンに出ようかなと思った。大好きなNYCを自分の足で走り抜けたいよなぁと思うのでした。
なんいせよボランティアはよい経験でした。こっちの応援スタイルはいいねぇ。しかし出るのはもっと面白そうだ。次の目標はいつかNYCマラソンにでるだな。