ペルー旅行もマチュピチュ観光を終え、早くも後半に差し掛かりました。
6日目は空気の薄いクスコ(=3354m)より、さらに高地にあるチチカカ湖の町プーノ(=3817)を目指します。頭痛はしないですが、やっぱり頭がちょっと重い。
豪華なクスコのホテル=リベルタドール・クスコでの朝ごはんを食べ、7時に出発です。
ここでクスコ初日より3日間ガイドを勤めてくれたMさんとお別れです。とっても寂しいです。Mさんは実は写真家でマチュピチュなどの写真を撮ってらっしゃいます。ほんとにペルーの自然や文化に深い尊敬と愛がある方で、この人のガイドは今までで一番面白かったかもしれないです。記念に彼の写真のポストカードを買いました。
そのMさんですが、8歳ぐらいからチチカカ湖にあこがれてたそうだ。チチ(父)カカ(母)の湖とはなんか変な響きで面白い・・・といつか行きたいと思ってたらしい。そして大人になりバックパッカーとしてこの地に。クスコに住む前にチチカカ湖に3年住んだそうだ。今私達がこれから行くチチカカ湖にはトトラという葦を編んで作った浮き島や船がたくさんあって、そこで生活してる人々がある。Mさんはその人々から葦で作る船の作り方を学び、広い広いチチカカ湖を周ったそうだ。チチカカ湖は湖といっても兵庫県と同じ大きさ、関東で言えば千葉・東京・神奈川を足したぐらいなので、海のように波もあり2mぐらいの波で荒れるときもあり、そんな中でmさんも2度くらい死にそうになったこともあるとか。
その後どこかの国の冒険家に目をつけられ、葦の船で太平洋を横断したらしい。しかしそこはいくら丈夫といっても葦の舟だから、3ヶ月で崩壊してしまい何ヶ月も太平洋を漂流したとか。このような面白いお話をたくさんお聞きしました。日本にいると絶対会えない人達。世界は広く色々な人がいるのだなぁと、このような旅の中での出会いに感謝しますね。
Mさんと別れ、バスはクスコを抜けてプーノを目指し走ります。大きな美味しいパンが名物な小さな村、クイ=モルモット料理が有名な村など小さな村をいっぱい通ります。途中あのフジモリ前大統領が生まれたという村も通りました。貧しい村ですが、フジモリ大統領が政権時代に建てた小学校やら農村のトイレやら、このプーノまで行く道も立派な道路に整備されてます(ちゃんと舗装されてるってことね)。フジモリ・ロードとか言うらしいです。のどかな田園風景の中をバスは走り、途中で一回トイレ休憩がありました。
そこは小さな動物園といってもおなじみのリャマ・アルパカ・ビグーニャ(アルパカの野生種で野生では絶滅)やモルモットなどがいました。中でもアルパカベビーはすごくすごくかわいらしいです。ちょっと触りましたが、毛がふわふわなんです。
休憩を終えバスは再び走り出しました。だんだん山が近づいてきました。アンデスの山のふもとはきれいなお花畑が広がり、牛や羊の放牧が見れます。延々と続く草原の景色はとてもきれいで見てて全然飽きませんでした。なのでプーノに着くまで5時間もの間寝ませんでした。最高地点のラ・ラナ峠(4335m)では雪山も見れましたし、そんな場所にもちゃんとおみやげ物やがあったりします。みんなこの辺に住んでるのかなぁ?山の向こうに見える6000m級の山々の雪山の姿はとてもかっこよい。
そんなこんなでプーノには2時過ぎに到着。夕方には寒くなるチチカカ湖の気候を考え、ホテルにチェックインせずにすぐに観光へ行きました。ホテルの前から小型の舟を出してもらいました。ここで先ほど話したトトラと呼ばれる葦で作った浮島ウロス島を見学に行きました。ボートで10-20分ぐらいの場所にたくさんの小さな島が浮いてます。一つの島の大きさはそんなに大きくないですね。島の人たちは歓迎してくれます。今やすっかり観光産業が潤っててこの島の住人は、ペルーのほかの住民に比べ裕福らしいです。
