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~カウンター越しより~

アンティカ・フォーミュラー・ カルパノ

2006年04月17日 16時56分49秒 | Liqueur
イタリア産熟成ヴェルモットを再現した、カルパノ社の最高級品です。
1リットルサイズのボトルと「1786年」という歴史のあるラベル。
そして『コルク栓』。
ヴェルモットを飲み飽きた方やワイン好きな方、また食前酒にもオススメです。
製造後ボトリングされず、タンク内で1~2年の熟成後に瓶詰めされています。

味わいは豊かで深く、フィニッシュはほろ苦い。
まずはストレートで飲んでいただきたいと思ってます。
カクテルにするなら、フレッシュオレンジを少しドロップするか、
ジンでより味を引き締めるのを良いでしょう。

世代を超えた真剣勝負!?

2006年04月16日 16時33分13秒 | Andrews野球部
今日は、チームメンバーの息子が入部している某少年野球チームと対戦
今季初勝利を目指して
初回から大人気ないプレーで小学生たちからブーイングの嵐
ウチはみんな結構マジでバッティングをしていたので
いきなり5点先取
その後ジリジリと追い詰められ、
結局5-5の同点で引き分け

未来の甲子園球児、もしかしたらプロ、メジャーかも
...の子達との触れ合いの日でした

人に優しいもの・・・ウィスキーとは

2006年04月15日 18時14分19秒 | お知らせ

今年2月に山崎蒸留所に見学に行った時、熟成庫の中の掲示板や
パンフレットに「ウィスキーは人に優しいお酒」と書かれていました。
今日はそのご紹介を・・・
1.低カロリー
蒸留酒なので、糖分が少ない。同じアルコール量の日本酒と比較すると糖分は約1/350
2.酔い覚めスッキリ
飲用時に血中アルコール濃度が上昇しにくいのでアルコールが抜けやすい
3.香りでリラックス
豊かな香りで、「森林浴」のように心身をリラックスさせる
4.プリン体がほとんどない
プリン体からの尿酸生成も抑制され、尿酸を排出する作用もある
5.ポリフェノール
長い年月をかけて樽で熟成する中、樽材からのポリフェノールが溶け込む

また最近読んだ「THE Whisky World vol.5」の記事では
「熟成した良酒は悪酔いしない」ということに研究されたとの内容。
詳細を知りたい方はご購読してください
で、研究の結果は長期熟成したウィスキーほど、悪酔いや二日酔いの原因となる有害物質「アセトアルデヒド」が生成されにくい。
との事です。
だからといって、飲みすぎちゃ意味がない。
長い間、良酒と上手く付き合ってもらいたい・・・
また、お酒とは酔うまでのプロセスを愉しむ物ではないのだろうか


シングルカスクについて

2006年04月14日 19時29分50秒 | Scotch Malt Whisky
「シングルカスク ウィスキー」
スコッチ派の方なら、1度は飲んだことのある、聞いたことのある言葉でしょう
この「シングルカスク」という言葉、お客さんからよく質問を受けます。
それは「カスク ストレングス」「シングルカスク ストレングス」の意味の違いです。
ボトルのラベルに「シングルカスク」と明記してあるものは、1つの樽だけからボトリングされた酒ということです。
※少し加水されているものが多く、加水されてない原酒のものは「シングルカスク ストレングス」と明記されます。
「カスク ストレングス」は、いくつかの樽を混ぜ合わせた原酒をボトリングされた酒ということで加水されていない、樽出しの原酒のアルコール度数のままのもの。
そして「シングルカスク ストレングス」は、1つの樽だけの原酒をそのまま加水せず、ボトリングした酒。
「シングルカスク ストレングス」の場合は樽ナンバー、蒸留年月日、樽の種類など明記されているものが大半です。
シングルモルトウィスキーを飲まれる時は、じっくりラベルを眺めながら、
香りや味を楽しんでみましょう。

ジャパニーズウィスキーの歴史

2006年04月14日 03時12分55秒 | Japanese Whisky

ウィスキーの五大産地はスコットランドアイルランドアメリカカナダそして日本
ジャパニーズウィスキーの歴史は・・・
1853年アメリカのペリーが浦賀に来航し入港した際、
日本の役人たちにウィスキーを振舞ったと記録されています。
1868年の明治維新後の1871年にウィスキーを初輸入されます。
当時ウィスキーは薬用酒的な扱いだった・・・品質は粗悪なものだったらしいが。

