昨日、家の拭き掃除をしていました。
電灯、置物、柱、など、とにかく次から次へと拭いていきます。
そんな中、仏壇はおばあさん担当のため、触りませんが、
遺影は拭きます。
私のおじいさんの遺影です。
昭和12年12月24日に戦死されました。
85年前です。
当時は、戦死者がまだ珍しいため、村葬だったとのこと。
村民が日の丸を振って駅で迎えられたようです。
そのため、遺影の額も村からです。
いつもでしたら、遺影を拭くだけですが、今回は写真がズレていたので直しました。
そのため、額から写真を出しました。
写真とガラスの間に挟まっていたのが、昭和13年10月の毎日新聞。
日中戦争の真っただ中です。
広告欄はこんな感じ。
まだ、日本優勢の時なので、いろいろと商品もあったようです。
記事は、旧仮名遣いで読みにくいですが、漢字にはフリガナがついてます。
私のおじいさん、若くして亡くなっています。
写真を見ると、なかなかキリッとした顔。
悲しいかな、孫の私はまったく似ていません。
もうすぐお正月。
おじいさんからすると、
ひ孫3人が家族と帰ってきます。
そして、その子、「玄孫 やしゃご」も3人きます。
みんな元気で暮らしてます。
と、私よりはるかに若いおじいさんの写真に向かって語りかけておきました。
私も2人の祖父とは会った事ありません。生まれるはるか前に亡くなりました、だから祖母も1人が長かったです。
おじいちゃんの写真を綺麗にしてあげて、ひ孫、玄孫と続く報告はあの世で喜ばれていますよ。
お仕事、大変でしたね。
おじいさんは、小さな幼子(私の父と叔母)を残して、無念だったと思います。
戦争は、イヤですね。
我が家は、今夜に娘、明日は長男一家、明後日は次男と帰省。
一気に賑やかになります。
大変ですが、楽しみです。
こんにちは!
この時代の人たちは特攻隊の施設等で拝見する写真も皆さんとっても凛々しい。
そして 書かれてある文章も素晴らしくて。
死と背中合わせの姿勢とやはり教育でしょうか。
とにかく 今の平和は多くの方々の犠牲があったからだということ。そして平和のためになすべきこと真摯に考えていかねばなりませんね。
ありがとうございました。、
知覧の記事の時もおっしゃってましたね。
あの時代の方々は、精神的になんて大人なんだろう、と思います。
今の自分の歳の半分にも満たない若者たちなのに、とてもとても及ばない尊い精神。
戦争という名のもとに、そうならざるを得なかった若者たちは、本当はどう思っていたのでしょうか・・・。
いろいろと考えちゃいます。
ありがとうございました。