実際に葦の模型を使って浮島の仕組みを説明してくれたり、トトラ(見た目は巨大なねぎみたいですね)を食べさせてくれたり(味は薄味のセロリとかそんな感じ・・・)、チチカカ湖の名物のマスを見せてくれたり、普段彼らが食べてる食材も見せてくれました。また彼らが実際行ってる市場での物々交換の様子を劇みたいなもので説明してくれたりしました。一通り説明が終えると島の中を自由に見学して良いということで、トトラで編んだ住居を見せてくれたり、実際中は6畳ほどの広さですかね。たぶんこれまたトトラで編んだであろう大きなベットがありました。驚いたことに太陽発電の小さなソーラーパネルを屋根につけていて、液晶のラジカセ兼用テレビみたいなものまでありました。すごいなんてエコロジーなんだ!!島の中央には生け簀みたいなものまであるし、ジャガイモも育ててるし、自給自足に近いのかな?竃もあるんだけど、やっぱ葦の島が燃えてはいけないということで石の上で火を使うみたい。かなり浮島暮らしは面白いです。
その後私達は次の島へ移動しましたが、うちらの希望で最初に島が所有してる葦の舟で送ってもらいました。2階建ての舟で、すごいですね・・・葦でこんなものまで作っちゃうんだ。移動中も子供達がポストカードを売りに着たり、商売熱心です。歌を歌うエンタメまであって、サービスなのか日本の歌も歌ってくれました。チューリップとか・・・。もちろん彼らのがんばりにみんな寸志をあげてましたけど。ツアー客のSさんが日本から剣玉を持ってきてたので、剣玉の腕を披露すると子供達は夢中になりました。剣玉をあげてやらせてあげたり、なかなか楽しい交流でした。
2番目の島では到着してすぐにこちらも歓迎の歌の合唱がありました。今度は大人のコーラス隊です。ペルー語とチチカカ湖に住む民族の言葉と日本語で歌ってくれました。2番目の島なので目新しいものは特に何もないのですが、やはり現地の人の衣装や作り上げた織物などはすばらしく、楽しく観光させてくれました。この時間になると日が暮れてきて、湖の上の風もだんだん冷たくなってきました。ホテルに戻る潮時の時間です。
ホテルではインド人や欧米人がいっぱいいました。けっこう欧米人はペルーから隣のボリビアに渡るツアーが多く、みんな夕飯時に添乗員がボリビア側の入国手続きの用紙を配り説明してるのが目立ちました。夕飯はいつものバイキングですが、チチカカ湖のマスを使った料理があり美味しかったです。
6日目は空気の薄いクスコ(=3354m)より、さらに高地にあるチチカカ湖の町プーノ(=3817)を目指します。頭痛はしないですが、やっぱり頭がちょっと重い。
豪華なクスコのホテル=リベルタドール・クスコでの朝ごはんを食べ、7時に出発です。
ここでクスコ初日より3日間ガイドを勤めてくれたMさんとお別れです。とっても寂しいです。Mさんは実は写真家でマチュピチュなどの写真を撮ってらっしゃいます。ほんとにペルーの自然や文化に深い尊敬と愛がある方で、この人のガイドは今までで一番面白かったかもしれないです。記念に彼の写真のポストカードを買いました。
そのMさんですが、8歳ぐらいからチチカカ湖にあこがれてたそうだ。チチ(父)カカ(母)の湖とはなんか変な響きで面白い・・・といつか行きたいと思ってたらしい。そして大人になりバックパッカーとしてこの地に。クスコに住む前にチチカカ湖に3年住んだそうだ。今私達がこれから行くチチカカ湖にはトトラという葦を編んで作った浮き島や船がたくさんあって、そこで生活してる人々がある。Mさんはその人々から葦で作る船の作り方を学び、広い広いチチカカ湖を周ったそうだ。チチカカ湖は湖といっても兵庫県と同じ大きさ、関東で言えば千葉・東京・神奈川を足したぐらいなので、海のように波もあり2mぐらいの波で荒れるときもあり、そんな中でmさんも2度くらい死にそうになったこともあるとか。
その後どこかの国の冒険家に目をつけられ、葦の船で太平洋を横断したらしい。しかしそこはいくら丈夫といっても葦の舟だから、3ヶ月で崩壊してしまい何ヶ月も太平洋を漂流したとか。このような面白いお話をたくさんお聞きしました。日本にいると絶対会えない人達。世界は広く色々な人がいるのだなぁと、このような旅の中での出会いに感謝しますね。