1900年頃の洋酒は中性アルコールに甘味料や香料、カラメル色素を加えたイミテーションばかりで、この時代が長くは続かないと感じた摂津酒造は
一人の男をスコットランドに留学させます。
その人が日本のウィスキーの父「竹鶴政孝」
1918年 竹鶴政孝氏は単身、アメリカ経由でスコットランドのグラスゴー大学に入学。
留学中、竹鶴氏はあちらこちらの蒸留所へ足を運び製造法を学びます。
ロングモーンヘーゼルバーンなど・・・
特にロングモーン蒸留所では、蒸留器を叩いてその反響で蒸留の進み具合を知るコツを体得したという。
※ちなみにアイルランドがウィスキーの発祥であると記した文献
「ヘンリー2世率いる兵士が、アイルランドの地元民がアクアヴィテを飲んでいた」
これを記述したネトルトン氏に実際に竹鶴氏は会ってウィスキー造りを学ぼうとしたが、法外な金額を言われ断念したらしい。

1921年 竹鶴氏は帰国。
本格的なウィスキー造りを目指そうとした竹鶴氏(摂津酒造)に、
戦後の不況が待ったをかけます。
竹鶴氏は摂津酒造を退社。

しかし、「どうしても本格的なウィスキー造りをやってみたい」という寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎氏の申し出を受け、10年間の契約で入社。

1923年 日本初のウィスキー蒸留所「山崎蒸留所」開設。
1929年 日本初のウィスキー「白札」発売。
1934年 竹鶴氏は10年間の契約期間を終え、退社。
竹鶴氏は独立し、自らが求めるウィスキー造りを追求すべく、
スコットランドに似た気候、風土、良質の水のある北海道の余市に
大日本果汁(後のニッカウヰスキー)を創業する。
 ※ ちなみに、「大日本果汁」の「日果」から「ニッカ」と名づけられた。

鳥井信治郎氏と竹鶴政孝氏、理想の国産ウィスキーを目指す二人。
竹鶴氏は、スコットランドに留学したことからスコッチに忠実なウィスキー造りを追求し、一方 鳥井氏は、日本の風土にあった日本人に愛されるウィスキー造りを追い求めた。
その後、軽井沢蒸留所(1955年)、ニッカ 仙台・宮城峡蒸留所(1969年)、サントリー白州蒸留所(1973年)、キリン御殿場蒸留所(1973年)と次々と創業していきます。
これからのジャパニーズウィスキーのさらなる発展に期待が持てます 。

 


カナディアンウィスキーの歴史

2006年04月13日 18時43分09秒 | Canadian Whisky

カナダでは17~18世紀にフランスやオランダからの移民たちが
ブランデージンを製造していた。
1776年のアメリカ独立宣言に反対したイギリス系の住民が、
カナダに移民しライ麦や小麦などを栽培し始める。
五大湖周辺で製粉業が発展し余った穀物から、
加工品としてウィスキーを製造していきます。
製粉所がウィスキー蒸留所を兼ねるようになります。
1920~1933年のアメリカ禁酒法時代に「アメリカのウィスキー庫」
として大量に製造し密輸する。
おかげで、カナディアンウィスキーの全盛期を築くことに。
今でもアメリカではバーボン以上にカナディアンウィスキーが飲まれているらしい。
1980年以降、ハードリカーの低迷でアメリカでのウィスキー消費が落ち込み、
蒸留所の統廃合が相次ぎ、そのため全盛期200近くあった蒸留所が現在はつしか残ってない。


アメリカンウィスキー ~南北戦争~

2006年04月12日 17時07分20秒 | American Whiskey
1861年 南北戦争
結果はグラント将軍(通称・・バーボン好きのオールド・クロウ)の勝利。
勝因は資金に勝った北軍が南軍より兵士に多く酒を与えたためだとか・・・
北軍の勝利により一気に南部に資本が入り、
個人の蒸留業者たちも企業化し、
ポットスチルから連続式蒸留機へと技術革新、発展していく。
アメリカの政府公認第1号蒸留所は1866年ジャックダニエル蒸留所

