浅田次郎氏の表題の本を一気に読みました。
一気と言っても、眠る前の5~30分。寝床の中で、ひっくり返って本を読む。これだと、いつでも眠れます。「あ、もうだめだ」となったら、ひもを引っ張って電気を消す。すぐ朝になっている…。
こんな風にして、浅田氏に失礼ながら、あっと言う間に読み終えました。
浅田氏の本は、これまで、ほとんど読んだことがなかったのですが、息子に勧められて幕末の「新撰組」物を読んでから、「うーん、なかなかだなあ」などと読むようになった次第。
今回のこの本は、幕府の崩壊から明治新政府への変遷の中で、翻弄される武士の群像とでもいうものを描いています。
考えさせられるのは、一人ひとりの主人公たちの善良さや努力をあざ笑うかのように軋んでいく歴史の歯車…、あるいは、急激な変革を見ることができずに死にいたる士族の一人ひとり…。
例えば西郷を中心とした西南戦争、見ようによっては、時の政権にとって「好ましい戦争」だったのではと考えさせられました。双方の側から、侍たちが死に急いだかのようです。それは、侍の時代を終息させる絶好の機会だったのではないでしょうか。
この本の背表紙には「江戸から明治へ、侍たちは如何にして己の始末をつけ、時代の垣根を乗り越えたか・・・」とありました。
うーん、今も似たようなことが起きていないか…、よーく考えて生きていかなければ、と思いました。
知り合いの腕のいい大工さんたちが、郵便局や運転代行のアルバイトで生活しています。この現状は、歴史の歯車から振り落とされた侍たちが人力車を引いて口をすすいだ明治の初頭と、どう違うのでしょうか?
そして、矛盾は西南戦争、日清戦争、日露戦争…によって「解決」されていった?!
あなたには、歯車の軋む音が聞こえませんか?
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