朝5時50分発、クスコ行きのスターペルーで移動しました。
ペルーは国内線でも2時間前にチェックインしなくてはいけないのです。
でも団体チェックインができるので90分前に行けばいいだろうということで、4時にホテルを出ました。
築地に買い物へ行くような時間に、モーニングコールをもらった朝。
なぜこんなに飛行機が早いかというと、
クスコというとこは有視界着陸で、おまけに日中は霧が出るそうです。
なので空気が比較的澄んでる時間に降りる飛行機であれば、クスコへ到着できる可能性が高いらしい。
朝の5時というのに空港の店は普通に開いていた。もしかしたら24Hか?母は朝からアルパカ111というブランドを扱ってるKUMAというチェーン店で、セーターをあさっていた。私にも買ってくれるというので自分の分を私はあっさり決めたんだけど、母はなかなか決められない。
そんなうちに登場時刻になってしまい、会計に時間がかかり、添乗員があせって私たちを探しに来た。だから早く探せといったのに。。。飛行機に乗り遅れても私が悪いのじゃありませんよ。。。と添乗員に話しながら、もうダッシュで登場口に乗り込む私たち。
出発して聞いたのだが、なんと出発時刻が早まったらしい。
とにかく人が集まったら一刻も早く飛んじゃうというのが、この国の航空会社のルールらしい。日本じゃ考えられない。おそろしい。
7時にクスコへ着いた。3600mのクスコは空気が薄い。体内に有酸素が残ってるうちに午前中にクスコの市内観光をしようというツアーの考えだ。
これからマチュピチュもともにするガイドさんはMさん。
クスコに14年も住んでるバックパッカー写真家ガイドさん。
彼からは色々興味深い話を聞いたので、そのうち書こうと思います。
まず初めに市郊外の遺跡サクサイワカンを観光。
巨大な石が少しの隙間もなく積み重ねられた遺跡です。
鉄の文化、車輪の文化を持たなかったインカの人たち。
どうやってこんな巨大な石をきれいに切りそろえ、離れたこんな高い山の上まで運んできれいに積み重ねられたのでしょう。石は一つ一つ大きさも形も違うのに、石の隙間は苔でさえ生えれないほどキッチリしてます。
また遺跡の向かいにある石灰岩の小山にしたには近年地下洞窟が見つかっており、ここがクスコの市街地の地下とつながってるというミステリーな説があるそうで、なんとも面白い。
次に移動したのが、タンボ・マチャイの遺跡。聖なる泉という名のこの遺跡はインカの王様たちの沐浴場で、遺跡の間には水路がきれいに配置され、済んだ水が流れ落ちています。1年を通して決まった量の水が変わることなく流れ出るので、かなり巨大な貯水タンクが地下水脈に通じて作られてるとの説だそうです。
その次は市内に移動、町の中心部アルマス広場、12角の石、Stドミンゴ教会(内部に遺跡あり)を観光。
クスコの街は細い路地があちらこちらにあり、石畳と色とりどりの壁がきれいな美しい街で世界遺産に登録されてます。とても雰囲気のある街で、あちこち色々探索してみたい衝動に駆られる場所です。しかしむやみに出歩いて体力を消耗すると高山病になるので、、ゆっくりそろりそろりガイドさんの後をゆっくり着いていくのが精一杯です。インカ時代の石組み、石畳がそのまんま街に残っててその家をそのまんま使って人々が住んでるのが不思議です。インカ時代の扉にふつうにお菓子屋さんとか、バーとかナイトクラブまであるらしい。こんな富士山の上の高地で踊る段なんて考えただけでおかしいですが、色々な店がにぎやかにとおりに出てました。12画の石のそばには石組みの中にピューマが隠れてる壁があったり、インカの人々は遊び心もいっぱいですね。
しかし最後の遺跡を観光したあたりから頭が重く、頭痛がしてきました。いくら呼吸をしても空気が肺に入ってこないのです。重く頭が締め付けられるような痛みが始まり、だんだん辛くなってきました。観光が終わるとクスコより標高が低い、ウルバンバ渓谷までバスで移動です。実はこの2日間便秘でおなかが張っていて苦しくて、おまけに頭痛で気分が悪いとこに、空き腹でバスに酔ってしまい、ついに添乗員さんから薬をもらい、バスの前のほうに移動させてもらいました。
クスコからウルバンバまでは峠を越えて、段々畑の農地が続く道を下っていきます。農地には作物の花が咲き乱れ、緑がすばらしく美しいです。高山病ですごく苦しかったけど、すごくきれいだったのは覚えてます。
それから1000mほど下がり、ウルバンバ渓谷の昼ごはんを食べるレストランへ着きました。
