7年目の慰霊、
宮城県石巻市の大川小学校「痕」(あと、今後、傷痕の意味をこめてこの漢字を使う)、7年目の慰霊が行われた。
毎年この日に大川小学校痕を訪ねているが、今年ブログに報告するのに迷いがあった。
それは子どもたちの生命を守れなかった大人たちの深く、重く、厳しい反省や子どもたちへのお詫び、そして二度と
繰り返さないための決意が伝わらなかったからです。
例年感じてきたことですが、今年はなぜか特に強く思ってしまった。
遺族の方々の中にも、同じような思いの方が多くおられるのではないでしょうか?
行政や教育の関係者は自己保身に走っていないのか?
ご遺族の気持ちを中心にした慰霊祭ができないものか・・・?
ご遺族の有志が自発的に造ったといわれる慰霊の祭壇。
大川小学校の廃墟の前にあります。
多くの人が額(ぬか)ずいています。
仏教僧たちの読経と被害者ご家族による慰霊・・・。
数年前から大勢の仏教僧が慰霊の読経をしてくれるようになっています。
大川小学校の全景。
写真の正面中央付近が、大地震後に生徒たちが待機させられていた校庭。
すぐ右手に慰霊の祭壇。これもボランティア団体などの自主的な努力で造られた。
その右手が「なぜ避難しなかったのか」と問題になっている小高い山。
なぜ、ここに逃げなかったのか、今もって行政も、教育関係者も、真実を語っていません。
実際、津波襲来後にこの山に逃げて助かった生徒4人と1人の教師がいるというのに、です。
なぜここに逃げなかったかが問題になっている裏山。
3月、残雪があったとしても教師と生徒が助け合って登れなかったのか!!
3.11の当日、山の手前に小さな花が一輪、飾られていました。
このあたりは、激流に吞み込まれた子どもたちが打ち付けられた場所ではないかと、遺体の捜索が行われた場所です。
ご遺族の無念さに、私まで心が締め付けられます。
写真の正面右手は津波が逆流してきた北上川に架かる新北上大橋。大川小学校跡地を背にして撮った写真。
橋の左手が小高くなっている「三角地帯」。
生徒たちは津波襲来の直前まで校庭で待機した後、この「三角地帯」へ避難誘導(?)されていたとの説明
があります。そこへ濁流が正面から生徒たちと教職員を襲ってきた…と。ひとたまりもなかったでしょう。
だが、しかし、実は、避難誘導すら行われず、ただいたずらに校庭で待機していたのではないかとの重大
な疑念も出ています。
いずれにしても、生徒たち70人が、先生10人が、生命を奪われ、生徒4人が行方不明になっている(2012年10月12日現在、石巻市教委まとめ)という重大な事実 から逃れることはできません。
私が驚いたのは、大川小学校が海抜0~2mの地帯にあったということ。
にもかかわらず、海から離れているという愚かな妄想で普段からの避難訓練も防災対策もしていなかったということ。
関係する行政や教育関係者、大人たちの責任は重い。
もちろん、「リスクコンサルタント」を自称する私たち保険関係者の責任も逃れられないと思うのですが、みなさんはどう思いますか?
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