皮肉なことに、グラント将軍が大統領在任中に「ウィスキー脱税事件」が起き、
政府官僚や側近から逮捕者を出している。

1920年 アメリカ禁酒法~1933年
100年でアメリカ中がアル中だらけ・・・1927年にはアル中による死亡者は1920年の3倍になり、ニューヨークだけで719人に達したほど。
飲酒抑制のための発令だったが、喜び儲けたのはマフィア、アル・カポネ達だった。ほとんどの蒸留所が閉鎖に追い込まれる中、国内の密造酒やカナダのウィスキーを「アメリカのウィスキー庫」として大量に製造・密輸。
この時期、密造業者たちは月明かりの下でポタポタと蒸留していたため、
「ムーンシャイナー」と呼ばれた。
その後、第二次大戦中の操業低下などがあったが、バーボンウィスキーは健在である。

アメリカンウィスキー ~独立戦争~

2006年04月11日 18時07分13秒 | American Whiskey

1776年アメリカの独立宣言~1783年
この独立戦争でウィスキーの歴史は繰り返されます。
この戦争を嫌がったスコッツ・アイリッシュたちや
戦争による財政難に陥ったアメリカ政府のウィスキーに対する重税に
不服と思ったスコッツ・アイリッシュたちが、
カナダや当時はまだ国外の西部地区へ逃げ、密造を始めます。

この増税に反対した者たちが、1794年に 「ウィスキーの反乱」を起こしたほど・・・ この反乱がいかに凄まじかったかというと、独立戦争時の兵士の数12000人
対し、暴動鎮圧のために政府は15000人の軍隊を派遣したくらい。
独立戦争より内紛を抑える方が多かったとは・・・。

 そして、逃げてたどり着いた先の現在のケンタッキーやテネシーには
豊富なトウモロコシと良質な水ライムストーン・ウォーターと出会い新しいウィスキー造りを始めます。

面白い事にウィスキーに課税をし、蒸留者たちの暴動鎮圧を指揮した
初代大統領ジョージ・ワシントンは、なんと自ら自宅でせっせとウィスキー造りをしていた。
しかも、5基のポットスチルを用いて・・・晩年には、販売までしていた。

そして 独立戦争でアメリカ側に味方したのが、当時イギリスと植民地争いをしていたフランス。敵の敵は味方・・・ならば、独立側へ。
そのフランス軍のおかげで独立を得ることができた。
その功績を称えて当時フランスはブルボン王朝だったことから、
ケンタッキーの郡の一つの村の名前を「BOURBON」と名づけた。
いつしか、バーボン村で造られるウィスキーはバーボンウィスキーといわれるようになりました。


アメリカンウィスキーの歴史

2006年04月10日 17時45分21秒 | American Whiskey
1492年コロンブスが大陸を発見し、17世紀初頭(1607~) イギリスからの移民者とともに始まります。
移民したスコッツ・アイリッシュの中には、ポットスチルを持ってアメリカに渡った者も。いかなる時でも酒は「生命の水」活力の源だったのでしょう。
1700年以降、アメリカではライ麦を使ったライウィスキーが造られはじめる。
では、バーボンウィスキーを最初に造った人は?
答えは定かでないが2つ有力な説があります。
一つは1789年のアメリカ合衆国誕生の年。
エライジャ・クレイグ牧師が本業のかたわら副業でウィスキー造りに励んでいた。
あるとき小屋に置いてあった熟成用の樽を火事で焦がしてしまい、
後で開けてみたら色濃く芳醇な液体が現れた。
このことから、バーボンは樽の内側を焼く工程が始まったという説。
もう一つの説は、1783年にエヴァン・ウィリアムズがライムストーン・ウォーターを発見し、それを仕込み水に、トウモロコシを原料にウィスキーを造ったという説。
ライムストーンとは石灰岩のことで、ケンタッキーでは いたるところにある。
石灰岩で濾過された水は、ウィスキーの味を損なう鉄分が除かれ、
ミネラル分が豊富。バーボンウィスキーに最適といわれている。

Andrews野球部

2006年04月09日 22時27分01秒 | Andrews野球部

当店の野球チームです
休日は、ほぼ野球をしてます。
チームはなかなか弱く(号泣) まだ勝つにはほど遠~い状態ですが、
平均年齢32歳ながら精一杯やってます。
そんな中、今日はリーグ戦に出場!!
メンバーがギリギリ9人
しかも、先発はローテーションの谷間の私!?
結果は10-3で大敗 コールド負け!!
しかし!!メンバーの「背番号0番」の彼にこの日、バッティングの神様が突然舞い降りました(普段は三振ばかりですが・・・^^;)。
第一打席 ランナー1.2塁で今季初ヒットが3ランホームラン
今季チームでも第一号ホームラン!!
第二打席 強烈な当りのサードライナー(惜しかった)
今日のチームのヒーローは、「0番」ですねw