初めはまだ気持ち悪くて、ご飯を食べる気にもならなかったのですが、しばらくゆっくり休むと時期頭痛も消えました。やはり1000m降りるとこうも違うものでしょうか。
その後3時ぐらいに今日泊まるホテルに到着しました。
ロッジ形式の豪華ホテルで、部屋からは山の景色が見渡せます。
夕ご飯までは休憩で、今日はリマ出発が早い時間だったのでものすごく昼寝がしたい。
しかし私は高山病の気配があるので昼寝はしないようにとNさんから言われました。昼寝をすると呼吸数が少なくなり、脳に酸素がいかなくなるとのことであまりしないほうがいいそうです。一番いいのがいすに姿勢を正して座ることらしいので、しょうがないから日本から持ってきた本を読みながらコカ茶やハーブティを株のみしました。高地では一日3リットルも水を飲むのが理想とされてます。これは水を飲んで血の濃度を薄くしたりするそうです。おかげでトイレが近くなってしょうがないです。
ホテルの正面では普通の民家がいくつかあって、ロバがつながれてました。誰も居ません。おそらくツアー客はみんな部屋で休んでるのでしょう。私は暇なので無理しない程度に散歩しました。ロバを見てると脇の小道から地元の老人が出てきました。現地の言葉で何か私の話しかけるのですが、さすがにわかりません。笑うしかありません。叔父さんはロバの背をなでています。すると草を食んでたロバが首を上げてじっとおとなしくしてます。このロバは叔父さんのなのかなぁ?おじさんは笑いながら何かいいってます。「どうだ、いいロバだろう」などと自慢してるのかもしれません。
そのあと叔父さんはホテルの前に続く砂利道を山のほうに歩いていきました。私はその後叔父さんが出てきた小道を入って近くの民家を歩きました。貧しいというか、こういう生活も世の中にあるのだよねぇという光景でした。電気もガスも水道も(おそらく)ない生活。日干し煉瓦で造られた家には洗濯物がはためき、炭焼きなのか焚き火なのか煙が出てる。近くには作物畑とホルスタイン牛が何頭か放牧されてた。
ロッジの塀の内と外では、こんなに世界が違う。壁一枚を隔てて。なんだか変な気分である。叔父さんはどこへ行ったのだろう。
そんなことを思いながらロッジへ戻った。ロバは相変らず草を食んでいてとても静かだった。夜は案の定、塀の向こうは真っ暗で曇ってて星が見えなかったが、はれてたらさぞきれいに違いないと思った。
ペルーは国内線でも2時間前にチェックインしなくてはいけないのです。
でも団体チェックインができるので90分前に行けばいいだろうということで、4時にホテルを出ました。
築地に買い物へ行くような時間に、モーニングコールをもらった朝。
なぜこんなに飛行機が早いかというと、
クスコというとこは有視界着陸で、おまけに日中は霧が出るそうです。
なので空気が比較的澄んでる時間に降りる飛行機であれば、クスコへ到着できる可能性が高いらしい。
朝の5時というのに空港の店は普通に開いていた。もしかしたら24Hか?母は朝からアルパカ111というブランドを扱ってるKUMAというチェーン店で、セーターをあさっていた。私にも買ってくれるというので自分の分を私はあっさり決めたんだけど、母はなかなか決められない。
そんなうちに登場時刻になってしまい、会計に時間がかかり、添乗員があせって私たちを探しに来た。だから早く探せといったのに。。。飛行機に乗り遅れても私が悪いのじゃありませんよ。。。と添乗員に話しながら、もうダッシュで登場口に乗り込む私たち。
出発して聞いたのだが、なんと出発時刻が早まったらしい。
とにかく人が集まったら一刻も早く飛んじゃうというのが、この国の航空会社のルールらしい。日本じゃ考えられない。おそろしい。
7時にクスコへ着いた。3600mのクスコは空気が薄い。体内に有酸素が残ってるうちに午前中にクスコの市内観光をしようというツアーの考えだ。
これからマチュピチュもともにするガイドさんはMさん。
クスコに14年も住んでるバックパッカー写真家ガイドさん。
彼からは色々興味深い話を聞いたので、そのうち書こうと思います。
まず初めに市郊外の遺跡サクサイワカンを観光。
巨大な石が少しの隙間もなく積み重ねられた遺跡です。
鉄の文化、車輪の文化を持たなかったインカの人たち。
どうやってこんな巨大な石をきれいに切りそろえ、離れたこんな高い山の上まで運んできれいに積み重ねられたのでしょう。石は一つ一つ大きさも形も違うのに、石の隙間は苔でさえ生えれないほどキッチリしてます。
また遺跡の向かいにある石灰岩の小山にしたには近年地下洞窟が見つかっており、ここがクスコの市街地の地下とつながってるというミステリーな説があるそうで、なんとも面白い。
