定点観測、2022年3月27日
数日来の好天に、今日はとうとう本年初の真夏日に。
爽やかな風を取り入れたくて、窓を開けて過ごす。
スギに代わってヒノキの花粉が大量に飛んでいるんだろう。
喉の奥がヒリヒリして、くしゃみも何度か。
昨日は、花粉のリスクを顧みず布団を干した。
妙に懐かしいお日さまの匂いに、なぜか気持ちが安らいだ。
今日は朝から洗濯を3ラウンド…シーツやマット類も洗ってしまった。
午後は調べ物を少しとあれこれ後回しにしていた雑用で終わってしまいそう。
でもめげない。
その程度のことをマイナス要因と感じるのは、少なくとも厳しい境遇にあるわけではない証拠だ。
あわただしい日常だからこそ、休日はゆったりと過ごしたい。
たとえ休日ノルマがたくさんあったとしても、焦る必要はない。
気持ちがささくれてしまう前のセルフケアが肝心。
あれもダメこれもダメ…と、自分で自分を縛るようなことはやめよう。
自分をつまらなくするのは、紛れもなく自分自身の在り方なのだから。
強いて言うなら、今の私は無彩色でしょうか。
しかし、それを嘆いているわけでもない。
かつては鮮やかな色だったこともあるのかもしれませんが、それはそれでいいと思うのです。
今の自分に満足しているわけでは決してないけれど、もしまだ寿命が残っているのなら、数年後にはほんの少しだけ緑色や茶色や青色が加わって、深みのある色合いになっていたいなぁ…というのはあくまで願望。
自分の状況や思いを色に例えてみるのは、とても良い捉えどころですね。私には欠けていた発想で、ありがたいコメントでした。
あみん子さんと同級生のお友だちに感謝です。
時代を共有した同世代の人の言葉って、じわっと心にしみるものだということにも改めて気づきました。
今年の高校時代の同級生から来た年賀状の中に、
「コロナの2年間でかなり加齢してしまった自分がいます。この状態でも、何かポイント的に色彩をつけて本体を引き立たせたいものです」とあり、刺激を受けました。
私が付けたい色は?って考えてもすぐ浮かばず、そもそも今の私は何色⁈になっているのか?自分のイメージがつかめていないってことですよね?
大変な事に気づいてしましました。。。