負けたんだから、少しは凹んでもいいはずですが、写真の通り 皆ヘラヘラしてます。 今季初勝利はいつになるコトやら・・・


アイリッシュウィスキーの歴史

2006年04月08日 18時25分33秒 | Irish Whiskey

アイルランドは1172年にヘンリー2世に侵攻され、1801年にイングランドに併合されるまでイングランドの植民地的扱いをされていたような国。

 現在、蒸留所はブッシュミルズミドルトンクーリーの3つだけ。
1608年に「国王ジェームズ1世の代理人である北アイルランド総督から、アントリムの領主サー・トーマス・フィリップスに蒸留免許が与えられた」ということから、
ボトルのラベルに「1608年」の文字。世界最古の蒸留所を謳うブッシュミルズ・・・
しかし、ブッシュミルズ蒸留所の創業は1784年
1750年以降からぞくぞくと蒸留所が創業。ブルスナ、ボウストリート、ジョンズレーン・・・1887年には28ヵ所の蒸留所が存在した。
ちなみに同時期にスコッチ蒸留所は129ヵ所
『The Whisky Distilleries of The United Kingdom by Alfred Barnard』より

アイリッシュの全盛時代はスコッチ同様、フィロキセラ病がきっかけでした。
蒸留技術はスコッチ以上、革新的でした。
※フィロキセラ病...ブドウネアブラムシ。この昆虫がぶどうの根に寄生し、根や葉に刺して樹液を吸う。刺された樹木は徐々に弱り、5年くらいで枯れてしまう病気。

3回蒸留ノンピート、アイルランド産の安い大麦を使い、また大麦麦芽以外の穀物を使う技術、巨大な蒸留所でアメリカを市場に大量販売。
しかし技術が進んでいたため、連続式蒸留機にアイリッシュは見向きもしなかった。 皮肉にも連続式蒸留機を発明したスコットランド人のロバート・スタイン
アイルランドのダブリンの蒸留所で働いていた人。
また、連続式蒸留機を改良したイーニアス・コフィーはフランス生まれの
アイルランド人。
それだけに、機械に頼らず技術でやれると思ったのだろう。
では、なぜアイリッシュが衰退したのか?・・・
スコッチブレンデッドの誕生も天敵だったはず。
1919年にアイルランドはイギリスから独立をかけて戦争。
1922年 アイルランド自由国の設立、北アイルランドの分離。
その報復として大英帝国の商圏からアイリッシュを締め出しし、
イギリス、カナダ、アメリカ、インド、オーストラリア・・・の市場とアメリカ禁酒法で失ってしまったからだと考えられています。


スコッチウィスキーのその後

2006年04月07日 03時34分15秒 | Scotch Malt Whisky

ウィスキー業界が大きく変化する出来事は、1860年の酒税法改正
「保税倉庫内の異なる蒸留所のウィスキーのブレンドが可能に・・・」要するに、
今までは同じ蒸留所のもの同士しか混ぜ合わせてはいけなかったのが、
他の蒸留所の物も混ぜ合わせていいと改正されたということです。

これによりブレンデッドウィスキーが誕生していきます。
しかし、まだ当時はスコッチウィスキーの存在は世界には広まってはなく、
スコットランドの地酒にしかすぎなかった・・・
ところが、スコッチウィスキーに追い風が吹きます。
1877年フィロキセラ病でフランスのブドウの樹が全滅。
イングランド貴族が愛飲していたワインやブランデーが不足し、
その貴族たちがウィスキーに着目します。
個性の強いモルトとクセのないグレーンを混ぜ合わせた、
口当たりのいいブレンデッドウィスキーがロンドンで大流行。
19世紀 ロンドンは世界の首都と呼ばれた都市、
瞬く間に世界に広がっていきました。