次に移動したのが、タンボ・マチャイの遺跡。聖なる泉という名のこの遺跡はインカの王様たちの沐浴場で、遺跡の間には水路がきれいに配置され、済んだ水が流れ落ちています。1年を通して決まった量の水が変わることなく流れ出るので、かなり巨大な貯水タンクが地下水脈に通じて作られてるとの説だそうです。
その次は市内に移動、町の中心部アルマス広場、12角の石、Stドミンゴ教会(内部に遺跡あり)を観光。
クスコの街は細い路地があちらこちらにあり、石畳と色とりどりの壁がきれいな美しい街で世界遺産に登録されてます。とても雰囲気のある街で、あちこち色々探索してみたい衝動に駆られる場所です。しかしむやみに出歩いて体力を消耗すると高山病になるので、、ゆっくりそろりそろりガイドさんの後をゆっくり着いていくのが精一杯です。インカ時代の石組み、石畳がそのまんま街に残っててその家をそのまんま使って人々が住んでるのが不思議です。インカ時代の扉にふつうにお菓子屋さんとか、バーとかナイトクラブまであるらしい。こんな富士山の上の高地で踊る段なんて考えただけでおかしいですが、色々な店がにぎやかにとおりに出てました。12画の石のそばには石組みの中にピューマが隠れてる壁があったり、インカの人々は遊び心もいっぱいですね。
しかし最後の遺跡を観光したあたりから頭が重く、頭痛がしてきました。いくら呼吸をしても空気が肺に入ってこないのです。重く頭が締め付けられるような痛みが始まり、だんだん辛くなってきました。観光が終わるとクスコより標高が低い、ウルバンバ渓谷までバスで移動です。実はこの2日間便秘でおなかが張っていて苦しくて、おまけに頭痛で気分が悪いとこに、空き腹でバスに酔ってしまい、ついに添乗員さんから薬をもらい、バスの前のほうに移動させてもらいました。
クスコからウルバンバまでは峠を越えて、段々畑の農地が続く道を下っていきます。農地には作物の花が咲き乱れ、緑がすばらしく美しいです。高山病ですごく苦しかったけど、すごくきれいだったのは覚えてます。
それから1000mほど下がり、ウルバンバ渓谷の昼ごはんを食べるレストランへ着きました。
初めはまだ気持ち悪くて、ご飯を食べる気にもならなかったのですが、しばらくゆっくり休むと時期頭痛も消えました。やはり1000m降りるとこうも違うものでしょうか。
その後3時ぐらいに今日泊まるホテルに到着しました。
ロッジ形式の豪華ホテルで、部屋からは山の景色が見渡せます。
夕ご飯までは休憩で、今日はリマ出発が早い時間だったのでものすごく昼寝がしたい。
しかし私は高山病の気配があるので昼寝はしないようにとNさんから言われました。昼寝をすると呼吸数が少なくなり、脳に酸素がいかなくなるとのことであまりしないほうがいいそうです。一番いいのがいすに姿勢を正して座ることらしいので、しょうがないから日本から持ってきた本を読みながらコカ茶やハーブティを株のみしました。高地では一日3リットルも水を飲むのが理想とされてます。これは水を飲んで血の濃度を薄くしたりするそうです。おかげでトイレが近くなってしょうがないです。
ホテルの正面では普通の民家がいくつかあって、ロバがつながれてました。誰も居ません。おそらくツアー客はみんな部屋で休んでるのでしょう。私は暇なので無理しない程度に散歩しました。ロバを見てると脇の小道から地元の老人が出てきました。現地の言葉で何か私の話しかけるのですが、さすがにわかりません。笑うしかありません。叔父さんはロバの背をなでています。すると草を食んでたロバが首を上げてじっとおとなしくしてます。このロバは叔父さんのなのかなぁ?おじさんは笑いながら何かいいってます。「どうだ、いいロバだろう」などと自慢してるのかもしれません。
そのあと叔父さんはホテルの前に続く砂利道を山のほうに歩いていきました。私はその後叔父さんが出てきた小道を入って近くの民家を歩きました。貧しいというか、こういう生活も世の中にあるのだよねぇという光景でした。電気もガスも水道も(おそらく)ない生活。日干し煉瓦で造られた家には洗濯物がはためき、炭焼きなのか焚き火なのか煙が出てる。近くには作物畑とホルスタイン牛が何頭か放牧されてた。
ロッジの塀の内と外では、こんなに世界が違う。壁一枚を隔てて。なんだか変な気分である。叔父さんはどこへ行ったのだろう。
そんなことを思いながらロッジへ戻った。ロバは相変らず草を食んでいてとても静かだった。夜は案の定、塀の向こうは真っ暗で曇ってて星が見えなかったが、はれてたらさぞきれいに違いないと思った。