Mさんと別れ、バスはクスコを抜けてプーノを目指し走ります。大きな美味しいパンが名物な小さな村、クイ=モルモット料理が有名な村など小さな村をいっぱい通ります。途中あのフジモリ前大統領が生まれたという村も通りました。貧しい村ですが、フジモリ大統領が政権時代に建てた小学校やら農村のトイレやら、このプーノまで行く道も立派な道路に整備されてます(ちゃんと舗装されてるってことね)。フジモリ・ロードとか言うらしいです。のどかな田園風景の中をバスは走り、途中で一回トイレ休憩がありました。
そこは小さな動物園といってもおなじみのリャマ・アルパカ・ビグーニャ(アルパカの野生種で野生では絶滅)やモルモットなどがいました。中でもアルパカベビーはすごくすごくかわいらしいです。ちょっと触りましたが、毛がふわふわなんです。
休憩を終えバスは再び走り出しました。だんだん山が近づいてきました。アンデスの山のふもとはきれいなお花畑が広がり、牛や羊の放牧が見れます。延々と続く草原の景色はとてもきれいで見てて全然飽きませんでした。なのでプーノに着くまで5時間もの間寝ませんでした。最高地点のラ・ラナ峠(4335m)では雪山も見れましたし、そんな場所にもちゃんとおみやげ物やがあったりします。みんなこの辺に住んでるのかなぁ?山の向こうに見える6000m級の山々の雪山の姿はとてもかっこよい。
そんなこんなでプーノには2時過ぎに到着。夕方には寒くなるチチカカ湖の気候を考え、ホテルにチェックインせずにすぐに観光へ行きました。ホテルの前から小型の舟を出してもらいました。ここで先ほど話したトトラと呼ばれる葦で作った浮島ウロス島を見学に行きました。ボートで10-20分ぐらいの場所にたくさんの小さな島が浮いてます。一つの島の大きさはそんなに大きくないですね。島の人たちは歓迎してくれます。今やすっかり観光産業が潤っててこの島の住人は、ペルーのほかの住民に比べ裕福らしいです。
実際に葦の模型を使って浮島の仕組みを説明してくれたり、トトラ(見た目は巨大なねぎみたいですね)を食べさせてくれたり(味は薄味のセロリとかそんな感じ・・・)、チチカカ湖の名物のマスを見せてくれたり、普段彼らが食べてる食材も見せてくれました。また彼らが実際行ってる市場での物々交換の様子を劇みたいなもので説明してくれたりしました。一通り説明が終えると島の中を自由に見学して良いということで、トトラで編んだ住居を見せてくれたり、実際中は6畳ほどの広さですかね。たぶんこれまたトトラで編んだであろう大きなベットがありました。驚いたことに太陽発電の小さなソーラーパネルを屋根につけていて、液晶のラジカセ兼用テレビみたいなものまでありました。すごいなんてエコロジーなんだ!!島の中央には生け簀みたいなものまであるし、ジャガイモも育ててるし、自給自足に近いのかな?竃もあるんだけど、やっぱ葦の島が燃えてはいけないということで石の上で火を使うみたい。かなり浮島暮らしは面白いです。
その後私達は次の島へ移動しましたが、うちらの希望で最初に島が所有してる葦の舟で送ってもらいました。2階建ての舟で、すごいですね・・・葦でこんなものまで作っちゃうんだ。移動中も子供達がポストカードを売りに着たり、商売熱心です。歌を歌うエンタメまであって、サービスなのか日本の歌も歌ってくれました。チューリップとか・・・。もちろん彼らのがんばりにみんな寸志をあげてましたけど。ツアー客のSさんが日本から剣玉を持ってきてたので、剣玉の腕を披露すると子供達は夢中になりました。剣玉をあげてやらせてあげたり、なかなか楽しい交流でした。
2番目の島では到着してすぐにこちらも歓迎の歌の合唱がありました。今度は大人のコーラス隊です。ペルー語とチチカカ湖に住む民族の言葉と日本語で歌ってくれました。2番目の島なので目新しいものは特に何もないのですが、やはり現地の人の衣装や作り上げた織物などはすばらしく、楽しく観光させてくれました。この時間になると日が暮れてきて、湖の上の風もだんだん冷たくなってきました。ホテルに戻る潮時の時間です。
ホテルではインド人や欧米人がいっぱいいました。けっこう欧米人はペルーから隣のボリビアに渡るツアーが多く、みんな夕飯時に添乗員がボリビア側の入国手続きの用紙を配り説明してるのが目立ちました。夕飯はいつものバイキングですが、チチカカ湖のマスを使った料理があり美味しかったです。