しかしスコッチウィスキーにひと悶着がありました。
1905年の「ウィスキー論争」です。
グレーンウィスキーをウィスキーと認めないという裁判が起きる。
いち早く連続式蒸留機を取り入れたローランドの業者vsポットスチルにこだわるハイランドやアイルランドの業者
1909年に37回の審理を経てグレーンもスコッチであると容認され、その後戦争によって蒸留所の稼動数の激減があったが、現在は100ヵ所ほどの蒸留所がたくましく稼動し続けてる。


連続式蒸留機の誕生まで

2006年04月06日 22時27分30秒 | Scotch Malt Whisky
1823年の酒税法改正を機に密造酒時代の終わりを告げます。
減税となったため、ぞくぞくと政府公認の蒸留所として申請していったからです。
ちなみに政府公認第1号蒸留所はザ・グレンリベット蒸留所
1826年にロバート・スタインが連続式蒸留機を発明。
1831年にイーニアス・コフィーが改良。
そして、税金の高い大麦麦芽の原料を抑えた主原料が
とうもろこしのグレーン(穀物)ウィスキーが誕生していきます。
1853年に同一蒸留所内に限り熟成年数の異なるウィスキーの許可より、
アンドリュー・アッシャーがモルト同士のブレンド(ブレンデッドモルト)を発売。
ということは、これまで樽ごとに味の違うモルトウィスキーを飲んでいた。
ブレンドするということでその味のばらつきを無くしたということです。
今でいうなら「シングルカスク ストレングス」といったところでしょう。

「樽熟成」について

2006年04月06日 22時27分12秒 | Scotch Malt Whisky
ウィスキーは今でこそ琥珀色した液体ですが、もともとは無色透明な液体。
それもその筈、蒸留しただけの荒々しい液体だったです。
樽熟成をいつ頃、誰が始めたか、これまた不明。
度重なる戦いの末、1707年にイングランドがスコットランドを併合。
その後、1745年に第2回ジャコバイトの反乱での敗戦。
ウィスキーに対する重税イングランドへの反感からスコットランド農民達は
人里離れた山奥で密造し始めることになります。
当時よく飲まれていたシェリー酒の空樽がエジンバラにゴロゴロ。
密造した酒は輸送のため、また保管のため、その樽に詰めてエジンバラの貴族や金持ちの倉庫へと運び込まれます。
ガラス瓶もない時代、樽からその度 陶磁器の入れ物に注いでいたのでしょう。
そして、数年経つと色が付き、味も円やかになり、いつの間にかウィスキーは樽熟成されるようになりました。

またこんな説も、時は同じ密造時代に収税官に密造が見つかってしまい銃撃戦に・・・密造者は捕まってしまい、隠すため保管していたシェリー樽に詰めたウィスキーは、ひっそりと洞窟の中。
数年経ち、付近で狩猟をしていた地元民が発見。
そこで樽の琥珀色の液体を飲んでみたら、これは美味い!!・・・という説です。
いずれにしても、ウィスキーは密造時代から得た偶然の産物なのです。

スコッチウィスキーの歴史について

2006年04月06日 22時26分39秒 | Scotch Malt Whisky

日曜日に余市蒸留所へ見学に行ったことから、
今週はウィスキーについて、ちょっと固いお話をさせてもらいます。

それでは、スコッチウィスキーから・・・
「ウィスキーの発祥は?」と聞かれると、はっきりした答えは出ません。
アイルランドスコットランドに間違いないのでしょうが・・・
「発祥はアイルランド」と断定してある本が大半
それはこの文献から「1172年にヘンリー2世がアイルランドへ遠征。そのときの兵士が、地元民がアクアヴィテ(蒸留酒)を飲んでいた」
という記述を元に、ウィスキーはアイルランドが発祥の地だと記されている。

・・・が、しかしこれを記述した「ネトルトン」という人物は、何を根拠にどの文献から、こう記述したのかは不明。
原本が見つからないらしい。
また、この蒸留酒は何を原料に蒸留したのかも不明。
ワインなのか・・・エールなのか・・・それとも大麦麦芽なのか。
 そして、スコットランドでは1494年「修道士ジョン・コーに8ボル(約500kg)の麦芽を与えてアクアヴィテを造らしむ」と記録(スコットランド王室財務省文書)
原料に大麦麦芽、そして蒸留。これぞ ウィスキー!!
スコットランドでは1494年をウィスキー誕生の年となっている。
定かではないですが、アイルランドやスコットランドではこの前よりウィスキーは造られていたのでしょう。